セブンスデー・アドベンチスト教会

ヨブ記に示された神の愛

ヨブ記に示された神の愛

ヨブに与えられた堪え難い苦難
ヨブ記は難解な書物と言えます。理由もなく与えられた苦しみ、友人たちの慰めを装った厳しい非難、そして叫びにも似た祈りに対しての神の沈黙です。ヨブ記は人生の歩みにおいて、ときに理由もなく遭遇する苦難、試練、絶望を前にした人々の切実なテーマなのです。
ヨブ記は、ヨブの紹介と、神とサタンとの会話で始まります。
「あなたはわたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか」(1章8節)。
その言葉に対して、サタンは答えます。
「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。あなたは彼とその家およびすべての所有物のまわりにくまなく、まがきを設けられたではありませんか。あなたは彼の勤労を祝福されたので、その家畜は地にふえたのです。しかし今あなたの手を伸べて、彼のすべての所有物を撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」(同9~11節)。
「主はサタンに言われた、『見よ、彼のすべての所有物をあなたの手にまかせる。ただ彼の身に手をつけてはならない』」(同12節)。
これらの神とサタンとの会話が、その後、ヨブの上に降りかかった想像を絶する苦難の背景でした。しかし、ヨブには知る由もありません。サタンによって、ヨブは瞬く間に全財産を失い、最愛の息子や娘たちの命を奪われ、全身に生じた堪え難い腫れ物で苦しみます。

訴え、攻撃するサタン
4章から始まる友人たちとの会話は、ヨブ記の理解を難しくしています。絶望と苦しみのどん底に陥ったヨブを慰めるために訪れた友人たちの厳しい攻撃と非難の言葉は、傷に塩を塗るようなものでした。
友人たちは、ときには正しい言葉で、ときには神を正しい方、公正な方と紹介しつつ、ヨブを非難します。また、ときには聖書を用いながらヨブを攻撃するのです。そのような彼らの視点は極めて道徳的でした。そのような攻撃は、なんと37章まで続きます。彼らが言いたいのは、つまり、「憐れみ深く、公平で、かつ正しい神様が、何の過ちもないあなたにこのような苦しみをお与えになるはずがない」「ヨブの苦しみはヨブ自身から生まれた、大きな罪の結果に違いない」ということなのです。
ときに、私たちはヨブの友人たちのような論理で人を非難し、自らをも攻撃します。正しい論理や道徳的視点によって攻撃されるとき、私たちは返す言葉を失い、自らを責めるしかないことがしばしばあります。
ここで忘れてはならないことがあります。サタンの正体です。サタンは、「訴える者、敵対する者」、ときには「天使を装い、正義と正しさ」をもって攻撃するのです。
サタンは私たちを「個人的」に攻撃します。ときには正しい言葉や論理で、ときには聖書を用いて攻撃するのです。まさに、37章までに記録されている友人たちのヨブを訴える言葉は、サタンが神の民を個人的に訴える言葉なのです。

ヨブを攻撃するサタンへの問いかけ
ヨブ記を難しくしているもう一つの箇所が、38章以降の神からのたくさんの問いかけです。
「無知の言葉をもって、神の計りごとを暗くするこの者はだれか」(38章2節)。
「わたしが地の基をすえた時、どこにいたか」(同4節)。
「海の水が流れいで、胎内からわき出たとき、だれが戸をもって、これを閉じこめたか」(同8節)。
「雨に父があるか。露の玉はだれが生んだか」(同28節)。
「あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか」(同31節)。
「あなたは天の法則を知っているか、そのおきてを地に施すことができるか」(同33節)。
「非難する者が全能者と争おうとするのか、神と論ずる者はこれに答えよ」(40章2、3節)。
「あなたは腰に帯して、男らしくせよ。わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ。あなたはなお、わたしに責任を負わそうとするのか。あなたはわたしを非とし、自分を是としようとするのか」(同7、8節)。
ヨブに答えられる質問はひとつもありません。それらの質問は、苦しむヨブと何の関係もないものに思えるのです。

大切なことは、これらの言葉は、ヨブに語られてはいるものの、実のところ、ヨブの側で、ヨブを攻撃し続けるサタンに向けられた問いかけだということです。全身の腫れ物で苦しんでいるヨブに対してではなく、訴え続けるサタンに対しての厳しい問いだったのです。
サタンは神の御前で何も答えられず、両手で顔を隠し、敗北を認めざるを得ないのです。ヨブに敵対し、訴える者は遠ざかります。そして、神はヨブの前で約束されます。
「あなたは釣り針でレビヤタンを釣り上げることができるか。輪縄でその舌を押さえつけることができるか」(41章1節、新改訳)
このレビヤタンこそが、サタンを意味する言葉です。訴え、非難する悪魔を釣り上げ、縄で縛りつけてくださるという約束です。

わたしはすでに世に勝っている
最終的に、神はサタンの前でヨブを祝福し、義人と宣言されます。「主はヨブの終りを初めよりも多く恵まれた」(42章12節)のです。
地上における数多くの「個人的苦しみ」と、「たくさんの攻撃」を前にして、「あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる」(詩篇23篇5節)のです。
同時に、世の終わりを生きる多くの「ヨブたち」に、主は言われます。「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネによる福音書16章33節)と。主の愛と憐れみ、恵みを感謝いたします。

*聖句は©️日本聖書協会

李根完/イクンワン

1959年韓国生まれ。40年前に留学で来日して、企業勤めの経験を経て、40歳から神学を学び、現在至る。那覇教会・浦添教会の牧師。

アドベンチスト・ライフ2022年5月号