近年、全国各地で豪雨、地震、竜巻、火山の噴火など自然災害が頻発しています。発生直後は大きく報道されますが、時が経つにつれ、一般社会の関心は徐々に薄れ、被災者は自分たちが苦しい状況のまま置き去りにされ、忘れられてしまうもどかしさや不安を抱えます。
その昔、被災して生き残った人々は悲しみと共に、災害の記憶を後世に語り継ぐために石碑を建てました。それは、今のように映像で記録を残す方法がなかった時代に重要なことを発信する方法の一つでした。例えば、昔、津波に襲われたある地域には、「これより下に家を建てるな」と刻まれた石碑があるそうです。そのおかげで助かったという話もあれば、別の地域では石碑に苔がむして読めなくなっていたり、石碑の存在自体知られていなかったという話も耳にします。
このほど国土地理院は全国のこうした災害に関する石碑の位置と内容を収集し、6月にウェブ版の地図に掲載しました。そのために新しい地図記号「自然災害伝承碑」が制定されました。今後は紙の地形図にも掲載されるそうです。次に何が起きるか、それがいつかは誰にもわかりません。先人たちが石碑を据えた気持ちを想像し、過去の事例に学び、普段から万全の備えをし、何が起きても「想定内」と言えるようにしたいものです。
十字架を語り伝える使命
さて、私たちの教会の使命はある意味、災害の伝承碑と共通する点があります。どちらも風化させてはいけない重要な出来事を記憶に留め、それを伝えるという目的が明確です。地図上で教会を示す記号は、屋根の上に十字架があります。元々は処刑の道具でしたが、今ではキリスト教のシンボルです。言うなれば、十字架はキリストによる人類救済の功績を後世に伝える伝承碑、記念碑です。
普通、石碑には出来事、由来がわかるよう何かしら文字が刻まれます。イエス様の十字架を思い浮かべ、碑文を彫るとしたら、私個人のイメージですが、次のような感じです。「あなたの罪の贖いはわたし、イエス・キリストが成し遂げました。わたしは決してあなたを見捨てません」
約2000年前のあの金曜日、人々はイエス様に十字架を背負わせ、磔刑に処しました。ゴルゴタの丘で起きた出来事は、私たち人間の持っている妬み、憎しみ、怒りの衝動の危険性と残虐性を物語っています。十字架上のイエス様のお体には、人の手によって多くの傷が刻まれました。鞭打ち、いばらの冠、釘痕による生傷は、神様が痛みを知っておられ、それを耐え忍ばれるお方であると告げています。教会はその出来事を記憶に留め、神様の義と愛の意味を隣人に伝える使命が託されています。
「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ」(ヨハネによる福音書20章19、20節)。
この場面で弟子たちは、体を張ってイエス様を守ることができなかったふがいなさ、責任を感じていたでしょう。イエス様の亡きあと、身の安全を脅かされ、将来への希望を抱けなかった彼らの心境は、冒頭で述べた被災者の気持ちと似ていると思います。困難、危機に直面したとき、人間は、「忘れられた、見放された」という感情に支配されやすいのです。
そこにイエス様が現れ、彼らに手とわき腹を見せると、その場に喜びが生まれました。私たちにとって傷痕は、隠したい、触れられたくないものですが、イエス様は違いました。
それから8日後、弟子のトマスに対しては、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言いました(同27節)。
イエス様は十字架の傷痕をもって心を痛めている人に共感し、気持ちが折れてしまった人を慰め、励まし、疑う人の心をほぐそうとなさるお方です。私たちの苦境を見て見ぬふりはなさいません。立ち直るまで助け導くお方なのです。
罪の赦しと再臨を語り伝える使命
「イエスは重ねて言われた。『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る』」(同21~23節)。
この日、弟子たちは、よみがえったイエス様から直々に派遣のお言葉をいただきました。特に注目したいのは「父がわたしをお遣わしになったように」の部分です。イエス様は初臨において人間の罪を負い、その贖いのための犠牲となられました。それは他の誰にもできないことでした。
その後を引き継いで、罪の真の赦しを語るためにイエス様は、赦された罪人が最も神様の赦しを語るにふさわしい者であるとして、彼らに命の息を吹きかけました。「他の誰もできない。あなたしかいない」という特別な信頼を寄せて、罪の赦しを彼らに託しました。教会の使命が宣言された瞬間です。
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」(同14章1~3節)。
このご再臨の約束は、十字架と共に、私たちアドベンチスト教会が語り継ぐべきメッセージの中心です。
いつ来るかわからない災害に備えるには、警戒心を持続させねばなりません。イエス様のご再臨もいつかはわかりませんが、こちらの備えには明るい展望が持てるところが大きな違いです。私たちの大切な人から「知らなかった」「なぜ話してくれなかったのか」と言われないように、感謝、喜び、誇りを持ってこの希望を語り伝えましょう。
●吉田浩行/よしだひろゆき
神戸アドベンチスト病院チャプレン。
ラテンアメリカ・アドベンチスト神学院卒。
これまでの牧会任地はサンパウロ(ブラジル)、愛知県、高知県、広島県。2014年から現職。
新潟県出身。妻と娘4人の6人家族。
アドベンチスト・ライフ2019年8月号