安息日学校部

第7課 聴覚しょうがい者用 池増 益男

2022年第1期「主のために管理する-主がおいでになるその日まで

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第7課  これらの最も小さい者に 池増 益男

 

1.安息日午後

イエス様は、再臨に備える生き方についてマタイ25章で三つの譬え話を用いて語られました。

①十人のおとめ(聖霊の油に満たされていること)、

②タラント(神からいただいた賜物を主のために用いたかどうか)、

③羊とやぎに分けられる(空腹な人、裸の人、病人、旅人など弱い人に対する愛の実践)

この3番目の譬え話に出てくる人々のことが今週の「これらの最も小さい者に」というテーマなのです。戦争や、食糧が無いために外国に逃れた人々、戦争や事故、病気で親を亡くした孤児、また夫を亡くして生活に困っている女性など、弱い人々を助けることはイエス様を迎えるための大切な生き方なのです。

 

2.日曜日:イエスの生涯と宣教

イエス様は、救い主としてのお働きを始めてまもなくの頃に、お育ちになったナザレに行かれ、安息日に会堂に入り礼拝に出席されました。その時イザヤの巻物を渡され朗読するように頼まれると、イザヤ61:1、2を読まれました。

「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、主のめぐみの年を告げ知らせるのである。」(ルカ4:18、19 口語訳)。その後、イエス様は「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」(ルカ4:21 口語訳)と言われました。つまりご自身がメシア(救い主)であり、その使命を明らかにされたのです。

それは当時の人が期待していたローマ帝国を打ち破るメシアではなく、貧しい人々、病人、様々なしょうがいをもっている人、心の打ちひしがれている人を助け、罪の奴隷になっている人々を罪から自由にしてあげることでした。イエス様はまさにこのような人々と交わり、まず彼らの必要を満たし、イエス様が天から遣わされた救い主であることを信じて永遠の命にあずかれるようにされたのでした。

 

3.月曜日:貧しい者への神の備え

旧約聖書の中には「貧しい者」について書かれているところが少なくありません。

「あなたは六年の間、自分の土地に種を蒔き、産物を取り入れなさい。しかし、七年目には、それを休ませて、休閑地としなければならない。あなたの民の乏しい者が食べ、残りのものを獣に食べさせるがよい。ぶどう畑、オリーブ畑の場合も同じようにしなければならない」(出23:10、11)

「あなたがたの地の穀物を刈り入れるときは、その刈入れにあたって、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの穀物の落ち穂を拾ってはならない。貧しい者と寄留者のために、それを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である」」(レビ23:22 口語訳)

「貧しい者はいつまでも国のうちに絶えることがないから、わたしは命じて言う、『あなたは必ず国のうちにいるあなたの兄弟の乏しい者と、貧しい者とに、手を開かなければならない』。」(申命記15:11 口語訳)

神様は貧しい人や難民が食べる物がなくて飢えてしまうことがないように、彼らのために落穂を残したり、彼らを援助する様々な方法を示されました。食糧だけでなく、困った問題を解決してもらうために裁判に訴えた時には、貧しい人を決して軽んじてはならず、公正な裁きが求められました。

いかに神様は弱い人や貧しい人たちのことを心に留めていてくださる優しい方であるかがわかります。神様に愛されている私たちも、同じ心で弱い人たちや困っている人々を思いやり、助けてあげられる人になりたいと思います。

 

4.火曜日:金持ちの若い議員

「すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、『先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか』。・・・イエスは彼に言われた、『あなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい』。この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。」(マタイ19:16〜22 口語訳)

この金持ちの青年は小さい時から律法を学び、それを努力して守ってきました。しかし永遠の命を得ている確信がなかったのです。そこで答えを求めてイエス様のもとに駆けてきたのです。

  • イエス様は彼に何と言われたでしょうか? それに対して彼はどうしましたか?

「あなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そしてわたしに従ってきなさい」

しかし彼は悲しみながら立ち去りました。

  • この青年の問題はどこにあったのでしょうか?

たくさんの資産を持っているのが悪いと言われたのではありません。「二兎を追う者は一兎をも得ず」という諺がありますが、彼は多くの財産と神(永遠の命)の両方を同時に求めていたのです。しかしイエス様が言われたとおり、「ふたりの主人に兼ね仕えることはできない」のです(マタイ6:24 口語訳)。あなたはどちらを一番にしますか? 神様(イエス様)を優先するとき、永遠の命、この地上で必要なすべてが与えられ、周りの人々をも幸せにできる人生を送れるのです。

 

5.水曜日:ザアカイ

問4

ザアカイとイエス様の出会いは、金持ちの若い議員との出会いと何が違っていましたか。

もともとザアカイは貧しい家庭で育った人でした。その貧しさから抜け出すためにローマ人のために徴税人として働き、決められた以上の税金を集めてその差額分を自分のものにして大金持ちになっていたのです。しばらくは幸せな気分だったでしょう。しかし周りの人から嫌われ、だれからも相手にされない全く孤独な人になってしまったのです。ザアカイは次のことに気づきました。

(1)お金や財産が人を幸せにするのではない。(若い議員にはお金は偶像になっていました。)

(2)不正なことを続けてきたため罪責感で苦しみ、神様の赦しを必要としていたのではないでしょうか。(金持ちの若い議員にはザアカイのような罪責感はありません。その財産は親から譲り受けたもの、また自分で働いて得たものであったからです。)

(3)イエス様が彼の住むエリコにおいでになったとき、ザアカイはどうしてもこのお方にお会いしたいと思いました。いちじくくわの木に登っている彼にイエス様が「ザアカイ、今日はあなたのところに泊まることにしている」と声をかけられたとき、彼は喜んで自分の家に、そして自分の心にイエス様を迎え入れたのです。(金持ちの若い議員はイエス様のもとを悲しみながらを去りました)

(4)一晩イエス様と親しい会話(交わり)をした結果、ザアカイはすっかり変えられました。自らイエス様に「自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取り立てをしていましたら四倍にして返します」(ルカ19:8口語訳)と言いました。彼はイエス様に喜んで従ったのです。

 

6.木曜日:人間ヨブについて考える

神様はヨブのことを、「全く、かつ正しい人」であったと言われています。サタンの挑戦によって、彼の上に恐ろしい災いがくだります。10人の子供たち、全ての家畜や財産を一度に失ってしまいました。それでも彼は、「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(ヨブ1:21 口語訳)と言いました。2度目の災いが彼の上にくだります。足の裏から頭の頂までいやな腫物ができ、あまりのかゆさに陶器の破片でかきまくるほどでした。そんな情けない姿を見た彼の妻は夫を慰めるどころか、「神をのろって死になさい」と言ったのです。しかし、ヨブは「われわれは神から幸をうけるのだから、災いをも、うけるべきではないか」と答えて、神様への信頼をつらぬいたのです。

問6

「正しい人」とは悪いことをしないというだけではありません。彼は自分の周りの人々、その地域に住んでいる人々の幸せにいつも関心をはらっていました。ヨブは言っています、「貧しい人々の父となり/わたしにかかわりのない訴訟にも尽力した」(ヨブ29:16)。ヨブは人々の必要を調べ、彼らの必要を満たすためにも自分の財産や時間や労力をささげたのでした。

 

7.金曜日:さらなる研究

<話し合いのための質問>

・「富んでいる人は、お金さえあれば生きていけるわけではないと知っているのに、なぜ簡単に富に信頼を置いてしまうのでしょうか。なぜ私たちは、生ける神以外のものに信頼を置かないよう注意しなければならないのでしょうか」について考えてみましょう。

・お金には力と魅力があります。家、自動車、進学教育、そのほか欲しいものをお金で手に入れることができます。無いよりはあったほうが良いと考えるのはごく当たり前のことです。しかし聖書は警告します。「金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。」(1テモテ6:10 口語訳)

・人間は目に見えないものより、目に見えるものに頼りやすいのです。目に見えない神よりも、目に見えるお金に望みをおきやすいのです。ですから預金額が減ったり、手持ちのお金が少なくなると不安になるのです。しかしお金や財産は窃盗、金融危機、自然災害であっという間に消えてしまうこともある不安定なものです。ですから私たちは目に見ない偉大な神様を見上げ、信頼するのです。