「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている」(ヨハネによる福音書1章1〜5節)。
神の言とは、神の思いです。人間の救い、福音の初めにその神の思いがあったのです。人間への愛、人間を救いたいという神の切なる思いがあったのです。それは万物を生み出し、生かすことのできる命の根源たる神の思いでもありました。この神の思いこそが、暗闇の罪の世界に苦しむ人間にとっての光そのものだったのです。その光、神の思いがこの地上に現れたのですが、人間はその思いも光も受け容れませんでした。
しかし、神の思いを受け容れ、光を信じる人々も現れました。そして信じる者はみな神の子とされたのです。光について証しする者がいたからです。それがバプテスマのヨハネでした。彼は光ではなく光について証しする者でした。その証によって信じる者が生まれたのです。
そこには聖霊の働きがありました。聖霊が、証を聞いた人々を新生へと導いたのです。
ヨハネが証をしたのは、イエス・キリストでした。このお方が唯一の神の言、思いであり、まことの光であり、命そのものだったからです。このお方に恵みと真理が満ちていたのです(ヨハネによる福音書1章6〜13節)。いま時代は異なれど、教会が証しするのもイエス・キリストです。真の神の言、命の源、闇に打ち勝つ唯一の光であるイエス・キリストです。
昨年の暮れ、都心にあるひとつの教会の礼拝に出席しました。明るく温かな教会でした。元気にキリストを賛美し、心からのキリストへの献身が伝わってくる教会でした。昨年70人のバプテスマがあったそうです。都会に生きるビジネスマンやOLがキリストを救い主として受け容れているのです。闇に輝く光を見いだし、その命を受け、神の思いを喜んでいるのです。都会の伝道は決して不可能ではないと改めて思わされました。
正しくキリストを証しする者がいて聖霊が生き生きと働くとき、そこに回心と新生が生まれます。それは、2000年前の物語ではありません。現代の出来事なのです。私たちの教会も喜びをもって、確信をもって「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(ヨハネによる福音書1章29節)とキリストを証しする教会でありたいと思います。そして聖霊に存分に働いてもらえる教会になりましょう。
「風は思いのままに吹く」(ヨハネによる福音書3章8節)のです。文語訳の聖書ではこの聖句は「風は己が好むところに吹く」となっています。聖霊は、ご自身が心地よいと思われる教会で働くのです。聖霊に喜ばれ愛される教会を創っていきたいと思います。そして、聖霊に存分に働いていただきたいと思います。
私たちの真実な証と聖霊の豊かな働きが、救霊への唯一の道です。新しい年、献身を新たに人類救済の神の言、神の思いをこの世界に実現してまいりたいと思います。
教団総理 島田真澄 アドベンチスト・ライフ2019年2月号