ここ数年、いろいろなところでSDGsという言葉を耳にするようになりました。Sustainable Development Goalsを略したものであり、2015年に国連で採択された、持続可能な、よりよい世界を目指す国際目標であると報じられています。この目標に伴ってよく用いられる標語が、「誰一人取り残さない」です。
日本において6月としては観測史上初めて、40度を越えたことが今年記録されました。私たちは、この人類共通のホームである地球を次世代に持続可能なかたちで渡していけるのだろうかという問いに直面しています。その解決のために努力することは尊いことであります。私たちもそのための努力や協力を惜しみませんが、同時に、最終的な希望はイエス・キリストの再臨にしかないと信じています。ですから、この地上のふるさとを超えて、近い将来完全に出現するイエス・キリストの王国の希望を人々に伝えていくのです。この地上の国をなんとか保持しようと「誰一人取り残さない」と誓っているのなら、神の国に望みをいだく私たちは、なおさらそのような精神を持つべきです。
「わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。律法のない人には─わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが─律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである」(コリント人への第一の手紙9章19~22節/口語訳)。
ここにパウロの「誰一人取り残さない」精神があらわされています。この思いは天の父上とみ子イエス・キリストの思いであり、聖霊を通してパウロに宿ったものです。そしてそれは神の民に受け継がれ、歴史の最後のステージにいる私たちにも宿ったものです。その思いを、初めの愛を、もう一度燃え立たせていただこうではありませんか。
私たちがすべての人を救うことができるというのではありません。しかし少なくとも、誰もこのイエス・キリストの再臨というすばらしい希望を聞いたことがないまま、取り残されてはならないのです。
「牧師は使徒に」。この目標は、聖霊によって「誰一人取り残さない」使徒精神が発露したときに実現します。またその精神により、「信徒は弟子に」になり、「教会は光と塩に」変わっていくのです。マラナ・タ!
*聖句は©️日本聖書協会
アドベンチスト・ライフ
2022年8月号
教団総理 稲田 豊