「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」(マタイによる福音書25章21、23節)。
「タラントンのたとえ」で、預けられた5タラントン、2タラントンを倍増させた僕に主人が言った言葉です。一方、預けられた1タラントンを1デナリも失うことなく、しかし1デナリも増やすことのなかった僕には、「怠け者の悪い僕だ。……この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう」との言葉が与えられたのです(マタイによる福音書25章26、30節)。
5タラントン、2タラントン預かった僕は何の努力も挑戦もせず、それを増やしたのでしょうか。決してそうではないと思います。1タラントンを埋めていた僕は、主人から「怠け者」と叱責されたからです。彼らは必死に祈り、懸命に戦い、主人から預けられた貴い財産を増やしたのです。
教会もそれぞれに大切な財産としての羊を、主であるキリストから預かっています。その羊を、愛をもって飼い、養い、増やすことを主から期待されているのです。私たちは「忠実な良い僕」となっているでしょうか、それとも「怠け者の悪い僕」でしょうか。私たちの教会は、救霊使命に邁進する忠実な良い教会でありたいと思います。
いま「ハクソー・リッジ」という映画で脚光を浴びているデズモンド・ドスは、セブンスデー・アドベンチストの良心的兵役拒否者の衛生兵でした。第二次世界大戦時、弾丸飛び交う戦場で必死に負傷兵を救出していた彼は、祈り続けていました。「神さま、あと一人、あと一人助けさせてください」。彼が決戦の戦場に赴く前にしたことは、キリストに従うことを瞑想し祈ること、そして帰還後にしたことは、聖書を読み、やはり祈ることだったと言います(『デズモンド・ドス〜もうひとつの真実』福音社刊より)。そして、一人ずつ大切な命を助け出したのです。教会も、いつもみ言葉と祈り、そして教会の主であるキリストに従うことを求め、あと一人を救うことに献身し続けたいと思います。
「疲れた 苦しいもうやめた では 人の命は救えない」
海猿と呼ばれる海上保安庁特殊救援隊に受け継がれている言葉です。この世の命を救うために、海猿も決死の覚悟で救助に立ち向かいます。永遠の命を委ねられている教会もまた、全き献身をもって十字架のキリストに従うのです。
「それから、イエスは皆に言われた。『わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである』」(ルカによる福音書9章23、24節)。
この献身は、祈りによる聖霊の満たしによってのみ初めて可能となる絶対的献身です。共に、忠実な良き僕の教会として、救霊に献身してまいりたいと思います。
教団総理 島田真澄 アドベンチスト・ライフ2017年7月号