キリシタンの郷(天草)より
グーテンベルク印刷機
ヨハネス・グーテンベルクは1398年頃ドイツのマインツに住んでいた上流階級の商人の家に生まれました。彼は1439年頃にヨーロッパで初めて活字による印刷を行います。油性のインクを採用し、当時使われていた農耕用の果実を搾るスクリュープレス機の技術を一部利用して、活版印刷技術を発明したと言われています。
彼の発明はヨーロッパにおける本の出版に大きな影響を与え、羅針盤や火薬とともに「ルネサンス三大発明」の一つに挙げられています。
このグーテンベルクが発明した印刷機の複製が熊本県天草市河浦町にある「天草コレジヨ館」に展示されていました。天草は1591~1597年までの間、キリスト教の神学校が開校され、西洋文化が花開き、この地域の人口の70パーセントもの人がキリシタンとして洗礼を受けていました。ちなみに「コレジヨ」とはポルトガル語で「神学校」を意味し、神様のことを学ぶ最高学府とされています。
当時、天正遣欧使節団として4人の少年がヨーロッパへ派遣されました。彼らはスペイン・ポルトガル王国やローマ法王に謁見する機会が与えられ、多くの人から歓迎を受けました。その彼らが持ち帰ったグーテンベルク印刷機によって、日本初の金属活字による印刷が天草で行われ、そこで出版された本を「天草本」と呼び、互いの文化を伝えるために「平家物語」や「イソップ物語」などが翻訳されて出版されました。
当時の大航海時代を背景として16世紀の半ばに来日した宣教師は、貿易による利潤を目当てにしていた長崎や天草地方の領主を最初に改宗させ、彼らを通じて、その領民を集団で改宗させて、領内にキリスト教を広めて行きました。
神か物か
マタイによる福音書19章16~22節には「金持ちの青年」の話が出てきます。
彼はイエスに、「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」と尋ねます。そこでイエスは、「もし命を得たいのなら、掟を守りなさい」と応えられ、十戒の中の同胞に対する戒めを彼に語ります。すると青年は「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか」と自分には欠けた所がないと思わせる発言をします。
そこでイエスは彼の心を試すために、彼に対して「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい」と言われ、彼の心に神の愛が必要であることを伝えようとされました。また彼の高い地位と財産が、彼の品性に微妙な影響を与え、これらのものに執着して彼の心から神の存在が押しのけられてしまうことを心配されました。しかし、青年は多くの財産を持っていたために、悲しみながら去っていきました。彼は命と引き換えに持っているものに執着しました。
すべての人が世俗とキリストを信じることによって得られる永遠の命のどちらかを選ばなければなりませんが、多くの人は目に見える世俗を選んでしまいます。
大航海時代の幕開けとともに、多くの人々は富を求めて、それぞれの港を出港して行きました。当時の最新技術であった羅針盤は、人々をより遠くへ向かわせ、火薬を使って領地を広げて行きました。その流れは黄金の国と呼ばれた日本にも訪れ、キリシタン大名たちは西洋の文化によって大きな利潤を得ようと画策します。
このような時代に天正遣欧使節団としてヨーロッパを訪れた4名の青年は、グーテンベルクの印刷機を天草にもたらしましたが、キリスト教の迫害とともに印刷機も香港へ持ち運ばれてしまいました。この時代の隠れキリシタンと呼ばれる人々は、貝殻や鏡、大黒天像や恵比寿像など身近なものを信心具として使う者、聖画像をひそかに拝む者、また山や島を信仰の対象物として拝むなどして、役人の目を逃れていました。もし、この印刷機が迫害前から聖書のみ言葉を印刷し、広く日本に流布され、聖書のみ言葉が人々の心に留まっていれば、日本のキリスト教は大きく違っていたかもしれません。
さらに1637年には「島原・天草一揆」が起こり、2万人を超える農民が武装して幕府に反乱を起こします。その一揆勢のほとんどがキリシタンであり、原城に立てこもりましたが、88日間の戦いの末に、全員が殺され、一揆は鎮圧されました。この事件をきっかけに、幕府は新たな宣教師が入国することを確実に排除する海禁体制(鎖国)を確立し、日本におけるキリスト教の宣教に大きな影響を与えました。
エレン・G・ホワイトは、先ほどの「金持ちの青年」について、「彼は物をお与えになった神よりも、神がお与えになった物を愛した」と『希望への光』(944頁)の中で語っています。
私たちは今、多くの物に囲まれ、最新技術を用いることができる物質的に恵まれた世界に住んでいます。移動手段はより便利になり、速やかな移動が可能になっています。また軍事予算に多くが割かれ、SNSの普及は多くの人が情報を瞬時に得ることを可能にしました。
しかし、私たちがたくさんのものに恵まれていたとしても、神から与えられている命を失えば、これらのものはすべて意味を失うことになります。過去に多くの人々が選択を誤り、永遠の命を失ってきた教訓を繰り返さない選択を日々、求めていきたいと思います。
*聖句は©️日本聖書協会
下村和美/しもむらかずみ
下村和美と申します。妻と3人の子どもたちの5人家族です。2022年の春に九州に来て3年目となりました。現在、熊本、久留米、大分、熊本南部、南阿蘇の皆さんと交わらせていただいております。これからも宜しくお願い致します。
アドベンチスト・ライフ2024年12月号