祝福された安息日も終わり、新しい週が始まりました。
この暗唱聖句を心に留め、主と共に歩んでいきましょう。
そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」(イザヤ6:8、新共同訳)
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#今週の暗唱聖句
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#セブンスデーアドベンチスト教会
祝福された安息日も終わり、新しい週が始まりました。
この暗唱聖句を心に留め、主と共に歩んでいきましょう。
そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」(イザヤ6:8、新共同訳)
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Happy Sabbath!
新緑が目にまぶしく、木々がいきいきと葉を広げる季節になりました。和歌山でも初夏の風が心地よく、空の青さや夕暮れの光に季節の移り変わりを感じます。皆様、いかがお過ごしでしょうか?
私はこのたび、引越しを控えています。ふだんは意識しない物や空間も、いざ離れるとなると、思い出が次々に浮かび上がってきます。慣れ親しんだ場所を後にすることに、寂しさや不安を覚えることもあります。
けれども、思い返すと聖書には「旅立ち」から始まる信仰の歩みが多く描かれています。アブラハムも、モーセも、弟子たちも、新たな一歩を踏み出す中で、神様の導きを体験していきました。
「主ご自身があなたに先立って行き、あなたと共におられる。主はあなたを置き去りにすることも、見捨てることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」(新共同訳、申命記31:8)
人生にはさまざまな「旅立ち」があります。進学、転職、結婚、あるいは心の転機。そのたびに私たちは、神様に信頼するとはどういうことかを学び直しているのかもしれません。
安息日は、その歩みの途中で一息つくための、神様からの贈り物です。主が共に歩んでくださるという確信をもって、新たな一週間を迎えましょう。
鈴木優人(和歌山教会・奈良教会・堺東聖書研究会牧師、6月よりAIIAS神学院 修士課程)
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イエスさまだいすき安息日学校部小学校1〜3年生用 全12巻
イエスさまといっしょ安息日学校部小学校上級用 全12巻 「グレースリンク」の理念に基づいた学び!
イエスさまのように安息日学校部中学生たちが、この学びを通して、イエスを自分の救い主として受け入れ、イエスのように献身した歩みをしてほしいと願っています。
祝福された安息日も終わり、新しい週が始まりました。
この暗唱聖句を心に留め、主と共に歩んでいきましょう。
そして、彼らは新しい歌をうたった。「あなたは、巻物を受け取り、その封印を開くのにふさわしい方です。あなたは、屠られて、あらゆる種族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から、御自分の血で、神のために人々を贖われ、」(黙示録5:9、新共同訳)
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Happy Sabbath!
行く春を惜しみつつ新緑に目を奪われる時節となりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
木々の芽吹くこの時期に、久慈川教会の周辺では農繁期で忙しくしておられる農家の姿が見られます。
田植えを準備する農夫の心境はどのようなものでしょうか?
種を発芽させて苗を準備し、田んぼを耕し、水をやりながら農夫が心の中に描く収穫の風景を想像してみてください。一年の労苦の末に豊かな実りが結実し、それを収穫する農夫の心は誰よりも幸せでしょう。
自然の全ての生命は、神様が定められた法則によって動いています。 そして、その法則の中で結実する全てのものは、私たちに喜びと祝福となります。
しかし、今日の世の中はどうでしょうか? 神の法則から離れ、人間の幸福を追求して建てられた国々は揺れ動き、混沌の中にあります。人々は苦しんでいます。日々、耳にするニュースは、私たちに世の中が与えることのできない確かな希望に目を向けさせます。
今日も、神様は私たちの人生の畑を肥やし、神の民である私たちの霊肉共の健全な成長を望んでおられます。 神様は私たちを創造の記念日である安息日に招いておられます。
安息日は、世の中が失った神の法則に入る選択です。
神様との交わりを通して、真の喜びと感謝、そして回復を経験する安息日になることを心から願います。
鄭義權(久慈川・筑波学園・栃木教会牧師、久慈川三育小学校チャプレン)
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イエスさまだいすき安息日学校部小学校1〜3年生用 全12巻
イエスさまといっしょ安息日学校部小学校上級用 全12巻 「グレースリンク」の理念に基づいた学び!
イエスさまのように安息日学校部中学生たちが、この学びを通して、イエスを自分の救い主として受け入れ、イエスのように献身した歩みをしてほしいと願っています。
前教皇ベネディクト16世は2007年に、「プロテスタント諸教会は本来の意味での『教会』とは言えない」と明言した文書を承認し、多くのプロテスタント教会が抗議の声をあげました。しかし、従来からカトリック教会の教会観は一貫しており、別に驚くことではありません。彼らから見れば、プロテスタントは本家から家出した子どもたちなのです。合同するとしたら、家出した子が謝って家に帰るだけです。
文書は、プロテスタントが教会でない理由を二つあげています。まず使徒継承がないことです。カトリック教会は、初代の使徒たちから途切れることなく聖職者が任命(叙階)されてきた「使徒継承」を持っていると主張しています。特に初代教皇とされるペテロに与えられた天国の鍵が大切とされます。教皇の持つこの権能を正式な叙階により分与された司祭たちは、神に代わって罪の赦しを与えることができます。これを「ゆるしの秘蹟」と言います。これを行うことのできないプロテスタントは、教会とは言えないのです。
もう一つの理由は、聖体の秘蹟を行えないということです。司祭が祝福することで、パンとぶどう酒の本質がキリストの体と血に変わります。これを聖体変化と言います。パンはキリストの体である聖体となり、信徒の体内に注入されます。これは、人が救われるためには欠かせない部分なのです。それが欠けているのだから、プロテスタント教会は教会ではないというのです。
しかし、私たちは聖書を通して、プロテスタントは本来の教会の姿に立ち返ろうとしていると理解します。地上の制度化された教会が、天の聖所の大祭司イエス・キリストの働きに成り代わってしまったことは、ダニエル書8章13節の言葉が示している事態なのです。
「わたしは一人の聖なる者が語るのを聞いた。またもう一人の聖なる者がその語っている者に言った。『この幻、すなわち、日ごとの供え物が廃され、罪が荒廃をもたらし、聖所と万軍とが踏みにじられるというこの幻の出来事は、いつまで続くのか』」(新共同訳)。
この問いかけへの答えはこうです。
「彼は続けた。『日が暮れ、夜の明けること二千三百回に及んで、聖所はあるべき状態に戻る』」(同8章14節、新共同訳)。
この2300の終わりである1844年以来、神はセブンスデー・アドベンチストを通してこの天の至聖所にいる大祭司イエスに立ち返るように呼びかけています。天の至聖所の大祭司イエス・キリストは、罪に悩む魂のために、その扉をすべての人々に開いてくださったのです。これが聖所回復の働き、清めの働きです。
セブンスデー・アドベンチストは、人類救済の神のラストコールを委託されています。だから、世界に大きな声で叫ばねばならないのです。
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アドベンチスト・ライフ2025年5月号
教団総理 稲田豊
祝福された安息日も終わり、新しい週が始まりました。
この暗唱聖句を心に留め、主と共に歩んでいきましょう。
力を捨てよ、知れ/わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。(詩編46:11、新共同訳)
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Happy Sabbath!
北の大地・北海道では、四月も終わろうとしているのに、まだ冬の気配が残っています。雪が溶けきらず、風は冷たく、春の兆しは遠くに感じられます。私たちの現実も同じかもしれません。
将来への不安、人との距離、心の孤独——そうした重さに押しつぶされそうな一週間を過ごした方もいるでしょう。でも、どんなに冬が長くても、春は必ず訪れます。主はこう言われます。「忠実な良い僕だ。よくやった。」(マタイ25:23)あなたの忍耐と信仰は、神の御前に忘れられてはいません。
今、私たちに必要なのは、見えない先を信じる心と、共に歩まれる神への信頼、そして希望を握る勇気です。
安息日は、そのような私たちを静かに迎えてくれる神からの贈り物です。
どうかこの安息日が、あなたに平安と励ましをもたらしますように。
羅明勲(北海道地区地区長、札幌・小樽・旭川・釧路教会牧師)
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この暗唱聖句を心に留め、主と共に歩んでいきましょう。
権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え/彼の支配はとこしえに続き/その統治は滅びることがない。(ダニエル7:14、新共同訳)
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Happy Sabbath!
今週の首都圏は、春が過ぎて夏の訪れを感じさせる陽気でした。暖かくなって嬉しい反面、今年はどういう夏になるのだろうという不安があるのも事実です。神様のお守りをお祈りしたいと思います。
さて、今週の安息日学校聖書研究ガイドは、神様と私たちとの関係が結婚関係にたとえられていることに関する学びでした。
神様は、人類史上の最初から結婚関係を与えてくださいました。その結婚関係の中で男女は、絶対に離れないことを前提に親密な関係を築いていきます。様々な問題があったとしても、離婚ということを問題解決の方法として考えない中でこそ育むことができる関係があるのです。
また、性の交わりは、結婚関係の中でのみ許されているものであり、他の誰もそこに立ち入ってはならない、ある意味排他的な関係です。排他的であるということは、つまり伴侶を最優先にする姿勢でもあります。
こうした親密さや相手を最優先にする姿勢こそが、神様が私たち人間との間で交わしたいと思っておられる関係なのです。
そして、これから迎えようとする安息日は、神様が、ご自分がお造りになった人間と親しく交わる日として制定された日です。神様の祝福のうちに、良い安息日をお過ごしください。
浦島 靖成(教団文書伝道部長、メディアセンター部長)
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イエスさまのように安息日学校部中学生たちが、この学びを通して、イエスを自分の救い主として受け入れ、イエスのように献身した歩みをしてほしいと願っています。
リバイバルという言葉があまり好きではありません。教会の中では時折、当たり前のように使われる言葉です。「教会のリバイバルのために」。これは、今まで幾度となく聞いてきた言葉であり、自分自身も言ったことのある言葉です。
「真の敬虔が私たちのうちにリバイバルされることは、すべての必要の中で最大の、最も急を要することです。これを求めることが、私たちの第一にしなければならないことです」(『真のリバイバル』10ページ)。
今年の2月に西日本教区牧師会が開催されましたが、事前に『真のリバイバル』を読んでからご参加くださいとご連絡がありました。その第1章の最初に書かれているのが前記の言葉です。第一にしなければならないことだそうですよ。では、私たちはこれを第一にしているでしょうか。そもそもリバイバルとは何でしょうか。なんとなく、この言葉を発してしまってはいないでしょうか。少なくとも私はそうです。
死んでいるから?
リバイバル(revival)とは、皆様もご存知の通り、「re(再び)」と「生きる」を意味するラテン語「vivere」を組み合わせた言葉で、「復活、復興」を意味する言葉です。では、リバイバルが必要なのはなぜでしょうか。それは、死んでいるからです。私たちは死んでいるのです。
しかし皆さんは、そう聞いて素直に、「その通りです。私たちは死んでおり、私たちの教会は死んでいるのです」と思われるでしょうか(強烈な表現で申し訳ありません)。
「いえいえ、そんなはずはありません。私たちはセブンスデー・アドベンチスト教会です。聖書の預言に記された通り、再臨前の最後の時代の残りの民です」と思われるでしょうか。
このようなことを思い巡らせながら、なぜ自分がリバイバルという言葉が嫌いなのかがわかってきたように感じました。私は、口ではリバイバルが必要であると言います。教会にはリバイバルが必要だと語ります。しかし、私自身が死んでいるということを認めたくないのです。口では、自分にもリバイバルが必要だと言います。あからさまに、「私にこそリバイバルが必要だ」と。しかし、その語る言葉を実行に移してはいないのです。
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」(マタイによる福音書7章21節)。
脳裏にイエスのこの言葉がよぎります。この「主よ、主よ」と言っているだけの者が私ではないかと……。これは、山上の垂訓(マタイによる福音書5~7章)の終わりのほうで語られた言葉です。そしてこの後は、有名な「家と土台の話」で締めくくられますが、このお話もやはり、イエスの言葉を聞いて行う者と、聞くだけで行わない者のお話です。
リバイバルという言葉も、口に出すだけなら何の意味もありません。むしろ害悪だと理解すべきです。覚悟のない者が簡単に口にするべき言葉ではないのだと思います。
敬虔とは
そして、このリバイバルとは、「真の敬虔」が私たちのうちに復活することであると書かれています(『真のリバイバル』)。「敬虔」、普段あまり使わない言葉です。この言葉も、私は今まで漠然と語っていたように思います。本当にすみません。
「敬虔」と訳されている言葉は、「godliness」という英語です。「god」と「liness(~のような、特定の性質や状態)」という二つの言葉の組み合わせだそうです。つまり、「敬虔」とは「神のような性質」、「神聖」などとも訳すことのできる言葉と言えるそうです(間違っていたらすみません)。
そして、私たちのうちに神のような性質が復活することがリバイバルなのかと考えているとき、次の証の書と聖書の言葉が思い出されました。
「神のかたちにかたどって形成された品性は、この世から来たるべき世界に持って行ける唯一の宝である。この世で、キリストの教えを受けたものは、その身につけた神の性質を全部天の住居に持っていくのである。そして、天では絶えず成長する。であるから、この世で品性を形成することは、非常にたいせつなことである」(『キリストの実物教訓』30
7ページ、『希望への光』1315ページ)。
「だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイによる福音書5章48節)。
イエスと同じ生き方
私はこう思いました。再臨前の完全な品性について議論されているということ自体が、この最後の時代の神の導きなのではないかと。なぜなら、この議論によってイエスのご品性に目が向けられているなら、それは聖霊の神のお働きだと思うからです。聖霊の神はいつでも私たちにイエス・キリストを指し示します。
また、個人的な感想ですが、再臨前の完全な品性については、議論によって終わるものではないと思います。最終的には、自分が聖書と証の書から得た生き方を実践するかどうかで、その実によって見分けがついていくのではないでしょうか。
私たちにとって最大の必要であり、最も急を要する第一のこと─イエスのご品性に目が向けられる状況─を聖霊の神が作ってくださいました。心から感謝いたします。それは同時に、私たちが聞いて行う時が来ているということです。おそらく人類史上最もイエスに目が向けられる時代が、この再臨直前の時代です。十字架によって私たちの罪を負われたイエスが、今度は私たちを救うために戻って来られるのです(ヘブライ人への手紙9章28節参照)。
その再臨に先立って、イエスと同じ生き方をするのが、この時代の残りの民だということですよね。ですので、私の思うリバイバルとは、「聞くだけ、言うだけで行わない者」から、「聞いて、言うことを行う者」へ再創造していただくことです。
どうぞ神様、私をイエス様のようにならせてください。
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仲泊大輔/なかどまりだいすけ
三育学院カレッジ神学科2015年度卒業。
現在は、神戸有野台教会、西宮教会、三田聖書研究会を担当。趣味は、妻の無表情を写真に収めること。
アドベンチスト・ライフ2025年4月号