セブンスデー・アドベンチスト教会

大空の光のように

大空の光のように

 キリストは、世の終わりの時代には「目を覚ましていなさい」と繰り返し弟子たちに語られました。目を覚ますこと、それが終末のための最も大切な準備です。旧約の預言者ダニエルは神から次のように告げられました。「目覚めた人々は大空の光のように輝き/多くの者の救いとなった人々は/とこしえに星と輝く」(ダニエル書12章3節)。すべての人々の救いのために奉仕するセブンスデー・アドベンチストは、まさに時代の「大空の光」のようになるのです。
 この目覚めた人々の特長は何でしょうか。キリストはマタイによる福音書25章で3つのたとえをもって、この人々の特長を語ります。すなわち「十人のおとめのたとえ」「タラントンのたとえ」「羊と山羊のたとえ」です。
 「十人のおとめのたとえ」のポイントは、どんなに聖書の知識がありキリストの再臨を待っていたとしても、聖霊の日毎の体験、キリストとの人格的交わりがなければ神の国に入ることはできないということです。彼らは結局、キリストから「わたしはお前たちを知らない」と言われてしまいます。つまり、知的な観念的信仰を超えて、よりダイナミックなキリストとの体験的な信仰の大切さが説かれています。「目覚めた大空の光」のような人々は、キリストとの真実な交わりを求めて日々「祈る人々」なのです。
 「タラントンのたとえ」のポイントは、主なるキリストから託された使命に対して忠実であるか否かです。使命に対する献身において怠惰であれば、主人は決して許すことはないと言います。使命が託されていることに、決して満足してはなりません。その使命に忠実に献身することが求められています。愛されているゆえに、期待されているゆえに、主人からの使命に喜びをもって忠実であるのです。「目覚めた大空の光」のような人々は、使命に対して「忠実な人々」です。
そして、「羊と山羊のたとえ」のポイントは、愛の自然な実践です。右の羊も左の山羊も、愛さねばならないことはよく知っていました。しかし、実際に愛を実践したのは羊たちでした。しかも彼らは、自然に無自覚に愛を実践していたのです。一方の山羊たちは、評価の対象となるのであれば愛を実践したでしょう。しかしその愛は、偽善的な愛です。「目覚めた大空の光」のような人々は、キリストのように隣人を愛することに自然な「愛の人々」です。
 マタイによる福音書25章の3つのたとえで象徴される目覚めた大空の光のような星と輝く人々は、「祈りの人々」であり「忠実な人々」であり「愛の人々」です。この終末時代に生きるセブンスデー・アドベンチストとして、祈りと忠実と愛とを謙虚に求めていきたいと思います。主は私たちを聖霊の導きの中で豊かに祝福し、実を結ばせてくださるでしょう。この時代のまさに道しるべとして、大空の光のように輝き、愛の神、救い主イエス・キリストを証ししていきたいと思います。

教団総理 島田真澄 アドベンチスト・ライフ2018年8月号