マタイによる福音書7章28節の終わりには、「群衆はその教にひどく驚いた」とあります。この「ひどく驚いた」という言葉は、5章から7章にかけて語られた山上の垂訓の最後の部分です。その場面をエレン・ホワイトは次のように言っています。「人々は、キリストの言葉に深い感動を覚えた。真理の原則の聖なる美しさが、彼らを引きつけた。そしてキリストの厳粛な警告が、心を探る神の声のように彼らに聞こえた。その言葉は、彼らの持っていた思想や意見を根こそぎゆさぶった。その教えに従うならば、思考や行動のあらゆる習慣を、変えざるを得ないのである」
彼らは感動するだけでなく、心を探り、根こそぎゆさぶられたとあります。私たちの知識や信仰体験や想像などではとうてい思い浮かばないような神のわざに驚いたのです。ただ知識的に深いとか広いということではなくて、神の子としての権威が感じられたのです。それは、「彼らを彼らの宗教教師と衝突させることになるだろう。なぜなら、それは、ラビたちが幾世代にもわたって築いてきた全機構を、一切くつがえすことになるからである」とエレン・ホワイトが語っている通りです。
神の子としての権威が授けられているキリストのお言葉です。私たちはその大事なお言葉をいただいて、預かっています。教会はそのお言葉を大事にしなければなりません。
そのキリストのお言葉はすばらしいものでした。群衆は感動し、喜びで満たされました。イエスがおいでにならなければ、この世の貧しい者はいつまでも貧しさの中にいたでしょう。そのような人々をキリストは解放されました。新しい世界を彼らに提供されました。彼らは大いに喜び、ひどく驚きました。
裾野に横たわる現実世界
「すると、そのとき、ひとりの重い皮膚病にかかった人が……」(マタイによる福音書8章2節)とあるように、山上の垂訓が終わり、感動し、喜びに満ちて下山した彼らを、裾野では問題が待ちうけていました。重い皮膚病におかされた人や、苦しみや差別された人たち、また中風の人がいました。裾野では、現実の世界があったのです。
イエスは私たちに大事なことを教えています。教会では、礼拝やセミナー、講演会で、おごそかなピアノの音に心を落ち着かせ、賛美歌を歌い、ガイドの研究をし、説教を聞き、講演会の講師のお話を聞くことによって、素晴らしい宗教的体験をします。しかしひとたび教会の門を出ると、それまでとは違う光景があります。重い皮膚病の人や中風の人、熱病の人たちに出会うのです。
私たちは安息日ごとに教会に行き、神様を礼拝しています。毎週聖書の学びをしています。そこでイエスについて、また、いかに信仰を持つべきかについて学びます。山に登ってイエスの話を聞き、感動しましたが、下山して普段の生活に戻るとその感動は薄れ、しまいには、いったいこの現実世界においてどれだけの影響力や意味を持っているのかと考えてしまうのです。「人々の心はその言葉に反応したけれども、それを人生の指針として喜んで受け入れる者は、ほとんどいなかった」とエレン・ホワイトは語っています。
裾野での信仰告白
重い皮膚病の人は、「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」(8章2節)と言い、百卒長は、「主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります」(8節)と言い、ペトロの姑の病気がいやされることについては、人々がイエスに頼んだとあります(14節、ルカによる福音書4章38節も参照)。そのように、現実世界の中で一人ひとりが、イエスに求めていました。そして、「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」という言葉は、あなたのみ旨がなるならば、きっとみ旨のままに、必ず病は癒されるという信仰の告白です。百卒長は、「お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります」と言いましたが、あなたの言葉には権威がありますから、ただあなたが命じてくださればけっこうです、という信仰告白をしました。
「あなたは、キリストに従う者になりたいと願いながら、どのようにして始めたらよいかわからずにいるだろうか。あなたは暗い中で、光を見いだす方法を知らないでいるだろうか。今、持っている光に従うことである。あなたの知っている神のみことばに、従う決心をしなさい。神の力、神の命そのものが、みことばのうちに宿っている。あなたがみことばを、信仰をもって受け入れる時、それはあなたに服従する力を与える。あなたの持っている光に従えば、もっと大きな光がくる。あなたは神のみことばの上に築いているのであって、あなたの品性は、キリストの品性に型どってかたちづくられる」(エレン・ホワイト)。
現実世界で出会うキリスト
百卒長の、「ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります」の言葉ゆえに、イエスは、「イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない」(10節)と言われました。イエスは私たちの中にそのような信仰を見たいのです。忠実に神様に従って行動するように求められています。私たちの現実世界は、山上にあるのではなくて、裾野にあるのです。日々の現実世界でイエスに出会った人々は、イエスにより頼み、確かな信仰を持ち、希望を持っています。
日々の礼拝や安息日の礼拝だけでなく、この現実世界の生活すべてにおいて、イエスは共にいてくださいます。それも世の終わりまで、いつも共にいてくださいます。それが私たちの生きる道です。宗教は現実世界から逃避していると世の人々は言いますが、そうではありません。現実世界の中で私たちは神様に希望を抱いています。現代の私たちはみ言葉一つすら伝えるのに困難を覚えます。中風の人を癒すなど、とても私たちの力ではできません。不可能を可能にしてくださったのがイエス・キリストです。すべての解決は彼にあります。私たちの信仰生活のみならず、すべてがイエスへの希望にかかっています。彼により頼みながら信仰生活を全うしていきましょう。
*文中のエレン・ホワイトの言葉は『希望への光』1185、1186ページより
*文中の聖句は口語訳聖書を使用
富浜宗言/とみはまそうげん
1955年那覇市にて出生。那覇教会を皮切りに宮古、八重山、浦添、与那原、刈谷、奥間、名護にて牧会。その間、教団ラティノ担当、地区長、教区長補佐、教区長を歴任。現在、石川三育保育園園長、石川・コザ教会牧師。
アドベンチスト・ライフ2020年2月号