セブンスデー・アドベンチスト教会

われわれは、時間や機会、才能や資産、地の恩恵や資源を神から委ねられた神の管理者である。 われわれはそれらを正しく用いるように、神に対して責任を負っている。 われわれは、一切の所有権が神にあることを認めて、神と隣人に対して忠実に仕えるとともに、福音の宣教と神の教会の維持発展のために什一や諸献金をささげる。 管理者の務めは神から与えられた特権であって、それは愛を育成し、利己心と貪欲を克服する。管理者は、自分が忠実に働いた結果として人々にもたらされる祝福を喜ぶ。

聖句

創世記1:26~28
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
創世記2:15
主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。
歴代誌上29:14
このような寄進ができるとしても、わたしなど果たして何者でしょう、わたしの民など何者でしょう。すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません。
ハガイ書1:3~11
主の言葉が、預言者ハガイを通して臨んだ。「今、お前たちは、この神殿を廃虚のままにしておきながら自分たちは板ではった家に住んでいてよいのか。今、万軍の主はこう言われる。お前たちは自分の歩む道に心を留めよ。種を多く蒔いても、取り入れは少ない。食べても、満足することなく飲んでも、酔うことがない。衣服を重ねても、温まることなく金をかせぐ者がかせいでも穴のあいた袋に入れるようなものだ。万軍の主はこう言われる。お前たちは自分の歩む道に心を留めよ。山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。わたしはそれを喜び、栄光を受けると主は言われる。お前たちは多くの収穫を期待したがそれはわずかであった。しかも、お前たちが家へ持ち帰るときわたしは、それを吹き飛ばした。それはなぜか、と万軍の主は言われる。それは、わたしの神殿が廃虚のままであるのにお前たちが、それぞれ自分の家のために走り回っているからだ。それゆえ、お前たちの上に天は露を降らさず地は産物を出さなかった。わたしが干ばつを呼び寄せたのでそれは、大地と山々と穀物の上に新しいぶどう酒とオリーブ油と土地が産み出す物の上にまた人間と家畜とすべて人の労苦の上に及んだのだ。」
マラキ書3:8~12
人は神を偽りうるか。あなたたちはわたしを偽っていながらどのようにあなたを偽っていますか、と言う。それは、十分の一の献げ物と献納物においてである。あなたたちは、甚だしく呪われる。あなたたちは民全体で、わたしを偽っている。十分の一の献げ物をすべて倉に運びわたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を開き祝福を限りなく注ぐであろう。また、わたしはあなたたちのために食い荒らすいなごを滅ぼしてあなたたちの土地の作物が荒らされず畑のぶどうが不作とならぬようにすると万軍の主は言われる。諸国の民は皆、あなたたちを幸せな者と呼ぶ。あなたたちが喜びの国となるからだと万軍の主は言われる。
マタイによる福音書23:23
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。
ローマの信徒への手紙15:26、27
マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。
コリントの信徒への手紙一9:9~14
モーセの律法に、「脱穀している牛に口籠をはめてはならない」と書いてあります。神が心にかけておられるのは、牛のことですか。それとも、わたしたちのために言っておられるのでしょうか。もちろん、わたしたちのためにそう書かれているのです。耕す者が望みを持って耕し、脱穀する者が分け前にあずかることを期待して働くのは当然です。わたしたちがあなたがたに霊的なものを蒔いたのなら、あなたがたから肉のものを刈り取ることは、行き過ぎでしょうか。他の人たちが、あなたがたに対するこの権利を持っているとすれば、わたしたちはなおさらそうではありませんか。しかし、わたしたちはこの権利を用いませんでした。かえってキリストの福音を少しでも妨げてはならないと、すべてを耐え忍んでいます。あなたがたは知らないのですか。神殿で働く人たちは神殿から下がる物を食べ、祭壇に仕える人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかります。同じように、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。
コリントの信徒への手紙二8:1~15
兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。また、わたしたちの期待以上に、彼らはまず主に、次いで、神の御心にそってわたしたちにも自分自身を献げたので、わたしたちはテトスに、この慈善の業をあなたがたの間で始めたからには、やり遂げるようにと勧めました。 あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。 わたしは命令としてこう言っているのではありません。他の人々の熱心に照らしてあなたがたの愛の純粋さを確かめようとして言うのです。あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。 この件についてわたしの意見を述べておきます。それがあなたがたの益になるからです。あなたがたは、このことを去年から他に先がけて実行したばかりでなく、実行したいと願ってもいました。だから、今それをやり遂げなさい。進んで実行しようと思ったとおりに、自分が持っているものでやり遂げることです。進んで行う気持があれば、持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです。他の人々には楽をさせて、あなたがたに苦労をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。「多く集めた者も、余ることはなく、わずかしか集めなかった者も、不足することはなかった」と書いてあるとおりです。
コリントの信徒への手紙二9:7
各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。

聖句は©️日本聖書協会