「サラは恐ろしくなり、打ち消して言った。『わたしは笑いませんでした。』主は言われた。『いや、あなたは確かに笑った』」(創世記18章15節)。
アブラムが全民族の祝福の源となるという主の約束の言葉に従ってハランを旅立ち、すでに25年の月日が流れました。318人の兵士を抱える大集団になったのですが、後継者は生まれません。
やむなく側近のエリエゼルを後継指名したのが15年ほど前です。主はそれを止めさせて満天の無数の星をアブラムに示し、彼自身の子どもの子孫がこのようになることを約束します。
アブラム夫婦は人間的な手段によってこの約束を実現しようと試み、側女ハガルによってイシマエルを得ます。しかし主は、イシマエルも大いなる国民となるが、祝福の源としての後継者ではないと言われます。
妻サラとの間に後継者イサクが誕生することが告げられ、彼はアブラハム(万国民の父)と改名されます。この時、アブラハムはひそかに笑ったと創世記は記録します。その後、再度アブラハムを訪れた主は、別室に控えるサラにも聞こえるように、1年後にサラがイサクを産むことをアブラハムに伝えます。これを聞いたサラもまた、ひそかに笑うのです。
「主はアブラハムに言われた。 『なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている』」(創世記18章13、14節)。
恐れてついてしまったサラの嘘を暴き、ひそかに冷笑した事実をあくまでも主は認めさせようとしておられます。彼らは主の約束を信じる一方で、年老いた自分たちにそのような喜びが訪れるはずがないと思っています。
信じる心の裏側に、ひそかに冷笑する私も潜んでいるのです。高齢化した日本の教会の裏側に、このような冷笑が潜んでいるような気がします。それは自虐的で自滅的な笑いです。神の言葉をどこかで割り引いてしまい、単純に信じている人を見ると、心のどこかで冷笑してしまう。そのような冷笑のあるところに、イサク(笑い)は生まれてこないのです。
だからこそ、主は徹底して私どもの中にあるそのような冷めた笑いを暴き、取り除こうとされます。私どもの虚偽が暴かれ、私どもの不信仰があらわにされるとき、初めて私どものうちに真の笑いが回復されます。それはかつて、サラの、アブラハムの、私たちの心を蝕んだ神経症的な自虐的な笑いではありません。主のみがお与えになることができる喜びであり笑いです。絶望に至る笑いから解き放たれて、主によるイサクを迎えようではありませんか。
*聖句は©️日本聖書協会
アドベンチスト・ライフ
2022年3月号
教団総理 稲田 豊