セブンスデー・アドベンチスト教会

約束を破る人は信頼できない

約束を破る人は信頼できない

1898年、イギリスは香港島を中国から99年間租借する約束を結び、1984年に英中共同声明を発表して、1997年に香港の主権を中華人民共和国に返還することを発表しました。一方中国は一国二制度をもとに、香港を特別行政区として社会主義政策を2047年まで実施しないことを約束しました。しかし、今年6月、中国共産党は「香港国家安全維持法」を可決し、香港の「50年間民主主義下に置く」という約束は反故にされてしまいました。

2015年、日本と韓国の間で「日韓間の慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」合意がなされました。しかし韓国の文在寅政権は、前政権が結んだ日韓合意には内容及び手続き面で重大な欠陥があるから無効であるとして、日本が支払った10億円を元に作られた「和解・癒やし財団」を19年に解散しました。今年9月には韓国系市民団体がドイツのベルリンに慰安婦像を設置して、「最終的、不可逆的に解決」したはずの問題を未解決の問題へと逆戻りさせました。このほかにも、いわゆる徴用工問題では1965年に結ばれた「完全かつ最終的に解決された」はずの日韓請求権協定を反故にして、新たな請求をしています。

これらは、人間社会では約束は守られないという実例です。50年間は守ると約束したのに、実際に守られたのは半分にも満たない23年間でした。「完全かつ最終的」「不可逆的」という文言まで入れて、確実に問題解決したことを保証したはずなのに、まだ終わっていないと主張されます。こうした実例を見ると、約束を守ってくれると信じることが馬鹿らしく思えてきます。約束を破る人は信頼できません。どうせ約束してもすぐに破られるし、守るように要求しても、謝るどころかウソを並べて逆襲する始末ですから、気が滅入るだけです。

約束を必ず果たされる神

しかし、どれほど約束が守られない世の中であっても、クリスチャンは約束を誠実に可能な限り守るべきです。なぜなら、私たちが仕える神様は約束を忠実に守る神だからです。

聖書は、神様が約束を守る方であることを繰り返し明らかにしています。たとえば、子どもがいなかったアブラハムに対して、神はやがて子孫が生まれ、その子孫は異国で400年間奴隷となることを伝えます(創世記15章13節)。その25年後、約束どおり息子イサクが生まれ、子孫であるイスラエル人はエジプトで奴隷となりましたが、「四百三十年を経たちょうどその日に、主の部隊は全軍、エジプトの国を出発した」(出エジプト記12章41節)のです。

ここからわかることは、神様はどれほど時間が経っても、その約束を果たされるということです。神様は約束を少しも変更することなく、律儀に完全に守られます。神様はアブラハムとの約束を守ってイスラエル人を奴隷から解放してくださったというのに、イスラエル人は感謝するのも束の間、すぐに神に逆らうようになります。彼らは金の子牛の像を造り、それを拝んだのです。イスラエル人からすれば、「神は約束を守ったのに、なぜあなたがたは神に従わないのか」と責められても、それは関係ない話です。その約束は神様が先祖アブラハムと勝手に結んだ約束に過ぎず、自分たちが全く関わっていない以上、何をしようと自分の勝手だろうと言うのです。

神の怒りを招く約束の軽視

人間は今も昔も約束を軽視し、自分の都合の良いように解釈して破ります。しかし、それは神の怒りを招く行為です。神様はモーセにこう言われました。「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。……わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする」(出エジプト記32章9、10節)。いくら約束したとは言え、これだけ反抗する民であるならば、アブラハムとの約束を守る義理はなく、約束を反故にしても当然のことだと誰もが納得できます。

しかし、驚くことに、結果的に神様はこの状況でも約束を守られるのです。モーセはこう言って神様を説得します。「どうか、あなたの僕であるアブラハム、イサク、イスラエルを思い起こしてください。あなたは彼らに自ら誓って、『わたしはあなたたちの子孫を天の星のように増やし、わたしが与えると約束したこの土地をことごとくあなたたちの子孫に授け、永久にそれを継がせる』と言われたではありませんか」(同13節)

モーセは神様に対し、約束が一度結ばれた以上、どんなに状況が変わってもそれを守る、それが神様としての義務だというのです。もし約束を守らなければ、イスラエルの神は約束を破る神とみなされ、他国の神々よりも信頼性に劣る神になってしまいます。約束を守らないことは神の名を貶めることになるのです。だから神様は忠実に約束を守ります。

約束を守る神こそ、救いの要

神様はどんな状況になっても必ず約束を守ってくださる方であるということは、私たちにとって二つの点で救いの保証となっています。第一に、再臨によって天国に行ける保証です。この2000年間再臨はありませんでしたが、イエス様が私たちを天国に迎え入れるために来ると約束した以上、再臨は100%信じることができます。第二に、罪人であるにもかかわらず私たちが義とされることが保証されます。私たちは神様の約束を信じるだけで、神の前に義とされるからです。アブラハムが、子孫が生まれることを信じたとき、「主はそれを彼の義と認められた」(創世記15章6節)とあります。アブラハムは息子イサクを捧げる行為によって義とされたのではなく、神の約束を信じただけで義とされ、救いが保証されたのです。

約束を守る神がなさった約束を信じることは、決して難しいものではありません。どんな罪人でも神の約束を信じるだけで救われるというのは、なんとありがたい約束でしょうか。約束を守る神こそ、私たちの救いの要です。

*聖句は©️日本聖書協会

齋藤愛輝/さいとうあいき

沖縄三育中学校チャプレン

教師として沖縄三育中学校で国語、広島三育高校で生物を主に、計12年間教える。2003年から牧師となり、豊橋、沖縄三育中学校、韓国竜山日本人教会で奉仕する。今年度、再び沖縄三育中学校チャプレンとなり、聖書と社会を教える。

アドベンチスト・ライフ2020年12月号