安息日学校部

第2課 聴覚しょうがい者用 下村 和美

2022年第1期「主のために管理する-主がおいでになるその日まで

PDFダウンロード PDFはこちらからご覧ください

第2課  私たちと共にある神の契約 下村 和美

 

1.安息日午後

神は私たち人間と契約を結ばれ、神と人間はそれぞれ行わなければならない役割を持っています。まれに神は、人間が何をしようとも、太陽を昇らせ雨を降らせるなどの、人間に対して一方的な契約を結ぶこともあります。

今週は、神と神を信じた人間との間で結ばれた契約について学びます。神の恵みによって「神と人間との間で交わされた契約を最後まで守ることができるように」祈りましょう。

 

2.日曜日:救済(人間を救う)の計画

キリストの十字架の死は、これまで生きてきた者、これから生きる者、全ての人間に救いを受け取ることができるようにしましたが、多くの人が神からの救いを受け取らず、滅びと永遠の死に至る道を歩んでいます。

殉教の死を目の前にしたパウロは、私たちが救われるための救いの契約が神と人間との間で交わされたことを理解した上で、救いの契約を最後まで守り通したことを確信していると言っています。

パウロは自分の行いや功績が神から救いを勝ち取ることになるとは考えていませんでした。救われるのはイエスの義によってであり、イエスがこの世で唯一罪を犯さなかったという功績を信じる信仰を最後までパウロが持ち続けたことによって救いがもたらされます。

 

3.月曜日:よく聞き従う

モーセは旧約聖書の申命記の中で、神がご自分の民であるイスラエルに対して思いやることができる力を持ち、思いやることを強く願う神であって、その神に従って祝福を受け取るようにと告げています。

この祝福は無条件に与えられるものではありませんが、難しいものでもありません。ただ神の祝福と約束を自ら受け入れ、受け取り、神のみ言葉に従って行動することが必要なだけです。

この神からの祝福を受け取らず、従わない罪と反逆がどんな結果をもたらすかという呪いもモーセは告げています。

 

4.火曜日:主に栄光を帰す

神は、私たちの所有物の管理において、神を第一とするように求められました。それは、全てのものが神の所有物であることと、神が私たちを養ってくださっているということを私たちが認めて、信仰を持ち、心を尽くして神を信頼し、自分の分別に頼らないことの表明でもあります。更に、神を第一にするなら、神は残りのものを祝福するとも言われました。

神が私たちを創造し、支え、贖って下さり、私たちの救いのためにイエスを十字架にかけられたことなど、神が私たちに何を与えておられるかを理解する時に、その神様の憐れみに打たれて私たちの持っているものの初穂を神にお返しすることは、私たちのできる最も小さい行為に過ぎないことに気づかされるのです。

ですから、神が私たちに十分の一を神ご自身のものと要求されるのであれば、私たちは神様からいただいた金銭を自分のために費やした残りの中からささげるのではなく、神にお返しする分は最初に取り分け、神が私たちに要求されていることを行う忠実さを私たちは最も優先すべき責任があると教えています。

 

5.水曜日:什一の契約

什一の実践と神との関係の間には、密接な霊的関係があります。神に従い、什一に忠実であったときにイスラエルは繫栄しました。神は、もし民が神に立ち帰るなら、主も彼らに立ち帰ると約束されました。十分の一の全部をわたしの倉に携えて、主に立ち帰るなら、主の祝福が限りなく注がれ、私たちの必要を満たし、他の人を助け、神の働きを前進させると主は約束されます。私たちのために死ぬためにひとり子イエスをお与えになられた神は、私たちと契約し、神が私たちに恵みを与え、その代わりに私たちが什一と諸献金をささげる事を契約の中で要求されました。

 

6.木曜日:何よりもまず

イエスに従い、その教えに耳を傾けた大群衆の多くは、パンの奇跡によって養われ、山上の説教を聞いた、ありふれたごく普通の人々でした。神の約束の多くは、神と人間との契約の要素があり、祝福を受けるために私たちにも自らの役割を果たす必要があります。

神は主権者であり、創造主、支え主、救いは人の功績によらず神の恵みによる賜物であります。私たちはこの地上での神と神に敵対する勢力との大争闘において果たすべき役割があります。私たちは自由意志、自由な選びという賜物を用いて、聖霊の声に従うことを選び、神が私たちに要求されていることを行うことを選ぶ必要があります。私たちはこの自由な選びの中で、神は私たちに祝福と命を受けるように求めておられますが、私たちは呪いと死を選ぶことのできる存在でもあることを忘れてはいけません。

 

7.金曜日:さらなる研究

私たちが神の命令に従うのは、神の恵みに対する私たちの応答からです。決して私たちが自らの行いによって神の恵みを獲得するためではありません。もし私たちの行いによって得られるのであれば、それはもはや神の恵みではありません。

神が私たちと結ばれた「神と人間との契約」を考えると、「私たちに神から与えられる祝福」と「神の人間に対する祝福に応答する人間の役割に対する責任」を見ることができます。神が与えて下さった祝福に対する私たちの応答によって、私たちは神との関係を確立し、それがかなりの部分、私たち自身の運命を決定します。信仰のみが、私たちをキリストの恵みにあずからせ、神が私たちに求めておられる服従に導くのです。