なぜ試練が降りかかってくるのか
私たちは、自分自身の選択の結果として、困難な状況に陥り、良くないことに出会ってしまうことがあります。勉強をしなければ良い成績が出ず、健康的な生活を送らなければ病気になります。交通規則を守らないと事故に遭うこともあります。正しく法律を守りながら生活すれば、多くの困難を避けることができますが、だからといって、すべての困難を避けられるわけではありません。時には、健康的な生活を送っていても病気になることがありますし、交通規則を守っていても事故に遭うことがあります。
神を信じている人にも試練や困難なことは起こるのでしょうか。
もちろんそうです。忠実に神を信じる人にも試練や困難なことが起こります。
では、試練はなぜ降りかかってくるのでしょうか。
重力は、地球のどこにでも働きます。「重力のせいで生きるのが大変だ」と不平を言う人を見たことがありますか。そんな人は見たことはないと思います。なぜなら人々は、地球で生活する限り、どこでも重力が作用することを前提に生きているからです。冬だからといって、「冬のせいで、もう生きられない」と不平を言う人を見たことがありますか。そんな人も見たことはないと思います。なぜなら、人々は冬になれば寒いということを前提に生きているからです。アラスカの人たちは、「なぜアラスカはフィリピンのように暖かくないのか」と文句は言いません。文句を言う代わりに、寒い天気の中でどのように過ごせるかを考え、準備をします。
罪は地球のどこにでも作用しています。つまり、私たちは罪の影響の中で生きています。誰も例外はありません。ですから、罪の結果である試練や困難が降りかかってくるのは当然のことなのです。
試練の迎え方
試練に遭ったとき、皆さんはどのように反応しますか。なぜ私にこんなことが起こったのか、なぜ神様は守ってくれないのか、なぜ足りない部分を満たしてくれないのかと不平不満を言いますか。
実は私たちは、そのように不平不満を言う必要はありません。重力について不平を言う人がいないように、冬を迎えたときに、なぜ私にだけ寒さを与えるのかと不平を言いながら人生をあきらめる人がいないように、試練と困難についても、なぜ私にだけ試練があるのか、なぜこんなに辛いのかと愚痴をこぼしたり、あきらめたりする必要はありません。善人であれ、悪人であれ、誰もが罪のために困難を経験するのです。
さまざまなトラブル、死など、私たちがこの地球に住んでいる以上、事件や事故は私たちの周りで起こり続けるでしょう。このようなことは誰にでも訪れることです。ですので、試練と困難に対して私たちは、なぜこんなことが起こるのかと不平不満を言ったり悩んだりするのではなく、どう迎えるかを考えることのほうが重要なのです。
イスラエルがカナンを占領したとき、イスラエルの陣地内にいれば安全で救いを得ることができました。全能の神がおられるので、どんな強力な敵でも打ち負かすことができた時代でした。
エリコを攻撃するとき、神はエリコの城から奪ったものはすべて神のものなので、誰も手を出さないように命じられました。ところがアカンは、戦利品を燃やしてしまうのはもったいないと思い、シナルの美しい上着1枚、銀200シェケル、重さ50シェケルの金の延べ板を自分のテントの下に隠しました。
その結果、イスラエルの民はアイとの戦いで敗北してしまいます。敗北の理由がアカンの罪であることが判明し、家族全員が殺されました。誰もが救われたその時代に、アカンとその家族は滅ぼされてしまったのです。
イスラエル民族の危機の時代がありました。王から民まで皆、偶像に仕えていました。神は多くの預言者を通して警告されましたが、彼らの悪行は止まりませんでした。結局、聖なる神殿がバビロンに攻撃され、すべてが火に焼かれ、完全に廃虚になってしまいました。多くの人々が殺され、生き残った人々は苦しみながら捕虜として連れて行かれました。 その群れの中にいれば、誰もが滅びるしかありませんでしたが、その中にもダニエルと三人の友人のように、救われた人々はいました。
アカンは、世の華やかなもの、目に見えるものを見、皆が救われる状況で滅ぼされました。逆にダニエルと三人の友人は、目の前が最悪の状況にあっても、目に見えない神を見据え、律法を守るために命を賭けたとき、皆が滅ぼされる状況から救われ、歴史の中心に立つことができました。
神を見据える
罪は、イエスが再臨される時になくなるでしょう。その時には、もはや罪の影響の中で生活する必要はありません。しかし、イエスが再臨されるまで、私たちは好むと好まざるとにかかわらず、罪の世界で生きていかなければなりません。
状況が良い時もあれば悪い時もあります。試練が訪れる時もあれば、平安な時もあります。重要なのは置かれた状況ではなく、何を見据えるかです。
困難な状況の中にあって辛くても、神を見据え、神の法則に従えば、その中で勝利することができます。自分の周りの状況がどんなに楽でよく感じても、神ではなく、世の中のものを見れば、滅びの道を進んでしまいます。
どうか一日一日、信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、罪の世界の中で勝利し続ける人生を歩めますよう心から願っております。
*聖句は©️日本聖書協会
李 承真/イ・スンジン
韓国から派遣されたPMM牧師。1977年生まれで、牧会14年目。家内の孟善玉と二人の子ども、李恩恵(16歳)、李サラン(14歳)の4人家族。現在は千葉国際教会、茂原教会を担当。
アドベンチスト・ライフ2024年6月号