セブンスデー・アドベンチスト教会

キリストを証しする

キリストを証しする

「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1章8節)。聖霊が私たちをご支配し力を与えて下さるのは、私たちがキリストの証人となるためです。
伝道を難しく考える必要はありません。私たちの出会ったキリストを証しすればよいのです。私たちをゆるし、私たちをいやし、私たちを救って下さったキリスト、私たちの人生を変えて下さったそれぞれのキリストを証しすればよいのです。
パウロもこう告白しました。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと……次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。……次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました」(コリントの信徒への手紙一・15章3〜8節)。 
パウロが大切な福音として伝えたのは、聖書に書かれた十字架と復活のキリストが、彼自身にも現れて下さった体験の証でした。パウロにとっては、彼の救い主、イエス・キリストだけがすべてのすべてでした。「わたしにとっては、生きることはキリストであり」(ピリピ人への手紙1章21節、口語訳)。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです」(ガラテヤの信徒への手紙2章20節)。「しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです」(ガラテヤの信徒への手紙6章14節)。彼は、このキリストを伝えないわけにはいきませんでした。
私たちが伝えるべきことも同様です。キリストが私の人生に現れて出会って下さった事実です。その出会いによって変えられた人生を証しすること、それがキリストの証人、弟子として伝えるべき証なのです。そのために、日ごとに救い主キリストをもっと思いましょう。キリストをもっと知りましょう。キリストともっと交わりましょう。
「救い主の完全さを瞑想するとき、私たちも全く変えられて救い主の純潔なみかたちに造りかえられたいと望み、尊い救い主のようになりたいと、それこそ飢えかわくほど願うようになります。キリストのことを考えれば考えるほど、キリストのことをほかの人に話すようになり、世の人々にキリストを証しする者になります」(『希望への光』1965、1966ページ)。
教団総理 島田真澄 アドベンチスト・ライフ2017年5月号