「お父さん! 今度日本に行ったら、お寿司と、うどんを食べに行こうね!」
子どもたちが言いました。
2004年3月、私たち夫婦は、1歳の長男を連れて宣教師として初めて来日しました。2006年には第二子が生まれ、2
009年には末の子が生まれました。
末の子が生まれて約3か月後に帰国したので、昨年8月に日本に再入国した際には、残念ながら子どもたちには日本の記憶がわずかしか残っていませんでした。ですから、子どもたちにとっての日本は、「大好きなお寿司と、うどんの国」という訳なのです。
私は、今年で牧会生活21年、海外生活としては17年目を迎えました。3人の子どもに恵まれ、韓国をはじめ、日本、中国、フィリピン、そして、再び日本の地で永遠の福音を宣べ伝えるために働いています。
母国は?
私たち夫婦にとっては、新しい文化の中で学び、話し、伝えることは大変面白いことですが、問題は子どもたちです。
長男は、小学校6年の間に、日本、中国、フィリピンと3度も国が変わり、5回も転校しました。長女、次男も、似たような経験をしました。新しい生活環境に慣れ、その国の言葉を覚え始めた頃に他の国に移り、新しいお友だちができて面白くなってきた頃に別の国に移るような生活をしてきたのです。その結果、何か国語も話すことはできますが、母国語として流暢に話せる言語がありません。
昨年大学生になった長男の入学時の自己紹介文をこっそり覗いたことがありますが、こう書かれてありました。「私には母校と呼べる学校がありません。17年半の人生を生きてきましたが、韓国で6年半、日本で6年、中国で2年、フィリピンでは3年間過ごしましたので、母国と呼べる国もありません。私が志願する某○○大学が、私にとり初めての母校となれば幸いです」
あるとき、長男が言いました。
「お父さん! 学校で家の住所を書く欄があって、僕は『天国』と書いたよ。お父さんが言ったよね!『僕たちは、今地球を旅行していて、もうすぐ僕たちの家がある天国に行くんだよ』って」
子どもたちは、私の選択に従って、幾つもの国を渡り歩いています。父親である私が、そこに行かなければならないと言うので、自分たちの荷物をまとめ、親しい友人と別れ、可愛がって育てた子犬たちにも別れを告げて、その場所を去るのです。
今回も、そのようにして別れを告げ、昨年8月19日に再び日本の地に戻りました。
10余年ぶりの日本
私たち夫婦は、以前に日本で6年間生活していたので、特別な問題はないだろうと考えていました。しかし、やはり……すべてが新しくなっていました。簡単だと思っていた日本語も、一から学び直すべきだと感じましたし、車の運転も、10余年ぶりに左車線を走らなければならず、それに合わせてすべての考えも、逆方向にしなければならないかのようでした。私たち夫婦でそうなら、ましてや子どもたちには、どれほど難しく大変なことでしょうか?
大学生の長男は韓国に残し、長女と次男を連れて来日しましたが、平仮名から学ばなければなりません。彼らは自分の選択ではなく、ただ父親である私の「行こう!」という言葉について来ただけなのです。
長女にとっては、現在住んでいる大多喜が日本のすべてだと思うかしれません。入国して2週間の隔離が終わると、すぐに三育中学校の寮に送り届けたからです。次男も光風台三育小学校に送り出しました。そして、私は子どもたちに言いました。「楽しく過ごしなさい」
話にならないことです。父親である私が、平仮名も書けず、日本語で自分の名前も書けない子どもたちを、家から離れさせたのです。娘は「大丈夫だ」と言って寮に入りましたが、どれほど不憫な思いをしたことでしょう。その夜、私は娘のことを思い、たくさんの涙を流しました。
小学校6年生の次男は、先日こう言っていました。「お父さん! 僕が高校生になったら、カナダにあるアドベンチストの学校に入れてくれないかな?」
次男は、ホームページやYouTubeで、カナダの学校の学費や教育課程などをすべて調べ上げていました。そして、日本の三育の高校と学費も大差ないので大丈夫だという理由も付け加えました。
中学校からカナダで勉強できれば嬉しいけれど、「ダメだ」と言われるだろうから、せめて高校からでも、楽に話せる英語で勉強できる学校に行きたいという願いがあったのです。それほど日本語の読み書きができず苦しい思いをしているようです。その夜、父親である私はまた独りで泣きました。
ところが私は、「宣教師の子どもは、神様が正しく育てて下さる」という確信を持っています。子どもたちにとっては、大変なことがあまりにも多く感じられますが、それでも神が私たちの子どもたちを保護して下さることを確信しています。何よりも、聖書のみ言葉を信頼しているのです。
「わたしを信じなさい」
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい」(ヨハネによる福音書14章1節、口語訳)。
これは、イエスに3年半の間つき従い、遂にはユダヤの王となられるイエスの右側に座ろうと思っていたペテロに、「あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない」と仰せになった13章の最後の部分に続く聖書のみ言葉です。
家族も職業も親しい友人もすべてを捨ててイエスに従い、そのイエスの右側に座るという長く待ち望んできた日が明日だと言うのに、イエスは、「あなたは……今はついて来ることはできない!」とおっしゃるのです。
ついて行くことができない理由として、イエスはペテロが3度自分を否定することを説明され、ペテロは大きな失望に陥りました。
しかしイエスは、続く14章1節で、「心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい」と言われました。
そして、14章2節で、天に私たちの住まいがあるという約束がなされます。今、ペテロが地上で望んでいるものよりも更に大きな贈り物を用意するのだから、心配することはないと話されるのです。
この世の人生は、決して平坦ではありません。子ども、家族、職場、教育、健康などの心配事でいっぱいです。一体、主が何を望んでおられるのか明確にわからないこともあります。
しかし、私たちが確実に信じることができるのは、やはりイエスのみ言葉だけです。
約2千年前に、ペテロに「わたしを信じなさい」と言われたみ声が今日、私たちの心にも聞こえることを祈ります。
*聖句は©️日本聖書協会
宋 乙燮/ソンウルソップ
1976年生まれ。哲学博士(世界史)。神の愛を話すのが大好きで、アジアの国々で福音を紹介しています。木更津教会、岩根集会所牧師。
アドベンチスト・ライフ2022年3月号