安息日学校部

20240111安河内アキラ解説

2022年第4期「永遠の命」

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第11課   シオンの神を慕う   3月16日

 

暗唱聖句:主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。命の神に向かって、わたしの身も心も叫びます。 詩編 84:3

                                                               

今週の聖句:詩編 84 編、黙示録 21:3、詩編 122 編、詩編 87 編、ガラテヤ 3:28、29、 マタイ 28:18~20、詩編 46 編、詩編 125

                                                               

今週の研究:シオンの歌は、シオンの美しさと、聖なる山から統治される主の主権をほめたたえる喜びの賛歌です。これらの詩は、しばしば主の家の功績を賛美し、ほかの詩にも見られるような聖所への愛を表現しています。これらの詩の多くは、神殿の詠唱者(代上6:16~23〔口語訳6:31~38〕)や門衛(同9:19)として主の家の祝福を直接体験したコラの子らによって作られました。

シオンの祝福が地の果てまであふれるのは、主のご品性と恵みがどんな聖なる場所の境界をも超えるからです。シオンは全地の喜びであり(詩編48:3〔口 語訳48:2〕)、全地が神のものであることを主張しています。

                                                               

日曜日:神の祝福は、聖所から放射状に広がり、まず聖所で奉仕する人々に与えられ(詩編84:5〔口語訳84:4〕)、次に聖所に向かう巡礼者に与えられ(同84:6~11〔口語訳84:5~10〕)、最終的に地の果てまで届くと描かれています。聖所で神と出会うという期待が、巡礼者の信仰を強めます(同84:8〔口語訳84:7〕)。普通の旅人は、うんざりする長旅の苦しさで力が弱まりますが、聖所に向かう巡礼者は、聖所に近づけば近づくほど力が強まるのです。

物理的に聖所から離されているときも、神の子らは、価値ある生活を送ることによって、神の聖所の刻印を持ち続けます(同84:12〔口語訳84:11〕)。それは、主の聖所に入る正しい人たちを特徴づけるものです(詩編15:1、2)。主が「太陽」と呼ばれているのは、聖所からの祝福が太陽の光のように地の果てまで及ぶことを示しています(同84:12〔口語訳84:11〕)。このように、信仰によって 神のもとにとどまる者は、彼らのいる場所に関係なく、神の恵みを受けるのです。

                                                               

木曜日:神の子らは、主に逆らう者たちの成功に落胆し、おそらく、彼らのやり方に従うよう誘惑されることがあります(詩編73:2~13、94:3)。シオンの山の最大の安定も、主から離れる者を守ることはできません。人々には、「悪に手を伸ば(し)」(同125:3)、「よこしまな自分の道にそれて行く」(同125:5)自由がまだ与えられています。主は公正であり、反抗を続ける個人を、ほかの悔い改めない罪人たちと共に裁かれるのです。

シオンの山が彼らの不動の避け所であるように、神の民が主に対する信仰と信頼において動じないよう、ここで呼びかけられています。つまり、物事が理解できないときでも、私たちは神の恵みに信頼することができるのです。

                                                               

金曜日:シオンの歌は、シオンと、シオンが象徴する神の絶対的支配に対する生きた希望を心に留めることを心から誓っています。神の聖所の多くの祝福は、現世でも経験できますが、シオンでの満ち足りた生活と喜びへの希望は、まだ未来にあります。神の子らの多くは、涙を流しながら天のシオンを待ち望んでいます(詩編137:1)。シオンを心に留めるというのは、単に時々思うことではなく、その生きた記憶に従って生きるという意図的な心構えや決断を意味します(出 13:3、20:8)。

シオンを忘れないという約束は、主の巡礼者たちの暗黙の誓いであり、彼らはこの世を故郷として受け入れることなく、新しい天と地を待ち望むのです。

従って、シオンに関する詩は、新しいエルサレム(黙3:12)に住むことを切望するあらゆる世代の信徒が歌うことができます。シオンの歌は、私たちが希望をもって来世を楽しみに待つように促すだけでなく、現世において神の恵みの代理人となるようにも促しています。

                                                               

今週はシオンについて学びます。シオンとは何でしょうか。これは地名でエルサレムのことを指すと言われています。エルサレムとはどんなところでしょうか。ダビデ王が都と定めました。まわりが山に囲まれていて堅固な場所だったので、彼はこの地を都と定めたのでしょう。そして神殿が置かれました。当時の人たちは年に三回都に巡礼するように求められていました。彼らの多くは徒歩でエルサレムへ向かったのでしょう。巡礼の途中で彼らは詩を歌いました。それが今週の学びにある詩篇です。彼らは巡礼することで、神さまとの関係を再確認して帰宅して行きました。これは今日のわたしたちの安息日礼拝にもつながって行きます。わたしたちは一週間、それぞれの場所で生きています。そこでいろいろなことが起こって、現実ばかりを見てしまうことがあるかもしれません。けれども教会に集って、わたしを愛して守ってくださる神さまのことを思い起こすのです。安息日を覚えて聖とする教えられた神さまは、わたしたちが神さまとつながっていることを継続できるようにしてくださっています。

そして金曜日の引用文にも書かれていますが、彼らはエルサレムの神殿において神さまの正しさ、支配、そして確かな守りを信頼して家路に向かうのでした。それだけでなく、わたしたちの日常生活の向こうにある、すばらしい約束、天国の約束についても再確認しています。そして神さまはわたしたちにそれを伝えるよう光を託しています。教会に集うこと、それは自らの信仰のためだけでなく、多くの人に神さまの愛を伝えるようにわたしたちが召されていることを忘れないでください。