「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」(コリントの信徒への手紙一・15章58節 ©️日本聖書協会)。
主の業とは、私たちに与えられた使命です。使命とは一人ひとりに呼びかける神が、召命と共に与えて下さる新たな生きる目的です。まさに神に「召された」者の命が、神によって「使われる」命となり、主の業、使命(Mission)に生きる者となるのです。
神がすべての神の民に与えた共通の使命があります。それは「地の塩、世の光」となり、「行って、すべての民をキリストの弟子にする」という最高の使命です。ただしその使命遂行の方法はさまざまであり、召命により異なります。
時に自分に与えられた使命を成し遂げることが非常に困難に思え、打ちのめされそうになることがあります。自らのあらゆる力の不足が、大巨人ゴリアテとの闘いのように無謀に思えるのです。そして、カナン人に怯える10人の斥候のように退却を主張させます。使命遂行そのものが不可能に思え、投げ出したくなるのです。
しかし忘れてはならないのは、私たちを召し出し、使命を与えられたのは主なるイエス・キリストであるという事実です。日本に住むすべての民を彼の弟子にする大宣教命令を与えられたのは、私たちに救いと永遠の命を与えて下さったキリストご自身です。キリストの愛と力を思う時、いま私たちに求められているのは少年ダビデの闘う信仰です。ヨシュアとカレブの前進の信仰です。世界伝道という使命に献身したパウロの救済愛に燃える信仰です。そして使命感です
使命に献身し続けることには、苦しみも涙も伴います。簡単なことではありません。突きつけられている現実は、人間的には深刻かもしれません。しかし、神の御心に従うゆえの苦しみは、日々主に結ばれている限り、決して無駄にはなりません。主はすでにこの世に勝利されています。
「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネによる福音書16章33節 ©️日本聖書協会)。私たちは主と共に、最後まで主の使命に忠実に生きていきたいと思います。
「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり/わたしの道はあなたたちの道と異なると/主は言われる。天が地を高く超えているように/わたしの道は、あなたたちの道を/わたしの思いは/あなたたちの思いを、高く超えている。雨も雪も、ひとたび天から降れば/むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ/種蒔く人には種を与え/食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす」(イザヤ書55章8~11節 ©️日本聖書協会)。
アドベンチスト・ライフ
2020年11月号
教団総理 島田真澄