安息日学校部

20240105安河内アキラ解説

2022年第4期「永遠の命」

PDFダウンロード

                               

     

第5課   主のための歌を、異教の地で歌う   2月3日

 

暗唱聖句:どうして歌うことができようか/主のための歌を、異教の地で。 詩編 137:4

                                                                       

今週の聖句:詩編 79:5~13、詩編 88:4~13(口語訳 88:3~12)、 詩編 69:2~4(口語訳 69:1~3)、詩編 22:2(口語訳 22:1)、詩編 77 編、 詩編 73:1~20、Ⅰペトロ 1:17

                                                                     

今週の研究:罪が世界をますます堕落させるにつれて、地球は神の民にとってますます「異教の地」になってしまいました。この現実は、異教の地で信仰生活を送るにはどうしたらよいのかという問題を詩編記者にもたらしました。

                                                                     

日曜日:しかし、イスラエルの運命の回復よりも重要なのは、この世において神のご品性を擁護することです(同79:9)。もし国々の悪行が罰せられないなら、神が力を失われたように思われるでしょう(詩編74:18~23、83:17~19〔口語訳 83:16~18〕、106:47)。神がその民を救うときにのみ、神の名は支持され、高められます。

今日と同様、当時も同じ原理が存在しました。私たちの罪、堕落、悪は、私たち自身だけでなく、もっと悪いことに、私たちがその名を公言している神にも不評をもたらしうるのです。私たちの間違った行動は、私たちの証や宣教にも霊的な悪影響を及ぼしかねません。キリストの名を公言している人々の行動によって、どれだけの人々が私たちの信仰に背を向けてきたことでしょう。

                                                                     

水曜日:過去における神の救済行為と、現在の、あたかも神が不在であるかのように思えることとの著しい相違が、詩編記者に、神から見捨てられたと感じさせているのです。もし神が変わってしまわれたのなら、詩編記者には希望がないことになり、彼はその結論を拒絶しようともがいています。

詩編記者が神から与えられる保証は、彼の個人的な状況についての説明ではなく、むしろ(ヨブのように)神の誠実さと信頼性の確認です。詩編記者は、主がかつてのイスラエルに奇跡を行われた神と同じお方であることを知り、信仰をもって主を待ち望むように勧めています(詩編77:12~19〔口語訳77:11~ 18〕)。彼はまた、「あなたの踏み行かれる跡を知る者はない」(同77:20〔口語訳 77:19〕)ことに気づき、神の存在が人間の目には明らかでない状況でも神の導きがあることを認識します。詩編記者は、神が顕現されると同時に隠されておられることを認め、主の神秘的で卓越したその方法に賛美をささげるのです。

                                                                     

金曜日:神が「御顔を隠される」ときにも、祈りの効力は損なわれません。それどころか、このような機会は、詩編記者たちに自分自身を吟味させ、神の過去の救済行為を思い起こさせ、告白と謙虚な願いをもって神を求めるようにさせました(詩編77:11~13〔口語訳77:10~12〕、89:47~53〔口語訳89:46~52〕)。「信仰は、疑いや反対勢力と衝突することによって強くなる。このような試練で得た経験は、最も高価な宝石よりも価値がある」(『教会への証』第3巻555ページ、 英文)

                                                                     

今週は「異教の地で歌う」という題です。異教の地、これはキリスト教文化が少数派である地域と考えればよいでしょう。わたしはかつて南米で暮していました。ここではキリスト教徒が大多数なので、神さまと言えば聖書の神さまで、聖書の物語は日本むかしばなしのように、みなさんは知っているのです。ですから伝道も「あなたの信じている神さまがおっしゃりたいことは、正しいことは」と聖書のポイントを説明すれば良いのです。けれども日本では神さまがどのような方であるか、このことを理解していただき、そしてようやく聖書の話しに入って行くのです。

今週の題は、異教の地で歌うとあります。まわりがキリスト教を信じていない場所で歌う、これはなんらかのかたちであかしをして行くことを指していますね。日曜日の引用文の後半にありますが、神さまはわたしたちの行動を通してあかしをするように招いています。神さまはわたしたちに光を託されて、その光をわたしたちが伝えて行かねばなりません。他の人が、このメッセージに心を開いていただくためには、わたしたちを通して伝えられるのです。あの人が行っているなら教会に行ってみたいと言われるようになりたいものです。

そしてそのような場所での伝道は簡単でありません。今週の学びの中で、何回か「神さまが御顔を隠される」と思われるような場面について書かれています。わたしたちの信仰生活の中で、このように思える時がしばしばあります。それは、どんなに祈っても道が開かれないことがあることも事実です。けれども、神さまは必ずわたしのことを守ってくださる、そしてその時が与えられると信頼して祈り求め続けることが大切なのではないでしょうか。