「あなたが敵に向かって出陣するとき、馬と戦車、また味方より多数の軍勢を見ても恐れてはならない。あなたをエジプトの国から導き上られたあなたの神、主が共におられるからである。いよいよ戦いの場に臨んだならば、祭司は進み出て、民に告げ、次のように言わねばならない。『イスラエルよ、聞け。あなたたちは、今日、敵との戦いに臨む。心ひるむな。恐れるな。慌てるな。彼らの前にうろたえるな。あなたたちの神、主が共に進み、敵と戦って勝利を賜るからである』」(申命記20章1〜4節)。
モーセが彼の遺言書でもある申命記に書き記した、戦争に出る時の戦士の心構えです。約束の地カナンに至るまでイスラエルは多くの戦いを経験しなければなりませんでした。その時彼らに必要なのは、神が共に戦われ、勝利されるという信仰でした。
1950年10・7人、1970年2・0人、2014年0・8人。日本の全キリスト教会の年間平均バプテスマ数だそうです。第二次世界大戦後の第三次キリスト教ブームから70年を経て、日本のキリスト教人口は明らかに下降の一途をたどっています。閉じられていく教会も少なくありません。国は豊かになり世俗化は進み、物質主義が支配的になっています。オウム事件以来の宗教離れも一向に止まりません。伝道がますます困難になっています。
しかし一方、人々の霊的飢餓も広まっています。多くの人々が孤独感、不安感、虚無感に包まれています。まさに福音を必要としています。キリストを必要としているのです。現代の日本人の内的文化は、伝道の大いなる機会を叫んでいます。その叫びを圧殺しているのが強力な日本の外的文化、日本の環境です。ここに教会の挑戦があり戦いがあります。この戦いが安易な戦いではないことは事実です。前記のバプテスマ数が示す通りです。
それでもなお、私たちは日本の外的文化、環境を恐れてはなりません。私たちの神、主が共におられるからです。主が戦い、必ず勝利を収めて下さるからです。主は日本人の救いを熱望しておられるのです。かつて神の民の戦いが容易であった時代は全くなかったと言っても過言ではありません。旧約聖書の時代も新約聖書の時代も、そしてキリスト教へと続く時代も、この世の君、神の敵対者は、神の民の行く手にいつも立ちはだかり、困難の壁を高く厚く築いてきました。しかし、いつの時代もそれを突破させたのは神の民の信仰と勇気でした。
モーセは戦争前のイスラエルの民を冒頭の言葉をもって鼓舞した時に、何種類かの人々は戦士としてふさわしくないと戦線に加わることを認めませんでした。その最後の種類の人々は、戦いを恐れて怯んでいる者たちでした。「役人たちは更に民に勧めて言いなさい。『恐れて心ひるんでいる者はいないか。その人は家に帰りなさい。彼の心と同じように同胞の心が挫けるといけないから』」(申命記20章8節)。日本伝道の困難さゆえに「恐れ心ひるむ者」は、最前線の戦士として立つことは許されないのです。
教団教区のリーダーも牧師も伝道師も信徒リーダーも皆、信仰の勇者であるべきです。決して同胞の心を挫けさせてはならないのです。教会のリーダー、牧師たちのために特に祈って下さい。
教団総理 島田真澄 アドベンチスト・ライフ2019年4月号