安息日学校部

第4課 聴覚しょうがい者用:鈴木 優人

2020年第1期「ダニエル書」(主イエス・キリストの愛と品性の啓示) 

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第4課 炉の中から宮廷へ 鈴木 優人

 

1.安息日午後

ダニエルの3人の友人たちは、ネブカドネツァル王の造った金の像を拝まなかったゆえに燃え盛る炉の中に投げ込まれました。しかし、彼らは自分の命にかえてでも、礼拝するのは真の、生ける神様だけであるという信仰を他の全国民に対して表明したのです。ダニエルの3人の友人たちのこの姿勢は、終末時代に生きる私たちにとっても教訓になります。なぜなら、終末時代にはダニエルの時代に友人たちが経験したことと同じような迫害が世界規模でおこると預言されているからです。今週の学びは、神様に対する忠実な僕として私たちはこの問題とどのように向き合っていく必要があるのかを学びます。

 

2.日曜日:金の像

ネブカドネツァル王は、夢で見た像の頭だけが金(バビロン)であることに満足ができませんでした。自分の国が存続しない運命にあることを受け入れることができなかったのです。彼は自分の国バビロンが永遠に存続することを願って全身が金の像を造りました。ネブカドネツァルは何度か真の神様に立ち返るチャンスを与えられていたにもかかわらず、高慢のゆえに自分自身を高めようと努めたのでした。この金の像を民に拝ませることは、民の忠誠心を評価するものとなりました。私たちもネブカドネツァル王のように自分の業績に意識を向けすぎて、高慢になっていることはないでしょうか?

 

3.月曜日:礼拝への招集

私たちは御言葉に示された神様の権威に献身することが求められていますが、さまざまな誘惑によって本当の神様以外のものに従うように攻撃を受けます。しかし、それでも私たちは創造主である神様に忠誠を示し続けることができるように願い求めるべきです。地球の歴史の最後の時代は地球の住民が獣の像を拝むように命令されるときがくることが黙示録13章で預言されています。「すべての者にその右手か額に刻印を押させた」(黙13:16後半)とありますが、右手は私たちの行い、額は私たちの心のことを指しています。頭では間違っていることだとわかっていても、行動が獣に従っている人は右手に刻印を押される人です。心も思想も獣に従っている人は額に刻印が押されるのです。獣の数字である666は、バビロンに建てられた金の像の高さ60アンマ、幅6アンマから比喩的に連想することができます。バビロンの時代に起きたことが終末時代にも起こるのです。

 

4.火曜日:火の試練

3人の友人たちは王さまに仕える気持ちをもっていましたが、彼らの神様に対する忠誠心は王さまに対するものに勝るものでした。ですから、像を拝むということができませんでした。その結果友人たちは炉に投げ込まれることになってしまいました。そのとき王様は「お前たちをわたしの手から救い出す神があろうか」(ダニ3:15)と驚くほどの傲慢さを表していますが、それに対して友人たちは「わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません」(ダニ3:17,18)と答えています。彼らのような信仰をもつことができるようになるには、私たちはどうすればよいのでしょうか。

 

5.水曜日:第四の人

燃え盛る炉の中にネブカドネツァル王がみたものは、その中にいる4人目の人でした。しかも王様の目にはそれが「神の子」に見えたようです。この4人目の人というのは誰だったのでしょうか。そう、この人はアブラハムの前に現れ、ヤコブと格闘し、燃える柴でモーセに現れた、受肉前のイエス・キリストでした。神様は私たちがどんな苦しみの中にあっても共にいてくださるということをお示しになってくださったのです。

歴史上のすべての人がこのような迫害から奇跡的に救われたわけではありません。しかし、神様に忠実な民は地上でどのような最期であったとしても、再臨のときに復活の祝福に預かることができます。

 

6.木曜日:そのような信仰の秘訣

3人の友人たち(シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ)たちがこのような強い信仰を持つことができたのはなぜだったのでしょうか。本当の信仰は、私たちの願いに神様を従わせようとすることではなく、神様のなさろうとしていることに私たちが素直に応じて従順でいることにあります。神様に忠実であろうと決心した人は、たとえ神様の計画が見えなかったとしても、みこころに従おうとするのです。自分の望むことを祈るだけでなく、神様が私たちの最善のためになさろうとしていることが実現するように祈ることが大切です。

 

7.金曜日:さらなる研究

私たちは「誰を拝むか」という問題に直面することがあるでしょうか。安息日の重要性について考えてみてください。