セブンスデー・アドベンチスト教会

どう生きるべきか?

どう生きるべきか?

目の前が見えなくなるとき

「冠は私たちの頭から落ちた。何という災いだ。私たちは罪を犯したのだ。そのために私たちの心は病み/このために目は暗くなった」(哀歌5章16、17節)。

罪という自己中心の性質を持っている私たちは、その中で過ごしていると、目の前の進むべき道がわからなくなり、心まで病んでしまうことがあります。自分で何とかしよう、どうにかしようとすればするほど疲れ果て、病んでしまうこともあります。
また私たちの日常生活の中には、自分で何とかしなければならないことが山ほどあります。職場や学校、家庭などでも、一日にやらなければならないことがたくさんあるはずです。日常生活でやらなければならないことは、あたりまえですが自分でやらなければなりません。自分の果たすべきことは、誰かに代わってもらえるものではありません。しかし、やらなければならないことに目が行き過ぎると、根を詰めすぎてしまい、疲れ果ててしまいます。私たちが生きていくうえで、本当に大切にすべきこととは何でしょうか。

主に立ち帰る

「主よ、私たちを御もとに立ち帰らせてください。私たちは帰りたいのです。私たちの日々を新たにし/昔のようにしてください」(哀歌5章21節)。

まず私たちのするべきことは、「神の御もとに身を寄せること」です。「自分がやらなければ」という思いが強くなりすぎると、病んだり、疲れ果ててしまいます。そうではなく、「神の御もとに身を寄せる」、つまり「神から愛されている」という恵みと、今日一日与えられているすべてのものに「感謝する」という気持ちを持って、一日をスタートさせるときに、一日一日のタスクを「自分が」という気持ちではなくて、与えられたものに感謝する気持ちと喜びに満たされて過ごしていくことができるようになるのです。
聖書のみ言葉は、私たちが生きるうえでの問題解決方法を教えているのではなく、さまざまな問題や、やるべきことがたくさんあるなかで、「どのように生きるべきか」という具体的な生き方、実践的な生き方を神が教えてくださっています。そして、私たちの生きるうえでの多くの問題や悩みをも、神は解決したいと望んでおられるのです。ここに私たちに対する神の深い愛を感じることができます。では具体的に、私たちはどのように生きるべきなのでしょうか。

最上級の愛に生きる

「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の戒めである」(ヨハネによる福音書15章12節)。

「互いに愛し合いなさい」という言葉の「愛」は、ギリシャ語でアガペー、「神の愛」が使われています。つまり、私たちは神の愛を持って、互いに愛し合うようにと求められているのです。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネによる福音書3章16節)。
神は独り子イエス・キリストの命さえ惜しまずに私たちに与え、私たちを愛してくださったのです。神の愛は、一番大事なものを惜しむことなく与える愛であり、この愛をイエス・キリストの十字架上で私たちに示してくださいました。それによって私たちがイエス・キリストの十字架を見つめるとき、これ以上ない、最上級の愛の生き方を見いだすことができるのです。

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネによる福音書15章13節)。
イエス・キリストは十字架上で、一番大事なものを惜しむことなく与える愛、その愛の生き方を私たちに示してくださいました。
このイエス・キリストの愛、つまり神の愛を世界中の人が心に宿すようになったら、どうなっていくでしょうか。最近私はよく、説教や聖書研究の中でこのような質問をしています。そして、このような質問をすると、クリスチャンやノンクリスチャンに関係なく、同じ答えが返ってきます。それは「幸せになります」という答えです。
神の愛、つまり一番大事なものを惜しむことなく与える愛を世界中のすべての人が分かち合うようになれば、世界は幸福で天国のような空間になることでしょう。それは神が何よりも望まれていることです。
私たちが生きるうえで、神の愛、すなわちイエス・キリストの愛を持つことは欠かせません。そのために、日々神のもとに身を寄せ、神からの愛を受けたいと思います。そうするならば、私たちはすべての与えられたものに感謝し、喜びに満たされて生きていくことができるようになるのです。

今日という一日に感謝して生きる

「だから、明日のことを思い煩ってはならない。明日のことは明日自らが思い煩う。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイによる福音書6章34節)。

今日という一日、私たちは、与えられた場所で、与えられた賜物を用い、与えられた範囲の中で忠実に、自分のなすべきことを果たしていくように求められています。そのために、まず神のもとに身を寄せ、神から与えられている愛を受け取りたいと思います。そうするならば、私たちの目は開かれ、すでに与えられている恵みに気づかされ、日々与えられている務めにも、感謝と喜びをもって生きる者へと変えられていくのです。

神の愛に生きる

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて/神があなたがたに望んでおられることです」(テサロニケの信徒への手紙一・5章16~18節)。

日々、神のもとに身を寄せ、神から愛を受けて、神の愛に生きる者になりたいと思います。

*聖句は©️日本聖書協会

亀山友樹/かめやまともき

沖縄生まれ広島育ち。熱烈なカープファン。28歳。

三育小学校を三校渡り歩き、広島三育学院で中高6年間過ごし、三育学院カレッジを卒業。その後、2年間広島三育学院中学校男子寮の舎監補佐として中学生と楽しく過ごし、牧師として献身。現在、宮崎教会、都城集会所、大分聖書研究会を担当。

アドベンチスト・ライフ2025年5月号