神の愛による一致
トロント日系アドベンチスト教会があるカナダのオンタリオ州は、近年の移民政策により、多くの移住者がやってきています。この教区では、アドベンチスト信徒が3万5000人いるといわれていますが、その大半が新興国や発展途上国から移民してきた人々か、彼らの子どもたちだといわれています。
移民してきた人々は、信仰を固く保ちつつ、苦労しながら生活の基盤を築いています。しかし、世代が変わり豊かな生活に慣れてくるにつれ、人々は教会から離れていってしまうのです。
使徒パウロは、私たちの終わりの時代について、み霊により次のように預言しています。「しかし、御霊は明らかに告げて言う。後の時になると、ある人々は、惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、信仰から離れ去るであろう」(テモテへの第一の手紙4章1節)。
サタンは、キリストを中心とした一致を妨げるために、ありとあらゆる攻撃を仕掛けてきます。終わりの時代は、夫婦関係、家族関係のみならず、教会においては世代間の一致や、ありとあらゆる一致が非常に難しくなっています。サタンは私たちが一致するのを恐れます。それは、私たちが一致して祈るとき、私たちに指一本触れることができないからです。
キリストが十字架に架けられる前、弟子たちは誰が一番偉いかと争っていました。このような中で、主は何を語られたのでしょうか。どのようにして、この不一致を一致へと導かれたのでしょうか。ヨハネによる福音書17章23節で、主イエスは次のように熱心に祈られました。
「わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします。父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。 わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。 わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります」(ヨハネによる福音書17章20~23節)。
イエスは、「一つとなる」ことをわずか4節の中で4か所も言及しておられ、最後には「完全に一つとなるため」と言われています。私たちの目指す一致は、ここにあります。しかも、神の愛による一致は、「世が信じるようになるため」であり、神の愛を「世が知るため」なのです。
「使徒たちは習慣も気質もまったくちがっていた。……この人たちは、いろいろな欠点と、みな先天的後天的な悪への傾向を持ったまま集められた。しかしキリストのうちにあって、またキリストを通して、彼らは、神の家族のうちに住み、信仰において、教理において、精神において一つとなることを学ぶのであった。彼らは、試練も、苦情も、意見の相違もあったが、しかしキリストが彼らの心に住んでおられるかぎり、不和があるはずはなかった。キリストの愛がお互いの愛となり、主の教訓がすべての不和を一致へみちびき、弟子たちは一体となって、ついには一つの心、一つの意見となるのであった。キリストが大中心であり、彼らはその中心に近づくにしたがって、お互いに接近するのであった」(『各時代の希望』382、383ページ)
信仰の破船に会わないために
パウロは、終わりの世において信仰の破船に会わないために、次のように忠告しています。
「わたしの子テモテよ。以前あなたに対してなされた数々の預言の言葉に従って、この命令を与える。あなたは、これらの言葉に励まされて、信仰と正しい良心とを保ちながら、りっぱに戦いぬきなさい。 ある人々は、正しい良心を捨てたため、信仰の破船に会った」(テモテへの第一の手紙1章18、19節)。
この「正しい良心」とは、どういう意味でしょうか。ただ、善悪を判断する、内なる感情や声なのでしょうか。この本来のギリシャ語には、「ともに知る」という意味があります。これを深めていくと、「自分の中で対話する」、「人を超越したものと対話する」ということになります。つまり、「神との対話の中で、正しく知る」という意味になるのです。
「パウロは議会を見つめて言った、『兄弟たちよ、わたしは今日まで、神の前に、ひたすら明らかな良心にしたがって行動してきた』」(使徒行伝23章1節)。
「きよい良心をもって、信仰の奥義を保っていなければならない」(テモテへの第一の手紙3章9節)。
私たちは、人を超越した神との対話の中で、真理を知り、正しい良心を保たなければなりません。しかし、現在の私たちは、慌ただしい生活の中で深く考えることが少なくなり、確固とした良心を持たず、周囲に流されていく傾向があります。私たちは、世界が終わりに向かって狂ったように進んでいくとき、立ち止まって、自分が正しい良心に立つことができているのかを確認しなければなりません。日々神と交わり、み言葉と祈りによって真理を知ることによってのみ、私たちは間違わずに進むことができるからです。
「最後に言う。あなたがたは皆、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、謙虚でありなさい」(ペテロの第一の手紙3章8節)。
私たち一同、神の命令に従い、正しい良心と愛をもって、一致してともに歩んでいきたいと思います。
*聖句は©️日本聖書協会
小川春嗣/おがわはるつぐ
1969年福井県生まれ。トロントで信仰に入る。天沼、静岡、北浦三育学院、PMM宣教師として韓国、アドベンチスト・メディカルセンターで働き、アンドリュース大学での学びを経て、トロント日系教会8年目。今年4人の子どもが離れて、妻・伴子とともに献身の思いを新たにする。趣味は大自然の中でのキャンプ。
アドベンチスト・ライフ2023年10月号