安息日学校部

第8課 聴覚しょうがい者用 花田憲彦

2024年第1期「詩編

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第8課  正しく生きるための知恵  花田憲彦

 

1.安息日午後

詩編を読んで、神様がどんなに愛に溢れたお方であるのか、その素晴らしいご品性を知ることができます。その恵みに触れる(知る)ことによって、私たちは神が願う正しい道を歩み出すことができます。そして試練を与えることによって私たちを清め、信仰を強めてくださいます。覚えて欲しいことは、試練と誘惑は違うということです。

「だれでも誘惑に会う場合、『この誘惑は、神からきたものだ』と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである」(ヤコブ書1章13、14節 口語訳)。

イエス様は、私たちに「誘惑に立ち向かって勝利するようにしなさい。」とは言われませんでした。『主の祈り』の中で「わたしたちを試みに会わせないでください」と祈るように教えられました。イエス様は私たちの弱さをよく知っているからです。ポイントは、誘惑を避ける道(方法)を信仰によって選ぶことです。つまり神様の教えに耳を傾け、神様の教えに従っていきたいと心から願うならば、私たちはみ言葉の力によって誘惑に勝利出来ます。そして試練を乗り越えていくことができるのです。

 

2.日曜日:私は仰せを心に収めています

聖書研究ガイドにこのように書かれています。「信仰生活は、『主の律法に』(従って)歩むことと、『(神の)御顔の光の中を』歩むことによって守られます。『神の御顔の光の中を』歩むことは、主の律法を守ることの意味です。そして、『主の律法に』歩むことには、心を尽くして神を尋ね求めることです。」

詩篇119篇は主の律法に(従って)歩むことの祝福を歌っています。主の律法に(従って)歩むことは、心を尽くして神様を尋ね求めることです。そして御顔の光の中を歩むという素晴らしい祝福です。素晴らしい祝福をいつも受けられるためには、毎日み言葉を通して(読んで)神様を仰ぎ見ることです。み言葉を毎日読んで理解し続けるならば、み言葉は私たちにとって蜜のように甘い喜びをもたらすものになっていくのです。

 

3.月曜日:生涯の日を数えるように教えてください

神様の言葉は私たちがこの世で正しく生きていくための知恵を与えてくれます。私たちのこの地上での一生は神様の時間に比べれば、ほんのわずかだ(とても短い)ということです。

「われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです」(詩篇90篇9、10節 口語訳)

私たちが誘惑に弱い理由の一つは、私たちのこの地上での人生はほんのわずかな(とても短い)もので、「いつか永遠の世界が私たちを待っている」ということを忘れてしまうところにあります。

この地上でのはかない(いつか消えてしまう)罪の世界に目を向けるのではなく、み言葉を通して(読んで)永遠の世界に目を向けていきましょう。正しく生きるための神様からの知恵でもあります。

 

4.火曜日:主の試み

詩篇81篇には、出エジプトの時のメリバでの出来事が書かれています。イスラエルの人々はカナンに入る前に、神様の(カナンの地に入るという)約束を信じたことを見せなければなりませんでした。神様は水を止められました。イスラエルの人々の信仰を高めるために試練を与えたのでした。しかしイスラエルの民は神様に対する不信仰を表し、モーセを責めました。モーセも感情的になり、岩に命じるのではなく、岩を二度打つことによって罪を犯してしまいました。詩篇81篇は私たちに試練の意味と、その試練をどう越えなければならないのかということを教えています。

また詩篇105篇では、ヨセフの経験を通して、「試練が、将来(飢饉から救うこと)についての神様の言葉に対するヨセフの信頼を試す神の手段(やり方)であったことを示しています。」「神様の訓練の目的は、ヨセフの例に見られるように、神の子らを強め、カナンの地を相続させる約束に神の子らを備えさせることです。」(『聖書研究ガイド』参照)

私たちは試練の時に、頑なになって(心が固く閉じられて)しまうことがないように、過去の教訓(良くないことの経験によって理解したこと)を心に留めたいと思います。

 

5.水曜日:悪しき道の欺き

詩篇141篇は、誘惑から私たちを守ってくださいという歌です。私たちはこの詩篇を毎日の祈りとしたいと思います。預言の霊はこう勧めています。

「私たちがいつも思うこと、考えること、人格などは、いつも神様に支配されるようにしなければならない。もし、ほんの少しでもサタンに支配されるならば、サタンは、神が人にお与えになる祝福、または、神が与えられる試練などを利用して、人間を試み、苦難を与え、滅ぼそうとするのである。であるから、その人の霊的光がどんなに大きくても、また、どんなに神の恵みと祝福をいただいていても、いつもイエス様の前に謙遜(謙虚)に歩み、神がすべての思いを導き、すべての衝動(思い)を支配されるように嘆願(一生懸命に願うこと)しなければならないのである」(『人類のあけぼの』第37章参照)。

 

6.木曜日:正しく生きることへの祝福

詩篇1篇、112篇、128篇にあるように、イエス様を敬い、イエス様の掟を愛し、神と共に歩むものには、この世においても、そして来るべき御国においても素晴らしい祝福と勝利が備えられています。

「サタンは、われわれの弱点を攻撃するが、攻撃がどんなに激しく、不意(突然)に攻撃してきても、われわれは、神の力によって勝利することができるのである」(『人類のあけぼの』第37章参照)。

 

7.金曜日:さらなる研究

聖書のみ言葉は神の知恵の宝庫です。神を愛し、神に従うというハッキリとした歩みを通して、神の知恵(み言葉)を生きる者とさせていただきたいと思います。詩篇を毎日読むことは、神様が与えてくださった素晴らしい方法です。

 

  • 神の言葉は、どうしたら単なる教えではなく、自分の喜びの源になるのでしょうか。神の言葉を食べることは、み言葉であるイエス・キリストにつながることと、どのように関係していますか(ヨハ 1:1、15:5、7)