ソフトバンクの孫正義氏は、10年後にAIは人類の10倍の能力を持つようになると予測しています。さらに、次の10年でAIは人類の1万倍の能力を持つまでになると言います。その段階になるとAIと人間の知能の差は、人間と金魚くらい開いてしまうことになると表現しました。度々の事業買収を成功させ、その頭抜けた先を読む能力を証明してきた、世界的に知られた投資家ですから、おそらくそのとおりになるのでしょう。孫氏はシンギュラリティ、すなわち機械が人間を超える日が来るのも確実な未来であると考えているようです。人工知能の世界的権威レイ・カーツワイル氏は、2045年にシンギュラリティを迎えると予言していますが、孫氏はその予言が実現することを信じて疑うことがないようです。
しかし、何をもって人間を越えたと言えるのでしょうか。IBMのディープブルーが当時の世界チャンピオンを破ったのは1997年のことです。計算能力では、そもそも人間が敵うはずがないのです。初期のコンピューターからして、人間より計算能力が高いから存在価値があったのです。
人間の価値は、スペックや能力や生産性にあるのではありません。キリスト者は神に創造されたことにこそ、人間の価値と尊厳の源があるのだと信じています。仕事に人間の価値を置くことを否定する安息日の真理を知っている私たちアドベンチストは、特にそのことをよくよく骨身に沁みてわかっているのです。
能力が向上してAIの知能が進化しても、人格が宿ることがないと言っていいと思います。東京女子大学学長の森本あんり氏は、そもそもAIは自己を認識できないと言います。限界がないからです。AIは、足りなければいくらでも付け足していけます。無限の拡張性があります。またデータは、いくらでも他の個体に移していけます。だからAIは死を理解することもできないのです。
試しに私もAIに、「あなたは死にますか」と質問してみました。返ってきた答えは、死と解釈することが可能な現象は起こり得ることを認めつつ、「私は死を意識することはできません」というものでした。人間だけが自らの限界を認識するのです。そして私たちは限界を前にして、その限界を超えた方を求め始めるのです。祈り始めるとき、私たちは初めて本来の意味での人間になるのではないでしょうか。AIは祈りません。これは人間のみに許された領域なのです。
「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。主よ、この声を聞き取ってください。 嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください」(詩編130編1、2節)。
あなたもまたこの祈りに導かれ、主はその祈りを聞いてくださっています。
*聖句は©️日本聖書協会
アドベンチスト・ライフ2024年9月号
教団総理 稲田 豊