安息日学校部

20240103安河内アキラ解説

2022年第4期「永遠の命」

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第3課    主こそ王   1月20日

 

暗唱聖句:主こそ王。威厳を衣とし/力を衣とし、身に帯びられる。世界は固く据えら れ、決して揺らぐことはない。 詩編 93:1

                                                                

今週の聖句:詩編 8 編、詩編 100 編、詩編 97 編、詩編 75 編、詩編 105:7~10、 ガラテヤ 3:26~29、詩編 25:10

                                                                

今週の研究:主の絶対的支配によって、世界は固く据えられ、決して揺らぐことがありません。詩編記者たちは、この基本的な真理を読者に理解してもらいたいと願っています。この世界観を灯台として、詩編記者たちは成長し、ひたすら献身的に神に仕えようとしているので

す。

                                                                

日曜日:詩編では、神の主権を支持するために、天地創造が重要な役割を果たしています。天は「御手の業」であり、神の栄光と力を宣言しています(詩編19:2 ~5〔口語訳19:1~4〕、97:6)。神の名は力強く、全地に満ちています(同8:2、 10〔口語訳8:1、9〕)。主はすべてのものを創造され、主には始まりも(同93:2)、終わりもありません(同102:26~28〔口語訳102:25~27〕)。主は永遠の存在であり、「人間の手が造ったもの」(同115:4)にすぎない諸国の神々にまさるお方です。偶像は、「手があってもつかめ」(同115:7)ませんが、主の場合は、「深い地の底も御手の内にあり……陸もまた、御手によって形づくられた」(同95: 4、5)のです。

いくつかの詩編(例えば、詩編29編、93編、104編)は、諸国の民が神であると信じた自然の力を上回る神の力を描いています。これらの詩編は、主がすべての被造物を支配し、力と威厳において至高であられるという主張を改めて断言しているのです。詩編100:3は、偶像崇拝の目立ちにくい一つの形である 「自己信頼」を攻撃し、神が私たちを造られたのであって、「わたしたちは主のもの」であると強調しています。

                                                                

月曜日:創造主としての主は、主権者、支配者としての主と密接に─実のところ、切っても切れない関係で─結びついています。「主こそ王」という宣言が、 詩編93:1、96:10、97:1、99:1で厳かになされていますが、同様の主張は詩編の至る所から聞こえてきます。

主は、栄え(誉れ)、威厳、力を衣とし(詩編93:1、104:1)、雲と闇に包まれ (同97:2、口語訳)、同時に「光を衣として」(同104:2)身を被っておられます。これらの比喩は、王の力と栄えを称賛しており、人間の理解を超えた唯一無二の神の偉大さを表現するために、注意深く選ばれたものです。

                                                                

金曜日:私たちが詩編の研究を続けるとき、愛と恵みという神のご品性と、この世を救い、回復するという神のご計画を踏まえて詩編を読むことが重要です。「十字架の光に照らされて、神のご性質を学べば学ぶほど、神の恵みとあわれみとゆるしが、神の公平や正義と一つになっていることがわかるとともに、放蕩息子を思いやる母親にもまさる優しい同情と果てしない愛の数知れない証拠を、一層はっきり認めることができるのです」(『キリストへの道』改訂第三版文庫版18 ページ)。詩編の中で、人々が自らの反抗のために神の裁きに直面しても、神を呼び求め続けるのは、神の怒りが一時的なものであり、神の慈しみは永遠であることを知っているからです(詩編103:8)

                                                                

今週は、神さまが王であることについて書かれた詩篇を学びます。神さまが王である、その根拠となるのはガイドにも書かれていますが、創造者であることです。何回もこの稿で書いていますが、聖書を読む公式は「神さまが創造者である」ことです。この地上のすべてのものを創造されたお方は、すべてのいのちを与えることも取ることもおできになるのです。地上の王は民を支配します。そうだとすれば、いのちを支配されている神さまは、すべての王であるのです。詩編では、その神さまの姿がいろいろなことばで書かれています。

そして金曜日の引用文も大切です。神さまの王として、また支配者としての側面を強調する時に、忘れてはならないのは、その神さまは愛の神さまで、わたしたち一人ひとりを愛してくださっているのです。支配者として裁きをされたら、わたしたちはその前に立つことはできません、けれどもキリストを送って、神さまはわたしたちの罪をあがなってくださいました。支配者である神さまが、ここまでなさってくださったからこそ。わたしたちの罪を赦すことがおできになるのです。