安息日学校部

20240108安河内アキラ解説

2022年第4期「永遠の命」

PDFダウンロード

                               

     

第8課   正しく生きるための知恵  2月24日

 

暗唱聖句:生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。 詩編 90:12

                                                                           

今週の聖句:詩編 119:1~16、詩編 90 編、ヨハネ 3:16、詩編 95:7~11、詩編 141 編、 詩編 128

                                                                           

今週の研究:神は、ご自分の子らの忠実さ(あるいは不忠実さ)を明らかにするため、試練の時をお与えになります。神の子らが神の教えと戒めに耳を傾けるなら、彼らの信仰は清められ、主に対する彼らの信頼は強まるでしょう。正しく生きるための知恵は、誘惑や試練の中で、神と共に生きる関係性を通じて得られるものです。従って、「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように」(同90:12)という祈りは、主に対して忠実に歩むという継続的な決意を反映しています。

                                                                           

月曜日:聖書における知恵とは、単なる知性ではなく、神に対する畏敬の念をあらわしています。私たちに必要な知恵は、「生涯の日を……数える」(詩編90:12)方法を知ることです。生涯の日を数えることができるということは、私たちの人生が限られており、私たちがそのことを知っていることを意味します。賢明な生き方とは、信仰と従順に導く、人生のはかなさを自覚しつつ生きることです。このような知恵は、悔い改め(同90:8、12)と赦し、憐れみ、慈しみといった神の賜物(同90:13、14)を通してのみ得られます。

私たちの根本的な問題は、私たちが人間として創造されたという事実からではなく、罪と、罪がこの世界にもたらしたものから生じています。その破壊的な影響は、あらゆる場所、あらゆる人の中に見られます。

しかし、イエスのおかげで、私たちが人間の苦境から抜け出せる道が開かれました(ヨハ1:29、3:14~21)。さもなければ、私たちにはまったく希望がないでしょう。

                                                                           

水曜日:詩編は、誘惑の漸進的で、魅惑的で、狡猾な性質を描写し、主に完全に頼ることだけが勝利を得させるという事実を強調しています。詩編は、誘惑の中で語る言葉、聞く言葉の重要性も強調しています。悪を行う者と神に従う者の末路は、神に知恵を求めることを人々に教えるはずです(詩編1:4~6、141:8 ~10)。しかし、いずれの詩でも、神の子らの最終的なあがないは、未来に残されています。つまり、信者は忍耐強く神を信頼し、神を待ち望むように求められているということです。

                                                                           

金曜日:現代では、知恵を得ることは、幸福を得ることほど望ましいことではないように思われています。人々は、賢くなるよりも、幸せになりたいと思っています。しかし、神の知恵なしに、私たちは本当に幸せになり、充実した人生を送ることができるでしょうか。詩編は、そのようなことはできないとはっきり記しています。ありがたいことに、私たちは知恵と幸福のどちらかを選ぶように求めら れてはいません。神の知恵は真の幸福をもたらすからです。

知恵も幸福も、神との関係の中に見いだされるのであり、その関係は、神を敬い、賛美し、神の内に力を見いだし、神に信頼することから成っています。 詩編25:14には、「主を畏れる人に/主は契約の奥義を悟らせてくださる」とあります。

                                                                          

今期の学びを通して、詩篇は神さまへの讃美や感謝など同時に、わたしたちの願いを詩として歌っていることがわかります。それはわたしたちの信仰生活でも同じではないでしょうか。

今週は詩編90編の有名な聖句が暗唱聖句になっていますね。わたしたちの人生にはいつか必ず終わりが来ます。残念ながら、その日がわかる人はいません。けれどもわたしたちのいのちは神さまから与えられていることを忘れずに、謙虚に生きることを詩編90編は教えています。

そしてもう一つ、人間では避けられない「死」について、人間の力では解決方法がありません。今週の聖句の中にヨハネ3章16節が入っていますが、キリストの十字架しか解決の道がありません。正しく生きるためには、謙虚に生きることと、キリストの十字架をしっかりと知ることが、ほんとうに知恵なのですね。金曜日の引用文に「知恵も幸福も、神との関係の中に見いだされるのであり」とあります。人生の歩みにおいて喜ばしいことも試練を、神さまとの関係を無視して解決方法はありません。神さまとの関係を土台にして生きること、それが正しい生き方なのです。詩編記者はわたしたちにそこをかたりかけているのです。「主のみこころであれば、生きながらえもし、あの事この事をしよう」(ヤコブ4:15)このような生き方が、聖書が教える正しい生き方ではないでしょうか。