安息日学校部

20240201安河内アキラ解説

2024年第2期「大争闘」

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第1課   あらゆる戦いの背後にある戦い 4月6日

 

暗唱聖句:さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。

黙示録 12:7、8

                                           

今週の聖句:黙示録 12:7~9、エゼキエル 28:12~15、イザヤ 14:12~14、

創世記 3:15、ヨハネ 17:24~26

                                           

今週の研究:今週の研究では、長年にわたる善と悪の争いを探求します。天におけるルシファーの反逆から始まり、悪の起源と、罪の問題に対処される神の忍耐について考察していきます。

神の目的は、神が被造物の最善の利益のために常に行動してこられたことを全宇宙の前で示すことです。善と悪の大争闘を踏まえて、神の愛というレンズを通して世界を見るとき、私たちはみな、善が悪に勝利し、永遠に勝利し続けると確信できます。

                                           

はじめに:今期の『聖書研究ガイド』は、キリストの時代から何世紀も経た現代とさらにその先に至るまで、預言が啓示している神の視点から世界の歴史をたどります。神の本質が愛であるがゆえに、神のあらゆる行為は愛に満ちていますが、この事実は有限な人間にとって、あるいは天使にとってさえ、必ずしも明らかであるとは限りません。しかし神の愛は、大争闘が展開するにつれて徐々に明らかになっていきます。私たちは十字架を通して、その高さと深さを最もはっきりと知ることができます。カルバリーにおいて、キリストが人類を贖うためにご自分の命を注ぎ出されたとき、神の愛は全宇宙の前に示され、サタンの最終的な敗北が確実なものとなりました。

しかし、戦いは激しく続いています。サタンは十字架上のイエスを滅ぼそうとしましたし、彼が何世紀にもわたって、神の民を滅ぼそうとしてきたのを、私たちは目にしています。サタンはキリストの教会を激しく迫害し、何百万もの人を虐殺してきましたが、神は常にご自分の民と共におられ、決して彼らを見捨てることはありません。

                                           

日曜日:神は悪魔を創造されませんでした。神が創造されたのは、ルシファーという名のまばゆい輝きを放つ存在でした。この天使は完璧に造られ、その完全さには選択の自由が含まれていました。これは強制ではなく、愛によって営まれる 神の統治の基本原則です。罪は、天のルシファーに端を発しています。この完璧な天使が、なぜ誇りと嫉妬を心に根づかせ、創造主への反逆に至るまで成長させてしまったのか、論理的に説明することはできません。被造物であるルシファーは、創造主だけがお受けになるべき礼拝を自分も受けたいと強く望みました。彼は神の権威を疑い、神の王座を奪おうとしたのです。ルシファーの反逆は、天における戦いを引き起こしました。

                                           

月曜日:天で戦いが起きたとき、天使たちはイエスに従うか、それともルシファーに従うか、決断しなければなりませんでした。天における戦いは、どのようなものだったのでしょうか。物理的な戦いだったのか、思想の戦いだったのか、その両方だったのか、詳細はわかりませんが、その闘いは物理的なものであったために、サタンとその天使たちは最終的に「投げ落とされ」、「もはや天には彼らの居場所がなくなった」(黙12:8、9)のでした。この戦いには、何らかの物理的な要素が明らかに含まれています。天における戦いについて確かなことが一つあります。すべての天使が、キリストに従うか従わないかを決めなければならなかったということです。彼らは誰に従い、誰の声に耳を傾けるのでしょうか。忠実な天使たちは、キリストの愛に満ちた命令に従うことを選びましたが、三分の一の天使は、ルシファーの声に耳を傾け、神に背き、天を失いました。私たちもまた、この地球史の重要な時期に、キリストに従うか否かを決めるよう求められています。自分がキリストの味方か、サタンの味方かを宣言しなければならないのです。

                                           

火曜日:罪の核心は神への反逆です。罪は神からの分離をもたらします。神は命の源ですから、神からの分離は死をもたらします。また、心配、不安、病気ももたらします。この世の苦しみは、結局のところ、罪で荒廃した地球に住んでいることの結果なのです。だからといって、苦しむたびに私たちが罪を犯したという意味では決してありません。私たちの誰もが、罪で荒廃した地球に住んでいることの影響を受けているということです。

                                           

金曜日:「カルバリーの十字架は、律法が不変なものであることを宣言しているとともに、罪の価は死であることを宇宙に宣言している。『すべてが終わった』との救い主の臨終の叫びによって、サタンに対するとむらいの鐘が鳴らされた。長い間継続されてきた大争闘は、ここに決定し、悪の最終的な根絶が確実となった。神のみ子は、『死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼ』すため、自ら墓の門をくぐられた(ヘブル2:14)」(『希望への光』1842ページ、『各時代の大争闘』第29章)

                                           

今期は善と悪との大争闘について学びます。これは血肉によるものではなく霊的な争いなのです。(エフェソ6:12)目には見えない戦いなのですが、すべての人がそこから逃れることはできません。だからこそ今期はこの戦いについてしっかりと学んで行きましょう。

わたしは信仰生活には、神さまの働きと、わたしたちの果たすべきことがあると何回も書いています。神さまが導いてくださるから、わたしたちは何もしないで待っていようという姿勢では、何も前には進みません。開かれた道を信じて進む時、わたしたちには次の一歩が示されます。

善と悪との大争闘には、もう一人プレーヤーがいます。それはサタン、悪魔と言われるものです。彼らは、わたしたちに悪いことをさせようと誘惑するのです。神さまの導きを信じて前進するか、悪魔の誘惑に惑わされて、まちがった選びをするのか、これを決めるのはあなたなのです。

「人に惑わされないように気をつけなさい」(マタイ24:4)。これは弟子たちがキリストに終末時代に起こることについて質問をした時の答えです。時を決めるのは神さまですが、わたしたちは神さまを信じないように惑わす力に負けないようにしなければなりません。善と悪との大争闘について考える時に、わたしたちがしなければならないことは「惑わされないこと」であることを忘れずに、今期の学びを進めてください。