セブンスデー・アドベンチスト教会

御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても

御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても

御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても

パウロの自問自答

「御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても」(テモテへの第二の手紙4章2節/口語訳)。パウロが愛弟子のテモテに語ったこの言葉は、パウロが生涯にわたって、自分自身に語りかけてきた言葉でもあります。

パウロの回心は、使徒言行録9章のダマスコ途上でのイエス・キリストとの劇的な出会いによってもたらされました。しかし、彼をその回心に導いた潜在的な動機、彼の伝道者としての生き方、精神、目標といったものは、それ以前に遭遇した、すさまじい情景によってもたらされたように思います。

その情景とは、ステパノの殉教です。ステパノは偽りの証言によって訴えられ、議会の中で弁明をしますが、その時の彼の説教に怒り狂った人々によって、都に引きずり出され、石打ちの刑に処せられます。悪魔と化した人たちによって、息絶えるまで、石を打ちつけられました。目を覆いたくなるようなすさまじい光景の中で、ステパノの顔は天使のように輝いていました。

パウロを回心に導いたステパノの殉教

ステパノが死を目前に見たものは、仲保者なるキリストが神の右に立ち、とりなしている姿でした(使徒言行録7章56節)。彼が、死に至るまで、平安と栄光を失うことがなかった理由が、ここにあります。ステパノが、最期にひざまずいて大声で叫んだ言葉は、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」(60節)というとりなしの祈りでした。これは主イエス・キリストが十字架上で語られた、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」という、赦しととりなしの祈りに重なります(ルカによる福音書23章34節)。これらの情景は、パウロの回心とその後の人生に大きな影響を与えました。

エレン・ホワイトは、次のように述べています。「ステパノの殉教を目撃した人たちはみな深い感動をおぼえた。彼の顔に押された神の印の記憶と、聞いた人々の心を動かした彼の言葉は、目撃者の心にいつまでも残って、彼が宣べ伝えていた真理のあかしとなった。彼の死は教会にとって苦しい試練であったが、サウロが導かれたのはこのおかげであった。サウロは殉教者ステパノの信仰と忠誠、その顔にやどった栄光をどうしても記憶から消すことができなかった」(『患難から栄光へ』上巻104ページ)。

ステパノはペテロのように、1回の説教で3千人を悔い改めに導くようなことはありませんでした。しかし、パウロというとんでもない人物の回心とその後の人生に大きな影響を与えました。迫害者サウロが伝道者パウロに変わっていったのは、ステパノとの出会いによるのです。それは、「時が良くても悪くても、御言葉を宣べ伝えている」ステパノの姿にあります。

使徒言行録7章には、ステパノの説教が記されています。なんと聖書の4ページにわたって説教しています。彼はアブラハムから始まって、モーセ、ダビデ、ソロモンに至るまで、イスラエルの歴史と彼らに対する訓戒を聖書のみ言葉を通して語っています。敵意と殺気に満ちた最悪の状況の中で、平静を失うことなく、聖霊に満たされ、主の栄光を仰ぎつつ、堂々とみ言葉を語っているステパノの姿に、パウロは深い感動と衝撃を受けました。彼はその情景を、生涯、その脳裏から消し去ることはできませんでした。

救いに導かれたK子さん

コロナ禍の8月に、若い夫婦がバプテスマを受けました。彼らを救いに導いたのは、K子さんという77歳の病弱な女性です。K子さんは今まで、胆嚢がん、皮膚がん、糖尿病など、さまざまな病を患い、今も治療中です。そのような中で、週2回、家庭を開放し、隣に越してきた4人の未就学児のいる若いご夫婦の聖書研究を務めてきました。教会に来る時も血糖値が思わしくなくて、途中1時間ほど車を止めて休んでくるために、教会に着いた時には礼拝が終わっていることもありました。

話は20年前にさかのぼります。当時、私が沖縄三育小学校の中にある北中三育教会の牧師として働いている時に、K子さんはお孫さんの三育小学校入学を機に聖書研究をするようになり、主イエスを救い主として信じ、バプテスマを受けられました。その後5年間で、娘さん、お婿さん、2人のお孫さんが、次々にバプテスマを受けられました。2人のお孫さんの1人は、当時、三育小学校1年生でしたが、今では、三育小学校の教師として献身しておられます。

生前葬での伝道講演会

私は5年前、関東から沖縄の北部の教会に戻ってきました。その1年前、K子さんのご主人がバプテスマを受けられました。宗教に無関心だったご主人が教会に導かれたのは、病弱なK子さんが理由でした。当時、K子さんは皮膚がんにかかり、車を運転できなくなってしまいました。ご主人は、教会に行けなくて失意の中にあったK子さんを気の毒に思い、教会までの送迎を買って出ました。しかし、病弱なK子さんを教会に置いておくのも心配で、送迎だけでなく、教会の中でも見守り支えようと思い、K子さんの隣に席をとり、一緒に礼拝に参加するようになりました。

バプテスマを受けた1年後、胃の末期がんで手術もできない状態であることを知ったご主人は、「私が死んだ後、葬式はしなくてもいい。生きている間に、みんなに話したいことがあるので、生前葬をしたい」という希望を伝えたのです。

事業を営んでいたご主人は、全社員と親族を会社のホールに集めると、「私がキリスト教信者になった理由」と題して、自ら講師となり、キリスト教伝道講演会を行いました。死の床に就いた時、ご主人は、「K子、愛しているよ。イエス様に導いてくれてありがとう」と、にこやかに安らかに眠りにつかれました。ご主人より先に死ぬと思っていたK子さんは、残され生かされた命は、今までと同じように、「御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても」をモットーに、一瞬一瞬を主に従っていきたいと思っています。

愛する皆さん、「時が良くても悪くても、御言葉を宣べ伝える」こと。これこそが私たちの命を最高に輝かす瞬間なのです。主の平安と恵みが共にありますように。マラナ・タ─主イエスよ、来たりませ。

*聖句は©️日本聖書協会

北睦夫/きたむつお

奥間教会・名護教会牧師

1959年12月生まれ。鹿児島県出身。60歳。三育学院カレッジ神学科卒、AIIAS修士課程修了。
現在、奥間教会・名護教会牧師、沖縄教区中部北部地区長。35年間の牧会伝道、全国24か所の教会・集会所を担当。引越・転勤12回。家族は沖縄県恩納村出身の妻と3人の子ども。

アドベンチスト・ライフ2020年11月号