セブンスデー・アドベンチスト教会

使徒は衰えねばならない

使徒は衰えねばならない

「しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので」(ローマの信徒への手紙15章23節)。

パウロは「今はもうこの地方に働く場所がない」と言っています。パウロはエフェソとコリントを例外とし、一つ所に長くとどまることをしませんでした。聖霊の導きのままに次々と移っていきます。ときには迫害によって追い出され、次の場所に移っていきました。日本の武士は一族の所領を守るために命を賭けたということから、「一所懸命」という言葉が生まれたといいます。パウロにはこの一所懸命の精神はありません。むしろ聖霊の導きのままに自由に動いていきます。
使徒言行録13章にピシディア州のアンティオキアという町から、パウロとバルナバが追い出されたことが記録されています。彼らから福音を聞いて信じて救いに入ったこの町の弟子たちは、自分たちに福音を伝えてくれた人たちを失いました。その彼らについて、「他方、弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた」(使徒言行録13章52節)と書かれているのです。自分に福音を語ってくれた人たちが追放されてしまったら、普通は悲しむのではないでしょうか。それが喜んでいるというのは不思議です。彼らは人間に頼るのではなく聖霊に頼ることをすでに学んでいたのです。彼らが集うときに、聖霊がともに働き、み言葉を開いてくださることを経験していたのでしょう。ですから彼らはパウロたちが取り去られても、喜びと聖霊に満たされていました。

パウロはケースによっては、自分が消えることがむしろ弟子たちの利益になることを知っていました。だから彼は、もはや東方には自分の働き場所がないと言ったのです。自分はここでは必要がないということです。聖霊による独り立ちを促すために彼は一つ所に留まりません。弟子は人でなく聖霊に頼ることを知らないといけないからです。イエスの弟子になるのであって、パウロの弟子になるのではありません。パウロはその危険を感じたときは自ら身を引いたのではないでしょうか。私どもの弟子訓練の要諦は、自分が最終的に必要とされなくなることでしょう。イエスの弟子を育てるのであって、自分の弟子を育ててはいけません。

バプテスマのヨハネとともに「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(ヨハネによる福音書3章30節)と言えるものが使徒と呼ばれる資格を持つのでしょう。

*聖句は©️日本聖書協会

アドベンチスト・ライフ2023年9月号
教団総理 稲田 豊