「せっかく、クリスチャンにさせていただいたのですから、幸せになれないはずがない」
とはいえ、人生は山あり谷あり、病気や人間関係の悩み、生活苦などの苦労は呼びもしないのに勝手にやってきます。
私事ですが2021年の秋、持病が悪化して腸閉塞になり手術を受けました。40日間の絶食、49日間の入院を余儀なくされました。辛かったのは40日間、鼻から小腸まで約2メートルの菅(イリウス菅)を入れて腸液(便の原型)を体外へ出す治療を受けることと、1か月間、点滴を交換するたびに看護師さんに聴診器をあてられ、「腸が動いていないですね」と言われ続けることでした。
入院、手術という辛い経験を通して神が教えてくださった、幸せになるための2つの方法をご紹介させていただきます。
感謝し続ける
まず1つ目は、誰の言葉に耳を傾けるかです。『キリストへの道』の「主にある喜び」の中に次のようにあります。
「自分の間違いや欠点や失望ばかりを考えて、悲しみと落胆に満たされている人がたくさんいます。……ある姉妹がちょうどこのような有様で、たいへん失望し、励ましの言葉を求めてきました。その手紙を読んだ夜のことですが、私はある庭園を歩いている夢を見、その庭園の持ち主と思われる方に案内されていました。……姉妹は、道を遮っているつまらないあざみを見て、それを悲しみ嘆いていたのです。この姉妹は、……茨やあざみの中を歩き、『せっかくの美しい庭園も、このような茨があっては本当に残念なことです』と言うのでした」(166ページ)。入院中の私はまさにこの女性のようでした。
神は、「あなたの経験のうちに、何か明るいことはなかったでしょうか聖霊を感じて、喜びで心がときめいた尊い瞬間はなかったでしょうか。今までの生涯の経験を振り返って見るとき、何か楽しかった出来事はなかったでしょうか」(同)と書物を通して私に語りました。すぐさま私は、朝起きられること、痛み止めが効いていること、治療に専念できる環境であること、歩けること、手あたり次第感謝し始めました。神の声に耳を傾けるか、それとも感情のままに落ち込むか、これが信仰の戦いなのだと改めて気づかされました。
そして戦いを有利に進めるアイテムとして、ニュースタートの新鮮な空気があります。私は10センチぐらいしか開かない病室の窓を開け、思いっきり深呼吸しました。深呼吸は免疫力を高め、交感神経から副交感神経に切り替えてリラックスさせます。
まとめますと、どんな状況の中でも神に感謝し続けることは、新鮮な空気をいただくことです。必ず幸せな思いに導かれます。深呼吸は思った以上に効果があります。お勧めです。
御名を崇める
2つ目は、「主の祈り」の冒頭部分のマタイによる福音書6章9節「御名を崇め」ることです。
神の御名を崇めることによって、深い祈りへと導かれます。「御名」という言葉を発するときに御名の意味を具体的にイメージでききるなら、なお一層有益になります。
『祝福の山』の「主の祈り」の中に、御名について次のような記述がありました。「『主の名』は『あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる……悪と、とがと、罪とをゆるす者』である(出エジプト記34章5~7節)」(『希望への光』1167、1168ページ)。
ゆるしの神は、慈しみと恵みをもって私たちに接してくださることを覚えながら、主の祈りを唱えるのです。
次に「崇める」に焦点を当ててみます。
崇めるという言葉には、聖とする、畏敬、崇敬するという意味があります。つまり、聖なるものとして他と区別されるお方に私たちは向き合うということを意味しています。
私たちが御名を崇めるとき、「神はあなたを人々や天使たちの前に、ご自分の子としてお認め」(同1168ページ)になり、私たちを「神の子」だと宣言してくださっているのです。不平や自己憐憫に陥っても、私たちは神の子なのです。なぜなら御名を崇めているからです。御名を崇めるだけで、このような恵みが準備されているのです。
『祝福の山』にはこのような言葉も書いてあります。私たちの品性の清めは、「キリストの恵みと義を受けることによってのみ、なされるのである」(同)。
御名を崇めることによって、私たちは主の赦しと恵みを受け取ることへと導かれます。その結果、「神の命とご品性」をお手本として、生活の中で表したいという強い願いが聖霊によって与えられます。罪ある心から湧いてくる自己憐憫や人を恨む思いは、体力と精神力を疲弊させますが、私たちは、すでに神の子なのですから御名を崇めることで幸せへと導かれます。
幸せとは
では、神様が教えてくださった2つの方法が示す幸せとはどういう状態でしょうか。「天使は神のみ前にひざまずき、神のみそばにいることを好み、神と交わることをこの上ない喜びとしています」(『キリストへの道』133ページ)。
確かに病がいやされること、罪から解放されることは、幸せな思いに満たされるでしょう。しかし、それは結果です。天使のように神の臨在を感じ、愛されている実感に包まれていれば、病気の中にあっても、この世での苦しみが続いても、泣きながら幸せを実感することができるのです。苦しいときにこそ、感謝を積み、御名を崇めることに集中します。必ず自分が幸せであることに気づくでしょう。そして私たちは、御名を崇める幸せを隣人にお伝えすることができるのです。
*聖句は©️日本聖書協会