セブンスデー・アドベンチスト教会

危機の時、私たちが信頼すべきもの

危機の時、私たちが信頼すべきもの

教会は危機に直面しているとよく言われます。感染症による教会活動の萎縮、少子高齢化の影響、都市集中化現象、社会の宗教的価値観、第4次産業革命などの外的要因、また教会の世俗化、教会論の危機、アドベンチスト教会としてのアイデンティティーの混乱、機関主義、教役者の不足などの内部的要因が危機の原因であると語ったりもします。しかし、答えはいつも聖書にあることを忘れてはなりません。
歴代誌下20章に書いてあるヨシャファトの例から、私たちの直面している危機の本質とその乗り越え方について考えてみたいと思います。

危機の本質

ヨシャファトは、「イスラエルの王アハブの治世第四年に」(列王記上22章41節)35歳で王位に就き、25年間ユダ王国を治めました。彼は「高台とアシェラ像」を取り除いたり(歴代誌下17章6節)、「神殿男娼……を……国から除き去った」り(列王記上22章47節)、イスラエルの町々に高官、レビ人、祭司を遣わして神のみ言葉を教えたりして(歴代誌下17章7~9節)、イスラエルの信仰を改革しました。神はこれを祝福し、イスラエルを強くしてくださったのです(同17章10節~18章1節)。
しかし、ユダ王国の富と栄光が頂点に達したとき、ヨシャファトは危機を招いてしまいます。彼はアハブと姻戚関係を結び、ラモト・ギレアドを占領するためにアラムとの戦争を決意しました(同18章1~28節)。神に対する生きた信仰を持っていたヨシャファトは、この戦争についての神のみ心を知りたいと思い、預言者たちを通して神の判断を聞こうとしましたが、アハブの預言者たちとミカヤは正反対の答えを出します。自分たちの期待していた答えをしてくれなかったミカヤを、アハブは投獄します(同18章25~27節)。ヨシャファトはこのミカヤの投獄を傍観するだけでした。その結果は悲惨なものでした。アハブは、敵の兵の「何気なく」弾いた弓によって死に、安全にエルサレムに戻ったヨシャファトは、預言者イエフの譴責を受けます。
ヨシャファトは神の言葉に聞き従おうとしていたように見えます。しかし、いざ預言者ミカヤを通して神の言葉が与えられたにもかかわらず、何も反応を示しませんでした。こうして彼が、神に聞き従うより、自分の思いに神を従わせたいと望んでいたことがあらわにされたのです。危機の本質は神を信頼せず、自分の判断や置かれている状況を信頼したことでした。

危機の乗り越え方

ヨシャファトは失敗を通して学んだようでした。彼の統治晩年に訪れた国家存亡の危機のとき、彼は全国民と共に神のみ前に立ち、断食して祈ります(歴代誌下20章1~4節)。ヨシャファトは彼の祈りの中で神の主権を認め、神が先祖たちと結んでくださった約束を思い出します(同20章5~13節)。王と国は自分たちの力に頼らず、心を一つにして神に助けを求めることによって、彼らが直面している危機を乗り越えようとしたのでした。
ヨシャファトは国民に対して、自分の王としての今までの戦闘経験や能力を信頼するようにとは言いませんでした。彼の王としての権威を主張したりもしませんでした。彼は、自分は今までこのような危機的状況に対してよく備えてきたから安心するようにとも、自分たちのよく訓練されている軍隊を信頼するようにとも言いませんでした。実際そのような戦争の準備と内政に努めて国を強くしてきたにもかかわらず、彼はただ神とその御言葉だけを信頼することにしたのです。
ヨシャファトは神に対する信頼に基づいて、その命令に従いました。神は戦闘に勝つための具体的な戦術を教えてくださいませんでした。どのような武器を持って、どのように戦うべきか、どこを攻略すべきかは、教えられませんでした。それにもかかわらず、ユダ王国の軍隊は、ただ神を賛美し、神に対する彼らの信頼を表したのです(同20章19、22、28節)。そして彼らには大きな勝利が与えられました。

私たちは状況を正確に判断する力を持っていません。ただ神だけがすべてを見通すことがおできになるお方です。神は出エジプトを通してこれを教え、約束の地カナンに向かう荒れ野の生活の中でも、これをイスラエルに覚えさせられました(出エジプト記14章13~16節)。私たちは人生におけるすべての状況において、神とそのみ言葉を信頼しなければなりません。
私たちは伝道するとき、日本特有の文化、人との関わり方、教会のイメージを考慮し、まず方法を探しがちです。もしエリコの前でイスラエル人が戦術と方法、文化、そして自分たちのイメージを気にしていたなら、決して成功することはなかったはずです。神は常に正しいお方です。人間のどんなに愚かな計画であっても、神のみ心に合うなら成功します。私たちの目標は、教会によいイメージを持ってもらうことでもなく、神をよく思わせることでもなく、私たちの信仰とライフスタイルについて理解してもらうことでもありません。私たちの目標は、行って、すべての民をイエスの弟子にすることなのです(マタイよる福音書28章20節)。
私たちが気にしなければならないのは、私たちが神の命令をきちんと守っているかどうかです。私たちは成功する方法を探しますが、神は神の命令に忠実に従う人を探しておられるのです。ヨシャファトは今日の私たちに訴えます。「あなたたちの神、主に信頼せよ。そうすればあなたたちは確かに生かされる。またその預言者に信頼せよ。そうすれば勝利を得ることができる」(歴代誌下20章20節)。

*聖句は©️日本聖書協会

羅 明勲/ラミョンフン

韓国ソウル出身。韓国の三育大学神学科を卒業し、日本での牧会を志して来日。2013年から日本での牧会を始め、亀甲山教会、天沼教会を牧し、2019年からフィリピンにあるAIIASで修士課程修了。2021年に日本に戻り、函館教会・苫小牧集会所・静内聖書研究会を経て、現在札幌教会・小樽集会所、札幌三育幼稚園・小学校チャプレンとして奉仕している。

アドベンチスト・ライフ2022年12月号