安息日学校部

第10課 聴覚しょうがい者用 伊藤裕史

2022年第1期「主のために管理する-主がおいでになるその日まで

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第10課  神にお返しする 伊藤裕史

 

1.安息日午後

皆さんは何歳ですか。年をとると若い時には考えることがなかったことを考えるようになりませんか。その中に将来に対する心配もあると思います。今週は年をとって人生のゴールが見えてきたときに管理者として何を大切に考えていけばいいかを学びます。

 

2.日曜日:愚かな金持ち

ルカによる福音書12:16-21を読んでみましょう。この話は愚かな金持ちのたとえ話です。人生のゴールが見えてきたときに考えてはいけないことが書かれています。金持ちはこう言っています。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」(ルカ12:19)。愚かな金持ちは自分の楽しみだけを考えています。もし、人生の最後の時期に、皆さんが自分のことだけを考え、他の人のことを考えないのだとすれば、私たちはこの愚かな金持ちと同じになります。今期の学びの中心がここにあります。問題なのは、神から預けられたものを、最後にどのように用いようとするかです。

このことは年をとったからではなく、若い人も考えなくてはいけません。自分が生きることのできる時間は誰にも分からないからです。

 

3.月曜日:「何ひとつ携えて行くことができず」

問2で紹介されている聖句を読んでみましょう。「わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。」(1テモテ6:7)。「太陽の下でしたこの労苦の結果を、わたしはすべていとう。後を継ぐ者に残すだけなのだから。」(コヘレト2:18)。聖句は私たちの人生は短く、どんなにお金をもっていても死ぬときにはもっていくことはできないことを伝えています。では、私たちがもっていたものはどうなるのでしょうか。自分は死ぬのだから関係ないではなく、私たちは管理者として考えなくてはいけません。なにも考えなければ、あなたのもっているものは、管理者であるあなたの考えに関係なく使われてしまうのです。でも、あなたが管理者として準備するなら、愛する人の必要を満たすことや、神のために用いることができるのです。

 

4.火曜日:個人的必要から始める

旧約聖書で神は、私たちが神に忠実であれば「倉に穀物を満た(す)」(箴言3:10)と言われています。神は私たちの仕事を祝福して下さり、豊かにして下さるという約束です。でも一方で神は「あなたの羊の様子をよく知っておけ。群れに心を向けよ。」(箴言27:23)とも言われます。これはあなたが生きている今だけでなく、将来あなたが亡くなったとしても羊、つまり愛する人たちが困らないようにしなくてはいけないことを言っているのです。だから神が祝福してくださったものに対する良い管理は、生きている間だけでなく、死んだ後のことについても考えなくてはいけないのです。

皆さんは遺言書を書いたことはありますか。残された人が困らないように準備をしていますか。財産が多くても少なくても関係ありません。皆さんが受けた恵みを、残される人たちへ伝える準備をして下さい。

 

5.水曜日:死の床の慈善

私たちは愛する人にはずっと幸せでいてほしいと考えています。では聖書はなぜ私たちが死んだあとの愛する人たちのことを、わざわざ言うのでしょうか。それは私たちが注意しなくてはいけないものの一つがお金だからです。私たちはお金に誘惑され、愛する人のことを忘れてしまうからです。それだけお金は力をもっているのです。神が私たちをとおして多くの人を祝福しようとあたえられたものが、知らないうちに自分だけのものに変えられてしまう。だから聖書は、たとえば「死んだら持っていけないのだから」と思って「どうでもいい」と考えたり、自分のだけのために「ためこもう」とか、どうせ死ぬんだから「考えることなく使ってしまえ」なんて考えないように言うのです。

では、私たちを誘惑するサタンは、お金をつかって何をさせようと考えているのでしょうか。サタンは神が祝福したものを使って神から私たちを引き離そうとしているのです。水曜日の題の「死の床の慈善」とは、死ぬ直前には他の人のために良いことをするから、と自分に言い聞かせて生きることです。そんな生き方はできるのでしょうか。できません。今だけを考える生き方は、生きているときに神のことばにしたがわない生き方になるのです。神の思いを知りながら自分の欲を満足させて生きることになるのです。このように私たちが神からはなれて生きることをサタンは狙っているのです。

 

6.木曜日:霊的な遺産

問5の聖句(詩編24:1,へブル3:4、詩篇50:10、創世記14:19、コロサイ1:15~17)を読んでください。この聖句から今期のガイドの大切なことをもう一度確認しましょう。私たちが持っているものは自分のものという思いは聖書から出てきているものではありません。自分のもの、という思いが私たちを迷わせるのです。多く持つことに満足したり、自分勝手に何でもできると思ったりするのです。そうではありませんね。私たちの持っているものは神から預かっているもの、私たちは神のものを管理しているにすぎないのです。だから私たちが死ぬときは、愛する家族のために必要なものを使い、残りは神へお返しをする、というのは当然のことでしょう。これは決して教会へ献金することをすすめるのではありません。ガイドでは神のためにつかう例として他にも寄付の大切さについても書かれています。

 

7.金曜日:さらなる研究

ガイドではエレン・G・ホワイトの言葉が紹介されています。「このこと〔遺産の分配〕について多くの者たちは、彼らの死期が近づくまで先延ばしにしようとしますが、もし彼らが真にクリスチャンであるなら、彼らが〔健康という〕生涯の拠り所を持っているうちに〔これに〕取り掛かるでしょう。」

神にしたがうこと、自分のもっている財産について考えることは先へのばしてはいけません。日曜日の愚かな金持ちのように私たちは自分の人生の長さについて知らないからです。