安息日学校部

20240110安河内アキラ解説

2022年第4期「永遠の命」

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第10課   過去の教訓   3月9日

 

暗唱聖句:わたしたちが聞いて悟ったこと/先祖がわたしたちに語り伝えたことを。子孫に隠さず、後の世代に語り継ごう/主への賛美、主の御力を/主が成し遂げられた驚くべき御業を。 詩編 78:3、4

                                                                            

今週の聖句:詩編 78 編、詩編 105 編、ガラテヤ 3:29、詩編 106 編、詩編 80 編、

民数記 6:22~27、詩編 135 編

                                                                            

今週の研究:詩編の多くの詩において、賛美は主の力強い救いの行為を物語るという形をとっており、これらの詩は、「救済史の詩」あるいは「歴史の詩」としばしば呼ばれています。あるものは、歴史から、特に自分たちや先祖の過ちから学べと神の民に訴えています。歴史の詩の中には、神がご自分の民のためにかつてなさったすばらしい行いを強調し、現在の苦難から私たちを救い出すことがおできになる誠実な主への信頼を強める賛歌の特徴を顕著に持つものもあります。

最終的な目標は、神の民の各世代が、大論争における神の主権的な目的の壮大な歴史的展開において、小さいながらも重要な役割を担っていることを理解することです。

 

                                                                            

日曜日:しかし詩編記者は、イスラエルの不忠実の根本原因を強調しています。それは、神が彼らのためにしてくださったことを忘れ、神を信頼せず、神を試み(詩編78:18、41、56)、神に反抗し、神の律法と契約と証を守らなかったことでした(同78:10、37、56)。詩編記者は、こういった具体的な不忠実の形を強調することで、歴史の中でイスラエルが拒絶されたのは、一つの中心的な罪、すなわち、民が主を信頼しなかったことに起因すると暗に伝えています(同78:7、8)。詩編を読むとき、主の限りない忍耐と恵みとは対照的に、民の絶え間ない頑固さと霊的盲目さに圧倒されます。新しい各世代は、どうしてこんなに物覚えが悪かったのでしょうか。

私たちは過去の世代を過度に批判する前に、自分自身を考えてみる必要があります。私たちもまた、神の過去の不思議な業を忘れ、神の契約上の要求を怠ってはいないでしょうか。この詩は、自分の行いに頼ることを勧めていません。それどころか詩編78編は、神の誠実さを常に意識し、神の恵みを受け入れることに根拠を置かない限り、人間の意志が無益であることを示しているのです。神の民が破れた戦い(詩編78:9、62~64)は、神への忠実さから離れた人間の努力は失敗に終わる運命にあるという詩編の教訓を明らかにしています。

 

                                                                            

火曜日:詩編106編にあるイスラエルの歴史的失敗の回想は、民が自らの罪を告白し、自分たちが先祖より優れていないことを認めるうえで不可欠な部分です。現在の世代は、祖先よりも一層悪いことを認めています。なぜなら彼らは、過去の世代の不義の結果や、神が大いなる忍耐と恵みを発揮して彼らを救ってくださったことを知っていたにもかかわらず、これまで意図して邪悪な道を歩んできたからです。もしこのことが彼らに当てはまるとしたら、神のご品性と救いの恵みをイエスと十字架によって啓示された現代の私たちには、どれほど当てはまることでしょう。考えてみてください。

詩編106編の良い知らせは、神の不動の愛が常に民の罪にまさっていたということです(詩編106:8~10、30、43~46)。神の怒りを鎮めたモーセとピネハスの重要な役割は、信者のためにキリストが執り成してくださることの意義を指し示しています。神の恵みを個人的に経験することだけが、過去の物語を私たち自身の物語に変えることができるのです。

 

                                                                            

金曜日:歴史の詩は、神がご自分の民に誠実であられることの力強い証言です。神の民の歴史における一つひとつの出来事は、ナザレのイエスという人間として来られたこの世の救い主に関する神の約束の最終的な成就につながる摂理的な手段でした。神の民をしばしば当惑させ、神から見捨てられたと彼らを思わせた試練でさえも、神の主権的な支配下にあり、神の摂理の一部でした。なぜなら、神は歴史の至高の主であるからです。詩編記者は、民の不忠実ささえ、神がご自分の民を信頼し続け、約束を果たされるのを妨げることはできないという真理を巧みに表現しています。しかし、悔い改めない個人や集団は、契約の祝福から排除され、その忌まわしい最期は、神なき人生、あるいは神に逆らう人生がいかに人を滅ぼすかという永遠の警告になっています。詩編は、あらゆる時代の神の子らに、主に希望を置き、主に忠実であるように勧めています。「主が導いてくださった道と、過去の歴史における主の教えを忘れない限り、未来に対して恐れることは何もない」(『エレン・G・ホワイト略伝』196ページ、英文)。

 

                                                                            

詩編は、旧約の時代にまとめられた歌集です。彼らから見て、過去の教訓について今週は学びますが、彼らにとっての過去の大きな教訓は出エジプトではないでしょうか。彼らを救い出すために神さまが介入されて、砂漠での日々を守り、そこで彼らを育てて約束の国へ導かれました。彼らが神さまのことばに、素直に従っていれば40年も遠回りをする必要はありませんでした。そのように背いた彼らを砂漠で必要なものをすべて整えて導かれた神さまの姿に、深い憐れみと愛の神さまが誠実に約束を守られる方であることがわかりますね。

アブラハムが神さまにあなたの子孫が星のように増えることを約束されました。それは彼の子孫がユダヤ人として全世界に広がるだけでなく、彼と同じように神さまを信じる人が神の子となり、全世界に神の子が生まれ、そしてわたしもその中の一人なのです。聖書に記録されているように、神さまが罪深い人間を忍耐しながら今日まで導かれたことの中に、神さまの愛の深さや広さが伝わってきます。

けれども、わたしたちはこのような神さまの愛に気づいても一瞬のうちにそれを忘れてしまう弱さがあるのです。それだからこそ、わたしたちは毎週聖書を開いて、神さまのことばである聖書を通して導きを受け続ける必要があるのです。そして過去の神さまの導きを確認して、約束を誠実に守ってくださる神さまのことばが、今日のわたしたちも信じることができる時に、それがわたしたちの真の希望となって行くのです。人間は約束を忘れたり、破ったり、噓をついたりします。けれども神さまの約束が確かなことを聖書は語っているのです。