セブンスデー・アドベンチスト教会

なぜ土曜日が安息日なの?

A、問題は、何が自分に好都合で、何が不都合かではなく、信仰と行為の規準である聖書が何と教えているかです。聖書は、安息日の起源を記した創世記の2章から新約聖書まで、終始一貫して週の第7日、すなわち現在の土曜日を聖日として定めています。

現代の多くのキリスト教会は日曜日を礼拝日としています。どうしてこうなったのでしょうか。

2世紀以前、初期のキリスト教会が日曜日を礼拝日としていた記録はありません。

歴史的には、安息日を日曜日とする習慣は、ローマから始まりました。ローマ帝国の首都ローマでは、反ユダヤ的感情が次第に強くなりました。ローマのクリスチャンは、ユダヤ人から自分たちを区別するために、ユダヤ人にとって重要な第七日安息日の代わりに日曜日を礼拝日として守るようになりました。しかし、二世紀から五世紀にかけて、ローマ教会の影響が次第に強くなる中で、ローマ帝国内の多くのキリスト教会は土曜安息日を守っていました。五世紀の歴史家ソクラテスは「帝国内のほとんどすべての教会は毎週安息日に聖なる奥義を祝っている。ところが、アレキサンドリアとローマのクリスチャンは、古来の慣例という理由で、これを中止してしまった」と記録しています。

ローマの教会が日曜日を礼拝日として採用したのは、ローマの反ユダヤ的感情のほかに、もう一つの理由がありました。それは、ローマにおいては太陽神の礼拝が広く行われていたことです。この太陽神の礼拝は、日曜日の礼拝と一致するものでした。

ローマ帝国のコンスタンチン大帝は、紀元321年、日曜令を発布しました。「尊ぶべき太陽の日には、行政官や町に住む人たちを休息させ、すべての仕事場を閉じるべし。しかし、地方において農業に従事する人々は、今まで通り自由かつ合法的に、その仕事を続けてもよい」。

やがて、キリスト教はローマ帝国から国教として認められるようになり、ローマ・カトリック教会が形成され、政治的な理由で、日曜礼拝は帝国内に徹底されていきました。ここで政治勢力と宗教勢力が合体し、ローマ帝国の帝王は、同時に教会の長(法王)として君臨するようになりました。

16世紀に入るとマルチン・ルターによる宗教改革が起こりました。当時のローマ・カトリック教会に対して、教会の伝統よりも「聖書のみ」が、キリスト信仰の根拠であると主張したのです。聖書のみに基づいてキリスト信仰を見直そうとするこのルターの姿勢は正しかったのですが、こと日曜礼拝の根拠については、彼は聖書的根拠を持っていませんでした。ローマ・カトリック教会のジョン・エックは、ルターに対して「聖書のみというなら、日曜礼拝の根拠はどこにあるのか」と批判し、こう言ったのです。

「聖書には『安息日を覚えてこれを聖とせよ。六日の間働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから……』[(c)日本聖書協会 出エジプト記第20章8節]と書いてあります。教会はその権威によって安息日を日曜日に変えました。この点において、あなたは、何の聖書的根拠も持っていないのです」。

さすがのルターも、この安息日については反論できませんでした。

 

ローマ・カトリック教会は現在も同じ立場をとっています。1977年版の『改宗者のためのカトリック教理問答』の中でこう述べています。

問い 安息日はいつですか?
答え 土曜日が安息日です。

問い どうして土曜日の代わりに日曜日を守るのですか?
答え 私たちが、土曜日の代わりに日曜日を守るのは、カトリック教会が土曜日から日曜日に移したからです。

実は、この安息日の変更については、すでに聖書に預言されていたのでした。聖書はあらかじめサタンが神の律法を変えようと試みることを預言しています。旧約聖書の中で、ダニエルは「彼はいと高き方に敵対して語り いと高き方の聖者らを悩ます。彼は時と法を変えようとたくらむ」[(c)日本聖書協会 ダニエル書7章25節]と書き記しました。

ここで「時と法を変えようとたくらむ」と預言されていました。時を変えたというのは、安息日を土曜日から日曜日に変えたことです。法を変えたというのは、カトリック教会が神の十戒の偶像礼拝を禁じる第二条を削除して第10条を二つに分けてしまったことでした。これにより、当時カトリック教会で行われていた聖画像や聖遺物礼拝への障壁が取り除かれたのでした。

安息日の聖書的根拠

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多くのプロテスタント教会(非カトリック教会)は、なぜ日曜日を礼拝日とするかについて、日曜日にキリストが復活されたからであると主張しています。しかし、キリストの復活後、日曜日を礼拝日とするようにキリストあるいは使徒たちが教えまた実行したという記録はどこにもありません。またキリストが安息日を変えられたという聖書的根拠は存在しないのです。

もし本当に安息日が日曜日に変えられたとするならば、創世記の初めから聖書が重要視している安息日の教えについて聖書が何もコメントしていないことの方が不自然なのです。

1976年、全世界を襲ったオイルショックによるエネルギー危機のとき、米国の有力なプロテスタント教会の『今日のキリスト教(Christianity Today)』誌は、「エネルギー危機を克服するために、週に一度、日曜日をみんなの休日として、エネルギーを節約するように」と提案しました。

これは日曜日を礼拝日とする多くのキリスト教会からはすんなりと受け入れられたのですが、土曜日を礼拝日とする教会からは反対されました。それを受けて同誌の編集者は、こう再提案したのです。

「それでは、土曜日をみんなの休日とするように提案します。プロテスタントとカトリックにとって神学的な問題はありません。キリストが週の初めの日(注・日曜日)に死からよみがえられたという事実以外には、土曜日ではなくて日曜日を聖日として守ることを要求する箇所は、聖書のどこにもないからです」(Christianity Today、1976年11月5日)。

聖書を私たちの信仰の土台とする限り、この編集者の言うように、第七日が聖書の主張する安息日であることは明白なのです。

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