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第10課 告白から慰めへ 伊藤 裕史
1.安息日午後
今週はダニエル書9章の学びです。
まずダニエル書9章を読んでみましょう。9章は、はじめの方にダニエルの祈り、あとの方に神様の応答が書かれています。神様の応答に、8章で学んだ「二千三百の夕と朝」の幻の「時に関する導き、解き明かし」が書かれています。
この9章は、ダニエルの聖書研究と祈りからはじまっています。ダニエルにとって聖書の学びと祈りは大切なものでした。今の私たちも同じように大切にしなくてはいけません。ダニエルは、聖書の学びをとおして神様の導きに気づき、「断食し、粗布をまとい、灰をかぶって祈りをささげ」るようになったのです。(ダニエル9:3)
ではダニエルは何に気が付いて、熱心に祈りをささげたのでしょうか。そこから学んでいきましょう。
2.日曜日:神の言葉の重要性
ダニエル書9:1,2にあるように「ダレイオスの治世第一年」の時でした。それは聖書の預言のとおりバビロンからペルシア帝国の支配にかわったころで、8章で学んだ幻からおよそ10年たっていました。この時ダニエルはエレミヤ書を読んでいて大切なことに気が付いたのです。エレミヤ書には人々が「七十年の間バビロンの王に仕える。」(エレミヤ25:11)、そして、「バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所に導き帰る。」(エレミヤ29:10)と約束されていたのです。ダニエルが気が付いた時バビロン捕囚から70年がすぎようとしていました。だからダニエルは思ったのです。私たちはエルサレムにもどることができるのだろうか。70年前のように神様にしたがわなかった状況は今もかわっていないのではないか。もしかすると、70年がもっとのばされるかもしれない。そんな不安をもったのです。だから、ダニエルは祈ったのです。
皆さんはどうでしょうか。イエス様のご再臨が近いと感じていませんか。そのために準備はできていますか。このことを考えたとき、ダニエルと同じような不安を持つことはありませんか。
3.月曜日:恵みに訴える
ダニエル書9:3-19にあるダニエルの祈りを読んでみましょう。
ダニエルの祈りは大きく2つに分かれます。ダニエル書9:3-14までが罪の告白と悔い改めの祈りです。そしてダニエル書9:15-19までが神様へあわれみをうったえる祈りです。
最初の祈りの中でダニエルは神様の声に聞き従わなかったユダの人々のことを、自分のこととして祈り、ゆるしを求めました。もしかするとダニエルは10年前に神様から示された真実が理解できなかったことは(ダニエル8:27)、自分たちの罪深い状態が理由であると考えていたのかもしれません。
しかしダニエルは神様にゆるしを求めるなかで積極的に祈りました。神の民である自分たちがゆるされることで、神様のご栄光があらわされると訴えたのです。おもしろい訴えだと思いませんか。
4.火曜日:執り成しの価値
ダニエル9章にあるダニエルの祈りは、聖書の中で「とりなしの祈り」と呼ばれるものです。イスラエルの民たちを滅ぼそうとした時のモーセの祈りも、とりなしの祈りです。皆さんは他の人のために、とりなしの祈りをしていますか。家族や、友人などのためにぜひ祈ってください。
キリストが今、天の聖所で祈って下さっている祈りも、とりなしの祈りです。キリストは大祭司として私たちのために祈って下さっているのです。キリストは罪深い私たちのことを、ダニエルのようにご自分のことのように祈って下さっているのです。私たちはとりなしの祈りをしますが、私たち自身もキリストのとりなしが必要であることを忘れてはいけません。
5.水曜日:油注がれた者の働き
ダニエルのとりなしの祈りをもう一度読んで、ダニエル9:21-27を読んでみましょう。
「わが神よ、耳を傾けて聞いてください。目を開いて、われわれの荒れたさまを見、み名をもってとなえられる町をごらんください。」(ダニエル書9:18)ダニエルがこのようなとりなしの祈りをする時に見ていたのは、罪の中にいる人々と、荒れはてたエルサレムでした。エルサレムは神殿のおかれたところです。神様はダニエル書9:21-27において、このダニエルの祈りにこたえられています。そこに示されたのは、救い主の地上での働きだけでなく、天の聖所におけるキリストの働きにつながる神様のご計画でした。
特に注目すべきなのは、「最も聖なる者に油が注がれる」(ダニエル9:24)という言葉です。この「聖なる者」は、人間のことではなく場所のことです。ダニエルが見ていたあれはてた神殿、この神殿を元にもどす清めにもこたえて下さったのです。それだけでなく、70週の預言の中において、将来に続く天の聖所におけるキリストのとりなしの働きのはじめと関係しているのです。
6.木曜日:預言の年表
ダニエル9:23-27までをもう一度読んでみましょう。ダニエル書8章でダニエルが理解できなかった「二千三百の夕と朝」に関する幻の一部が明らかにされています。70週の預言です。「1日=1年の原則」にしたがえば、70週は490年の出来事について知らせてくれます。この490年の起算点は「エルサレム復興と再建についての御言葉が出され」(ダニエル9:25)という命令です。歴史の中でこれにあてはまるのは、アルタクセルクセス王によって出された命令で、紀元前457年のことです。(70週の預言が「二千三百の夕と朝」の預言の中の出来事を説明していますので、「二千三百の夕と朝」の預言も同じ紀元前457年が起算点となります。)
70週の預言に注目すると、70週は7週と62週、そして70週目(1週)の3つに分けられます(70=7+62+1)。最初の7週でエルサレムの再建が行われ、そこから62週たって「油注がれた者の君の到来」、つまりキリストの公生涯が始まります。(メシアなるイエスがバプテスマをお受けになりました。)そして最後の1週の間にキリストの地上での働きや、十字架によって、これまでの犠牲制度が廃止され、新たな契約の犠牲がささげられました。この預言の終わりは34年、ステファノの殉教の出来事です。ここから神様のご計画は次の段階に入り、異邦人への伝道が始まっているのです。私たちが振り返ってみると、すべて聖書に預言されたことが起こったことがわかります。
7.金曜日:さらなる研究
ガイドの73ページに「二千三百の夕と朝」の預言の年表がのっています。聖書に出てくる数字が出来事とピッタリあてはまることに驚きます。ダニエル書に出てくる幻は、キリストの再臨までの世界の動きと、再臨によって何が起こるかを教えてくれます。その中で「二千三百の夕と朝」の預言の終わりに始まる「聖所の清め」は、まさに今の時代のことで、この時代に生きる私たちが無視することのできないものであることがよく分かります。私たちもダニエルと同じように、聖書の学びと祈りとを大切にして真理へ導いていただけるように願いましょう。
★学びを振り返る質問
・ダニエルは、ダニエル書9章では、どのようにして祈りに導かれたのでしょうか。
・ダニエルのとりなしの祈りで、私たちが学ぶべきことはどのようなことだったでしょうか。自分の祈りと比べてみてください。
・70週の預言は、今の私たちにとってどのようなことを教えてくれますか。考えてみましょう。