安息日学校部

第9課 聴覚しょうがい者用 磯部 豊喜

2024年第1期「詩編

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第9課  祝福あれ、主の御名によって来る人に  磯部 豊喜

 

1.安息日午後

今週の暗唱聖句は、詩編118編22、23節です。「家造りらの捨てた石は/隅のかしら石となった。これは主のなされた事で/われらの目には驚くべき事である。」(口語訳)と書かれています。イエス様はこの聖句は自分(イエス様)のことを指していると言われました(マルコ12章10〜12節)。神の民と言われたユダヤ人たちに捨てられた石(イエス様)が、全人類の救いの土台石(救い主)になることをこの詩編は預言していたのです。この他にも詩編には、驚くほどイエス様についての預言があります。「…わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうであった。すなわち、モーセの律法と預言書と詩篇とに、わたしについて書いてあることは、必ずことごとく成就する」(ルカ24章44節 口語訳)とあります。今回は、詩編の中にみられるキリスト預言に絞って学びます。

 

2.日曜日:自己犠牲的な聖なる羊飼い

まず詩編23編を開いて読みましょう。「主はわたしの牧者(羊飼い)であって、わたしには乏しいことがない・ ・ ・ 」。これは旧約聖書の中で最も多くの人々に愛されているもので、外国では葬儀や式典などでもよく使用されます。この詩は王様になる前に羊飼いをしていたダビデが、その経験から自分(ダビデ)を守り、導き、すべての必要を満たしてくださる牧者なる神様にどれだけ感謝し、信頼したかを歌ったものですが、イエス様は、この「主なる牧者(羊飼い)」がご自分であると言われました。「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。… わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである」(ヨハネ10章11、14、15節 口語訳)。自分の命さえ犠牲にされる良き羊飼いを表すこの二つの聖句を瞑想しましょう。

 

3.月曜日:苦悩するメシア

次に詩編22編を見てみましょう。この詩編には、メシア(救い主)がどのようなメシア(救い主)であるかが預言されています。その冒頭の1節は、「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。…」とありますが、十字架に架けられた時のキリストの4番目の御言葉です。これをイエス様が暗唱しておられたという人もいますが、もっと深い意味があります。きっとキリストが全人類の罪を背負った結果、天の父との永遠の断絶(第二の死)の苦しみを表した御言葉でしょう。キリストの死は、私どもが永遠に滅びる「第二の死」の身代わりであったことを瞑想させられます。

この詩編の著者はダビデですが、1000年以上後に登場するキリストの死を預言していることは、驚きです。「人にそしられ」(6節)るメシア、「心臓は、ろうのように、…溶け(⇒心臓破裂)」(14節)るメシア、「わたしの手と足を刺し貫」(16節)かれるメシア、「着物をくじ引きに」(18節)されるメシア…これらはキリストの十字架の場面をそのまま預言していることが分かります。

 

4.火曜日:契約に永遠に従う

次に89編は、ダビデの王位が限りなく続くことと神の民が栄えることについての神さまの約束の御言葉です。これをダビデ契約と呼んだりします。これは罪を悔い改めて神様とつながる人に対しての約束にもなります。神の永遠の愛は、私たちを心からの悔い改めに導き、神との友情に戻らせてくださるので、その結果として罪はゆるされます。

このようなお方ですから、私たちは神様の愛のふところから離れてはいけません。死に至るまで、神様との関係を持ち続けていきたいものです。そうするならば、主はわたしたちを子として大切に受け止めてくださいます。

 

5.水曜日:比類なき力を持つ永遠の王

次に詩編2編に注目しましょう。ここにはやがて来るべきメシアが、天にあげられた時に王としての戴冠式(立てられる式)を預言しています。別の言葉では、キリストが王となるばかりでなく、大祭司としての務めをされることを記し、その主を賛美しています。「おまえはわたしの子だ。きょう、わたしはおまえを生んだ」(7節)という御言葉は、ヘブライ5章5節にも登場します。主はわたしたちを統治する王であり、私たちの大祭司(仲保者)です。

 

6.木曜日:メルキゼデクのような永遠の祭司

最後の聖句は詩編110編です。ここには永遠の祭司となり、永遠に支配されるというメッセージですが、これに当てはまるお方はイエス・キリスト以外には見当たりません。サレム(後のエルサレム)の王であり祭司であったメルキゼデクに相当するお方こそ、永遠の祭司イエス・キリストです。この事実は、他のどんな国の君主には足元にも及ばないことを教えています。このようなイエス・キリストを信じていることはなんと幸いなことでしょう。

 

7.金曜日:さらなる研究

以上、学んできた聖句を見て分かることは、キリストが人性と神性を結合されたお方であるということです。御子(神)が人となられたことによって私たちの痛みや悲しみを理解してくださいます。また天に帰られ、神の御座につかれたことによって神の性質を持って人を救う力をもっておられます。キリスト「わたしは、道であり、真理であり、命である」と語れる唯一のお方です(ヨハネ14章6節 口語訳)。

 

(話し合いのための質問)

詩編の言葉がイエス・キリストと深い関係があることはあなたの信仰を励まし、強めることになりましたか?