セブンスデー・アドベンチスト教会

バビロン川のほとりで

バビロン川のほとりで

私は沖縄三育中学校で吹奏楽部に所属して、生徒と一緒にクラリネットを演奏しています。今までクラリネットを吹いたことなんてまったくありませんでしたし、小学3年生でピアノをやめて以来、楽器をまともに練習したことはありませんでした。アメリカでの大学留学中にバプテスマを受けてクリスチャンになってからも、自分は楽器を通して主を賛美することは絶対ないだろうと思っていました。
しかし、赴任して間もない頃、生徒に誘われて吹奏楽部を見学し、クラリネットを試しに拭いてみたことをきっかけに吹奏楽部に入り、クラリネットを演奏することになりました。

詩編137編をもとにした曲

先日、2023年度の吹奏楽部ファイナルコンサートが名護市内のコンサートホールで行われました。そこで演奏した曲の1つに、「バビロン川のほとりで」という曲がありました。この曲の楽譜がはじめて配られた時に私は、「この曲は、きっと古代バビロンの文化を表現していて、吹奏楽曲として評価が高いから選ばれたのだろう」と思っておりました。
そのように思いながら、曲を練習し始めたところ、安息日学校聖書研究ガイド『詩編』の第5課を学ぶ週になりました。暗唱聖句が詩編137編であったため、前後の文脈を確かめようと聖書を開きました。そして1節に、「バビロンの流れのほとりに座り/シオンを思って、わたしたちは泣いた」と書いてあるのを見て、ふと気づいたのです。「これは、吹奏楽部で練習している『バビロン川のほとりで』のことではないか!」と。
そこで、吹奏楽部の担当教員に確認したところ、賛美歌ではないものの、確かに詩編137編をもとにして作られた曲であることを教えてくださいました。

異教の地で賛美する

この詩編137編は、イスラエルの民がネブカドネザル二世(新共同訳の表記では「ネブカドネツァル」)率いる新バビロニア帝国の侵略により、捕虜としてバビロンに連れていかれた後の現地での様子を歌っています。異郷の地であるバビロンに連れて来られて、現地の住民に、「ほら、イスラエルの歌を歌ってみろよ」というふうに嘲笑されている様子が思い浮かびます。そして、そのような中で、思うように主を賛美できないイスラエルの民の様子が伝わってきます。
実際に、吹奏楽曲の「バビロン川のほとりで」においても、前半のリズミカルな部分からは、イスラエルの民と神がバビロンの市民に嘲笑されているような情景を思い浮かべることができると思います。そして、曲の後半のゆっくりとしたリズムの部分からは、そのようなことをされて、とても主を賛美することができないイスラエルの民が嘆き悲しんでいる場面が思い浮かぶような気がします。

心の中をのぞいてみると
4節には、「どうして歌うことができようか/主のための歌を、異教の地で」とありますが、これを読んだとき、素直に納得できませんでした。確かに馬鹿にされるのがわかった上で歌わされようとはしていますが、私がイスラエルの捕虜の一人だったとしたら、主を証しする機会が与えられたと思い、バビロンの市民に感動を与えるような最高の演奏をして、真の神を伝えようと思うからです。
自分の国であろうが、異教の地であろうが主を賛美するのに場所は関係ないのではないかと思ったのです。そして、教会(エクレシア)というものが建物ではなくて、イエス・キリストを信じる人々の集まりであるように、私たちの伝道活動は場所によって左右されないのではないかと思ったのです。
しかし、当時のイスラエル人の心境を改めて考えてみると、なぜ賛美をすることができなかったのかが少しずつわかるような気がしました。彼らは、自分の国で大切にしていた神殿が、バビロニア軍によって破壊されて、神がないがしろにされたうえで、文化も違うまったく知らない土地に捕虜として連れてこられるという散々な目に遭っていたのです。そのような状況に自分がいたとしたら、とても主に感謝する気持ちにはなれないと思いました。賛美なんてとてもできないと思ったのです。

恵まれた環境に感謝する

今、世界では国を追われている人々がたくさんおられます。戦争をしていたり、いつ戦争が起こってもおかしくないような状況下で生きているのです。そのような、明日の命も保証されていない状況下では、神を賛美することができない人たちがたくさんいると思います。
しかし、そのような人々の中でも、毎日祈りの中で、一日でも早くこの争いが終わってほしいと主に願い求めている人も多いことでしょう。もちろん、教会という建物や自分の家で安心して礼拝をできているとは思えませんが、個人的に心の中で、神を礼拝したり賛美したりしていることでしょう。
日本で暮らす私たちは、幸いそのような状態にはありません。日本は、他の国々と比べると治安も良く、安定した生活を送ることができます。教会や自宅で安心して賛美することもできます。しかし、世界を見渡すと、そのような恵まれた環境で主を賛美できるということは当たり前ではないのです。新しい年度も、今いる場所で主を賛美できるということに感謝して歩んでいきたいと思います。

*聖句は©️日本聖書協会

鈴木晋平/すずきしんぺい

1994年静岡県浜松市生まれ。趣味は歴史。特技は整理整頓。現在は沖縄三育中学校チャプレン、沖縄三育教会、金武集会所、シャローム名護集会所を担当。

アドベンチスト・ライフ2024年4月号