セブンスデー・アドベンチスト教会

今こそ証を

今こそ証を

誰もが証人

私が担当している入間川教会の講演会で、信徒に証をしてもらったことがあります。というのも、『キリストの弟子ハンドブック』(49ページ)の中に、次のように書かれているからです。

「証しすることは霊の賜物ではありません。聖書の真理を人々と分かち合うのは聖職者または宣教の賜物を持つ一部の教会員の役割であるという考えは、教会の果たすべき使命に致命的な影響を与えます。神の言葉を人々に分かち合う役割はキリストのすべての弟子に与えられているのです。イエスは従ってくる弟子に、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』(マルコ117節)と約束されています。もし私たちが主の弟子となることを選んだのなら、人間をとる漁師になることを選んでいるのです。『神の真理の宣伝は、少数の牧師だけにまかされているのではない。この真理は、キリストの弟子と称するすべての者によってひろめられなければならない』(『クリスチャンの奉仕』『希望への光 クリスチャン生活編』942ページ)」

つまり、証をするというのは、霊の賜物でもなければ、特定の人に任された働きでもなく、みんなができること、みんながすべきことだということです。そして、私たちの人生を変えた救いの大いなる喜びを伝えるとき、真理も一緒に伝えたくなります。

証人は、個人的に体験したこと、見たこと、聞いたことを話します。弟子たちもイエスのなさることを見、イエスの話されたことを聞き、それを証ししました。しかし、私たちは聖書を通してキリストについて知ります。しかも多くのクリスチャンは、証しすることを自分事として捉えていません。自分には証の経験がない、自分は内気で人見知りだ、失敗が怖い……など、言い訳はたくさんあります。

しかし忘れがちなことですが、弟子たちも最初から大胆な証人だったわけではありません。彼らは漁師や徴税人であり、神学の勉強などしたこともありませんでした。だからこそ、「思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください」 (使徒言行録429節)と、彼らは祈ったのです。

証と霊の実

キリストは十字架ですべての人の罪を赦してくださいました。私たちの苦しい思い、罪の責任を肩代わりしてくださいました。それを受け入れるなら、私たちは霊の導きに従って生き、霊の導きに従って前進できると教えられています。そして、そのような経験を積むことで、私たちの中に霊の実が育っていき、愛、喜び、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制がしっかり身についてゆくのです。

チャドウィックという人が、次のようなことを書いています。

「霊の結ぶ実とは、優しく好感の持てる性質、明るい考え方と陽気な性質、穏やかな心と静かな態度、挑発的な状況やしゃくにさわる人がいる中での我慢強い忍耐力、共感的な洞察力と気の利いた助け、度量の広い判断力と寛大な思いやり、あらゆる状況における忠実さと信頼性、他者の喜びのゆえに自己を忘れる謙虚さ、完成の最後のしるしである自己制御。霊の結ぶ実の品性とは、このようなものである。すべてが実という言葉の中にある。それは、努力することによってではなく、つながることによって、気をもむことによってではなく、信頼することによって、行いによってではなく、信仰によって結ぶものである」(20171期安息日学校聖書研究ガイド『聖霊と霊性』52ページ)。

キリストにつながり、霊の実を結ぶとき、証も自然にできるようになるのではないでしょうか。

「今」を伝える証

キリストを信じる者は、自分の信仰を維持していくために継続的な信仰の学びを必要としています。祈ることや聖書を学ぶことです。証も同じだと思います。証をするときも、お気に入りの自分の過去の話だけでなく、日々の祈りや聖書研究、周りにいる方々との日常的な関わりや神との歩みなど、私たちの「今」を伝えることが必要です。

それは、劇的な経験やすばらしい経験ではないかもしれません。泥臭く、みっともないと感じるものかもしれません。しかし、あなたがキリストの十字架と復活を信じ、再臨を待ち望みながら「今」という時を歩んでいる姿は、少なくとも苦しみのただ中にある人や、神を心から探し求めている人の心に訴えると思うのです。

どうしたらそのような証をし続けることができるのでしょうか。それはただ一つ、心から福音を聞くことによってです。神のみ言葉の真理が心の一部となり、生活を動かす力とならなければなりません。天からのマナとしてみ言葉を毎日食べるとき、真理が心に内在し、私たちを駆り立て、証をさせるのです。

小さな光として

教会に集う一人ひとりが勇気を持ち、自分の日々の経験を証しすべき時が、今、来ているのではないでしょうか。神はあなたに、変わってほしいと望んでおられます。あなたの信仰生活は、とても大きな影響力を持っているのです。多くの時間を共にするあなたの隣人は、キリストを信じるあなたの生き方を見ています。私たちは神に従う生活を世に示す光なのです。

その光はマスの下に隠すことができません。キリストという大きな光に導く小さな光ではありますが、隠すことはできないのです。キリストに従う喜びを人々に示す機会があなたにも与えられています。キリストにお願いし、神の愛を人々に示していけるよう、祈り求めてまいりましょう。

*聖句は©️日本聖書協会

平本光/ひらもとあきら
入間川教会、東松山聖書研究会、嵐山聖書研究会、神川聖書研究会、安中集会所牧師。
埼玉県に住む東京西地区長。妻と2人の子ども、発達障害の義両親との6人暮らし。家族伝道に困難を感じながら奮闘しています。

アドベンチスト・ライフ2023年1月号