2020年が始まりました。もし後年、歴史をふりかえったら、二度目の東京オリンピックがあった年として覚えられていくでしょう。それが良い記憶として残ればいいのですが、この1年も何が起こるのかわかりませんね。一つだけはっきりしていることは、イエスさまが再び迎えに来てくださる再臨まで、また1年近づいたことです。
再臨のことを考えると、わたしもぜひ入れていただきたいと切に願いますが、自らの心の中を見ると、醜いものばかりで、とても神さまの前には立てません。このようなわたしでも、牧師としてみなさまに再臨の備えについて語ることを託されています。牧師の役割として、聖書の書かれている教えを、できるだけわかりやすく、みなさんに伝わるように語ることは大切なことです。このごろわたしは再臨の備えについて、二つのことを話すことにしています。
生きる方向を変える
最初は「生きる方向を変える」ことです。福音書の中で、一人の金持ちの青年議員がイエスさまに、「どのようにしたら永遠のいのちを得ることができるでしょうか」と質問をしています。そして彼は十戒も守っているとイエスさまの前で述べています。人間としてできることは、すべてやっていると言おうとしているのでしょう。イエスさまは、「貧しい人に持ち物を売って施しなさい」と答えられました。これは自分の救いを求める、自分のために生きるという方向を変えるようにというメッセージなのです。
©︎日本聖書協会 マタイによる福音書25章の羊と山羊の譬えでは、天国へ入れていただいた羊の群れに対して、神さまは、「空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ……最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(口語訳)と語りかけています。ここで神さまの国に入れていただいた方々は、困っている人たちのために自分の時間を割き、愛を注いできたのです。
これから始まる新しい1年を想うとき、誰もが不安になります。けれども、わたしたちは「明日のことを思いわずらうな」と教えられています。これは無計画でもよいと言っているのではありません。必要以上に心配してしまう人間に、今できることを一生懸命に果たすように教えているのです。
よきサマリヤ人の譬えで、祭司、レビ人は自分の役割を果たすために、倒れている人を見て見ぬふりをしましたが、サマリヤ人は助けの必要な人のことを考えました。生きる方向を変える、それはこのような生き方なのです。自分のまわりであなたの助けが必要な人がいたら、その方々のために生きるように聖書は教えています。そのような毎日の延長に天国があるのです。
人生会議
再臨の備えの2番目は「人生会議」です。再臨はいつなのでしょう。この答えを、多くのアドベンチストは聖書や預言などから探してきました。『©︎日本聖書協会 マタイによる福音書24章36節に、「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知(ておられる」(口語訳)と書かれています。子も知らない、イエスさまでさえわからないのです。もし百歩譲って再臨の日時を見つけても、その日まで生きる保証はありません。
わたしは、「再臨の日は、それぞれ異なる」と、いろいろな機会で話しています。わたしたちは、死んだらすぐに昇天するのではなく、再臨の日まで眠りにつくと信じています。つまり死を迎えた時に眠りについたら、次に目を覚ますのは再臨の日なのです。あなたの人生が終わる日が実質的な再臨であり、それぞれ異なる日に再臨がやってきます。そして、わたしたちがいつ死ぬのかはわかりません。だからこそ再臨の日時は、いつやってくるのかわからないのです。再臨への備えは、自らの人生の最期への備えでもあるのです。
わたしは11年前から特別養護老人ホームで働かせていただいています。そこでたくさんの方々を看取ってきました。残されたご家族は、どんなに家族のために尽くされても後悔をなさいますね。それを少しでも少なくするためにも準備が必要です。
穏やかに死を迎える方もいらっしゃいますが、突然急変して、いのちの瀬戸際を迎える時があります。そのような場合、延命処置を選ぶか否かを家族が決めねばなりません。生死を決める厳しい決断を本人に代わって下さねばならないのです。
自分の人生の最後をどのようにしたいのか、それは誰かに伝えておかねば自分の思いは伝わりません。そして家族は、希望どおりにすることで自責の念が軽くなります。自分の人生の最期について希望を、具体的に家族と話す「人生会議」を開いてみませんか。特にあなたが家族の中で一人だけクリスチャンだったら、家族はキリスト教での告別式について困惑されることでしょう。自らが死んだら教会へ連絡するように話しておきましょう。また、自分と神さまとの出会いについても話し、神さまの恵みに感謝することも大切ではないでしょうか。年末年始は家族が集まることが多くなります。そのような時に、ぜひ「人生会議」を開いてください。
先日お亡くなりになったある姉妹は、自分の告別式のプログラムを、奏楽から特別讃美歌の曲目なども含めてすべて準備をなさっていました。またある教会では、教会員の好きな讃美歌や聖句などを事前に集めていました。信仰をあかしする最後の機会となる告別式のためにも、このような準備があれば良いと思います。
最後に、神さまは人生の最期の最も悲しい時にも、必ずあなたのそばにいてくださいます。3年前に父が亡くなる前夜、容体が急変した時に、全世界の信仰の友に祈りをお願いしました。その時にアメリカにいる先輩から「この神は世々限りなくわたしたちの神/死を越えて、わたしたちを導いて行かれる、と」(©︎日本聖書協会 詩編48編15節)をメールで送っていただきました。父の死を目前にしたわたしに、「死を越えて導く」という約束は、最も時宜を得た励ましでした。
神さまは死を越えてわたしたちを導いてくださいます。神さまの守りを信じて、出会わせてくださった方々に愛を注いで生きる、そのような1年としたいですね。
安河内アキラ/やすこうちあきら
特別養護老人ホームシャローム施設長 チャプレン
1958年生まれ。亀甲山教会出身。北海道と関東で牧師として働く。2009年より特別養護老人ホームで働き始め、2017年7月から特別養護シャローム(横須賀)の施設長に就任、現在に至る。
アドベンチスト・ライフ2020年1月号