味つけとしてのお塩
皆さんは、お塩を何に使うでしょうか。スープの味が薄いとき、もしくは天ぷらを食べるときでしょうか。普段は味つけに使うことが多いかもしれません。しかし、お塩の使い方は、それ以外にもたくさんあります。
身近なところでは、リンゴの塩漬けです。塩が酸化防止になるのだそうです。また、お掃除にも使うことができるそうです。フライパンやオーブンの汚れを拭き取るときに使うとよく落ちると聞いたことがあります。ほかにも、洋服などについた汗のシミを抜いたりすることもできるとか、たくさんの使用法がありますが、本当に可能かどうかは試してみなければわかりません。
さて、聖書の中には、お塩を味つけ以外の目的で用いたお話が出てきます。
聖書の中のお塩
エリシャは、有名な預言者エリヤの後継者として活躍した預言者でした。
ある日、エリコの町の人々が訪ねてきて、「御覧のように、この町は住むには良いのですが、水が悪く、土地は不毛です」(列王記下2章19節)(©︎日本聖書協会)と訴えました。
この町は、家畜や樹木、果物や農作物など、生きていくのに大切なものが十分に育たないという問題を抱えていました。その原因は、その土地に流れている“お水”にありました。お水が悪くて、さまざまなものが育たなかったようです。
しかし、もっと大きな原因がありました。ヨシュアが活躍した“エリコの戦い”があったとき、この町は一旦なくなりました。そのとき、ヨシュアがこんな言葉を残したのです。「エリコの町を再建すると呪われてしまう」。エリコは偶像礼拝の町でした。その町を再建することは、神様からの祝福から離れることにつながります。それゆえの言葉でした。
しかし、時が経ち、この言葉に反する結果へと陥ってしまいます。それが、この町で農作物が育たなくなってしまった大きな原因でした。そんな中、困った人たちが、預言者エリシャに相談にやってきたのでした。
そこでエリシャは、町の人たちに言いました。「新しい器を持って来て、それに塩を入れなさい」(同20節)と。
エリシャが持って来るように言ったもの。それが、お塩でした。「人々が持って来ると、彼は水の源に出かけて行って塩を投げ込み、『主はこう言われる。「わたしはこの水を清めた。もはやここから死も不毛も起こらない」』と言った」(同20、21節)。
エリシャが、この不毛をもたらす水が流れ出ている源にその塩を投げ込むと、水が清められ、農作物も豊かに実る土地に変わっていったのでした。「エリシャの告げた言葉のとおり、水は清くなって今日に至っている」(同22節)のです。これが、聖書に出てくるお塩の使用法です。
お塩の使用法の中に、キレイにしたり、防腐のために使うという目的がありますが、まさにそれです。しかし、汚れた川にただ塩を入れただけではこうはなりません。神様がこれに関係していなかったら、この奇蹟は起こりませんでした。
神様の力はすごいですね。水に塩を入れることで、不毛の土地を潤されました。そんなお塩があったらぜひ欲しいですね。
実は、そんなお塩が本当にあるのだそうです。イエス様の言葉を思い出してみましょう。「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである」(マタイによる福音書5章13節)(©︎日本聖書協会)。
汚れをキレイにできて、それを保つことができる塩。それは、わたしたち1人ひとりであるとイエス様は語っておられます。
私たちが、その役割を果たすために、お塩の特徴を3つ覚えておきたいと思います。
お塩の3つの特徴
①お塩には味がある─当たり前に思いますが、味があるからこそ全く味のないものに味をつけることができるのです。もし、味のないお塩があったら、そのお塩に塩味をつけるのはなかなか難しいと思います。イエス様の用いる「地の塩」には味があります。
②お塩には防腐剤の効果がある─リンゴを塩水に入れると茶色くなるのを防げるように、ものが悪くなってしまうのを防ぐ効果があります。そして、保存が効くため、長持ちします。エリシャのお話にあった通り、お塩で清めた川はずっとそのまま保たれていました。
同じように、「地の塩」は、悪くなってしまうのを防いで、それを清く保つ効果があります。
③お塩には影響力がある─お塩はひとふりするだけで、ものすごくたくさんの用途に使えます。それだけ、影響力を持っているということです。そして、塩をふればふるほど塩味は濃くなります。多ければ多いほど影響力も大きくなるのです。
イエス様は、その「地の塩」の影響力に期待しておられます。料理で使う場合はお塩少々ですが、「地の塩」はどんなに濃くなっても大丈夫です。
そして最後に、1つ大切な話があります。それは、この「地の塩」の使用法です。
お塩の使用法
お塩はいろいろな使い方をすることができますが、必ずあることをしなければ、使うことができません。それは“混ぜる”ことです。味つけとして食べるにしても、防腐剤として使ったり、お掃除をするにしても、必ず直接かけて混ぜなければ効果が発揮できません。
お塩を近くにおいて眺めながら食事をしても味はつきません。もし味をつけたければ、混ぜる必要があるのです。
エリシャがお塩を川に投げ入れ、それが川の水と混ざったときどうなったでしょうか。飲むこともできなかったあの汚い水が清められ、更にそれを今日まで保っているというすごい奇蹟が起きました。それと同じように、「地の塩」が混ざるとすごいことが起こります。
「塩はそれを加えた物質とよく混ぜねばならない。保存するためには塩は浸透しなければならない。そのように人々に福音の救済の力が及ぶのは、個人的な接触と交わりによってである」(『希望への光』479ページ、『国と指導者』上巻200ページ)。
イエス様は私たちを「地の塩」として用いてくださいます。イエス様の味をつけるために、まだイエス様の味がついていない方々と交わる機会が与えられますように祈りましょう。そして、その勇気が与えられるように祈りましょう。
堀圭佑/ほりけいすけ
八王子教会、甲府集会所牧師。三育学院大学東京校舎チャプレン。
1988年生まれ。ルーテル学院大学卒業。広島三育学院中学校男子寮モニターを経て、三育学院カレッジ神学科卒業。北浦三育教会で牧師インターンを経て、現職。
アドベンチスト・ライフ2019年10月号