セブンスデー・アドベンチスト教会

終わりが迫っています。だから……何よりも

終わりが迫っています。だから……何よりも

終わりが迫っています。だから……何よりも

「万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。 不平を言わずにもてなし合いなさい」(ペトロの手紙一・479節)。

ペトロは万物の終わりが近づいている、時の切迫を訴えていくなかで、まず何よりも心を込めて愛し合いなさいと勧めています。そして、不平を言わずにもてなし合いなさいと言います。問題はいくらでもあります。不平の種はいくらでもあります。そのなかで求められているのは、お互いに励まし合うことなのです。支え合うことなのです。

ここに相互牧会の道が開かれています。宗教改革者マルチン・ルターが再発見した万人祭司の真理の実践です。もてなしというのは、食を与えることを含みます。文字どおりの食物と霊的な食物の両方です。私たちはお互いに耳を傾けます。そして、折にかなった言葉によって兄弟姉妹たちを、天の聖所におけるキリストのとりなしと清めの業に身を委ねるように勧めていくのです。それが具体的な愛の実践です。そのことが多くの罪を覆うことになります。それは隠蔽するということではありません。実際に私たちの思いが地上の問題や罪から天の至聖所の大祭司に向けられるときに、私たちは清められていくのです。ですから、私たちはお互いに見つめるべき方を見つめるように励まし合うべきです。

イエスは、終わりの時代には愛が冷えると言われました。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われるとも言われました。神の愛に贖われ、清められる群れ、日々聖霊によって希望をいただき、お互いに愛し合う群れが、終わりの時代にこの世の灯台として立ちます。お互いに愛し合うときに、彼らがキリストの弟子であることを、すべての人が認めるからです。愛し合う弟子たちの群れが、この世における目に見えるキリストの体となります。それが教会です。

私たちが清められる道はここにあります。完全への道はここにあります。イエスが言われた完全とは、敵を愛する愛です。そして、それは私たちから出るものではなく、父なる神とイエスと聖霊から発せられる愛です。この愛を受けて私たちもその光を反映します。

神学者ボンヘッファーは、とりなしの祈りにおいて起こることを次のように表現しています。「それまでは私にとって無縁であり、また耐え難く思われた彼の顔も、とりなしの祈りにおいて、そのためにキリストが死に給うた一人の兄弟姉妹の顔に変わる」(『共に生きる生活』82ページ)。これは、今教会が天の至聖所の大祭司イエスに祈るときに起こっている奇跡なのです。

*聖句は©️日本聖書協会

アドベンチスト・ライフ2023年1月号
教団総理 稲田 豊