文書伝道部

初対面の涙

R・M(亀甲山教会)

私はこのユースラッシュで初めて、会ったばかりの方と涙を流す経験をしました。神様がその方にベストなタイミングで私を用いてくださり、1人のお母さんと深いお話しをする経験を与えられました。
その方は、その日の最初に回った場所一番奥に住んでいた方で、いつも走り出しの場所では断られるものだと諦めていたので面食らうような出会いでした。
出てきてくださった女性の方に本の紹介をしているうちに、どこか寂しそうな雰囲気を感じ、聞くだけでも力になりたいと思いました。
家族のお話になった時に、今まで色々なことがあり、母親とは遠い所に住んでいること、20年ほど住んでいて訪ねてくれる人も居ないのでとても寂しいことを教えてくださいました。
その方は優しい笑顔が素敵な方だったのですが、お話ししているうちに涙が溢れてきていて言葉の裏にある今までの苦労が沢山伝わってきました。
これは今、神様がこの女性のそばにいてくださり、温かく抱きしめてくださっているなと感じ、自然とお祈りを共にすることができました。
「今までお辛いことが沢山あったと思いますが、神様が共にいてくださるのでもう大丈夫だと信じています。どうかご家族にゆたかな祝福がありますように」とお祈りを捧げました。
そのとき自分にも泣きたくなるような温かさを感じて、私の方も涙が出てきました。自分でも驚いてしまって、最後には笑い合ってその方の家を後にすることができました。
ユースラッシュでは、訪問する前に、すでに神様が働きかけてくださっていると信じて訪問しています。今回は私にもよく分かるような温かい働きかけがあり、「神様が私たちの活動を見守ってくださってるんだ」と嬉しい気持ちと、もっと覚悟を決めて頑張ろうと励みになりました。
でも、何か目に見える働きを経験しなくてもいつも神様に感謝できる強い信仰を育てることも大切ではないかなと思います。目に見えるもので信じたトマスが改心して伝道したように私も改心しようと思うことができました。「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである」(コリント人への手紙第二 4章18節)。

ポスティングだけでも嬉しい…でもそれだけじゃなかった

R・I(三育学院教会)

私はこの亀甲山で訪問し始めた初日、千葉でもユースラッシュを1日だけしましたが、千葉と比べて亀甲山での面会率が非常に低いと感じていました。というのは千葉の方はインターホンを鳴らしても出て来て挨拶して下さる方が多くいました。
しかし、亀甲山ではインターホンで挨拶が終わり、面会する事は少なかったからです。その中で私は心の中で訪問できることの喜びを感じて亀甲山を訪問をしていました。
私はトラクトをポストに入れるだけでも嬉しく思っていました。その中で神様の恵みを感じた事がありました。
初日の訪問が終わろうとしていた時、1人のおばさんと面会する機会があり、その方は穀菜食レシピの本に興味を持たれて普段から本を読む事は好きということで『おいしくて体にいい穀菜食レシピ』を購入してくださいました。
また、エレン・ホワイトの『ほんとうの自分と向きあうための13のステップ』という本もお渡しする事ができました。
私はその日、本が売れなくても、トラクトだけでも神様がここにいる方々を導く事はできると考えていましたので、その日の訪問を通して購入された人がいたことで、喜びの中にあっても神様はさらに恵みを与えて下さるのだなと感じました。
その初日の訪問はダンプバックという1万円以上の本を求めてくださる方との出会いも他の仲間が受けていたので、凄い恵み日と感じる機会となりました。
最後に聖句を紹介いたします。ピリピ人への手紙4章4節。
「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい」

もう二度と来たくない場所にいた出会うべき人

S・M(三育学院教会)

ある午前中に訪問した最後の家で、80代のおばあさんがお会いしてくれました。話を聞いていく内に、その方はクリスチャンであること、しかも一度は牧師を志したこともあるということが分かりました。私もクリスチャンであること、また現在牧師を志していることを伝えて、これまでの神様の導きを分かち合い、最後はお祈りをすることもできました。
それまで、その地域は本当にもう二度と来たくないと思うほど難しい場所だと思っていたのですが、そこにも本当に神様を知る人たちがいるのだと改めて知り、励まされました。私たちの働きは先の見えないものばかりです。
時にはその状況に苦しくなることも多くあります。しかし、神様は私たちをどこにどう用いようかという計画をしっかりもっておられて、時に応じて励まし、力づけて下さり、こういった恵の一端を私たちにもみせてくださることは本当に大きな祝福だと思いました。その導きにこれからも身を委ねて進んで行きたいと思い出せます。

ユースラッシュ3回目は期待で胸がいっぱい

今回、私はユースラッシュに参加するのが3回目でした。今回は神学科生という立場で参加させていただくことになり…以前より聖書や神様の愛について深く知った状態で始まったこの期間は培った経験とは違う新鮮さで、どのようなことを神様が成してくださるのかという期待感で胸がいっぱいでした。そんな中早速素敵な出会いが与えられ、エホバの証人の方の家に訪問することができました。そこでは嬉しいことに2冊の本を買っていただきました。そしてなによりその方が私たちを心から応援してくださり、またその方自身も真理を求めておられることがお話の中でよく伝わってきました。残念ながら、一度売れた本を後に返却なさったのですが、私があの家に訪問することには大きな意味があったのだと心より思います。後ほどリーダーの方から伺ったのですが、エホバの証人の方々は他の宗派の本を買うことなどが禁じられているそうで、あの場で買っていただき、楽しくお話しできたことは大きな実りだったと思います。
今後、真理を求め続けるあの方の心に、キリストが大きな愛をもって触れ、いずれ天国で再会できればなによりの幸福です。そのためにキリストがあの方を導いてくださることを心よりお祈りしています。

訪問初日のミラクル

Y・H(立川教会)

訪問初日、神様の素晴らしい御業を自分にも直接体験させてくださいと祈って出掛けました。訪問中、お寺を訪問してみようということになり、3人で行きました。するとお坊さんが出てきて、お寺の中へ案内して下さいました。そして親切にお茶や和菓子を出してくださり、一緒にお話をしてくださいました。
その会話の中で彼は「実は僕は昔キリスト教がどのようなものかを知りたくてバプテスマを興味本位で受けたことがあるんだ。」とおっしゃいました。私たちはとても驚きましたが、その流れでキリスト教の話や仏教の話で盛り上がり、長話になりました。
帰らなければいけない時間が近づいてきた時、「どんな本があるの?」と本に興味を持ってくださり、持ってきた本を全て紹介することができました。すると「これで買えるだけいただくよ。」と一万円札を持ってきてくださいました。
全ての本の合計値段は一万円だったのでなんと持っていた本を全て売ることができました。私は鳥肌が立つような思いでした。
私はまさかお寺で持っていた本が全て売れるとは思っていませんでしたし、本当の神様を求めていた人がお坊さんの中にもいたとは予想していませんでした。
まさにこれは神様にしかできない神業でした。ユースラッシュに参加して本当に良かったと思えた瞬間でした。これから続く訪問でもたくさん神様の御業を見ていきたいです。

本当に教会に来てくれた!

「私はこのユースラッシュ中とても素敵な方との出会いを経験しました。最初にその方と出会った時、その方は半分だけ顔をドアから出して、「宗教かなんかか!」と私を怪しんでいる様子でした。「キリスト教出版社の奨学金活動で来ました。」と伝えると、その方はキリスト教のどの教派かを尋ねてきました。セブンスデー・アドベンチスト教会だと伝えると、その方は驚いた様子で、いつもそこの教会の裏に行ってギターの練習をしていると伝えてくれました。
その方は私のところへ来て今までの人生経験や最近の世界の状態について、そして聖書の話までし始めました。その方は昔カトリックの幼稚園に通っていたことがあったらしく、卒園するときにもらった聖書をずっと大事に持っておられたそうです。そのまま色々な話で盛り上がった後、その方は合宿中私が教会にいる間に私に会いに行きたいと言ってくださり教会へ来ることを約束してくださいました。そして約束通り教会へ来てくださり、そこでまた聖書の話をしたりすることができました。その方はこれからも聖書を学ぶことにするとおっしゃってくださいました。また、そこの教会の教会員の方がこれからも引き続き訪問をしてくださっています。
神様が、この方と出会わせてくださったことに心から感謝しています。そしてこの方が真理へと導かれるまで祈り続け、共に聖書を学び続けたいと思います。」

私を通して神様が語りかけた

R・A(Tokyo International Church)

ある大きなマンションを回り、残り時間があと少しの時、1人のおばあさんと出会いました。その方は仏教を信仰していた方で、普段は販売訪問をしてくる人を対応しないようにしている方だそうでしたが、私たちが訪問した時は対応してくれました。
その方が言うには、私たちは他の訪問販売者と違ったらしく、私たちの人間性を見て対応してくださったそうです。私たちがその方にとって、初めて対応した人達で、自分でもびっくりしていたそうです。最終的に健康に関する書籍をセットで買っていただくことができました。
この出来事を通して、神様はそのおばあさんに私たちを通して、福音を知らせようと語りかけたのではないかと思いました。
訪問する人を拒否し続けた人の心を開き、私たちクリスチャンを遣わし、神様の福音を知るきっかけをおばあさんに与えたのだと私は思いました。
たとえ面会がとても少なく、とても疲れていたとしても、忍耐強く訪問することによって、出会うべき人と出会うことができ、神様の働きを成すことが可能だということを学ぶことができました。
文書伝道よりも効果的な伝道方法がある?
私は今回のユースラッシュが初めて参加するユースラッシュでした。自分が文書伝道を経験するまでは、文書伝道よりももっと効果的な伝道方法があるだろうと思っていました。文書伝道をすすんで行なっている人を見ると、すごいなと思いますが、自分はすすんでやらないだろうなと思っていました。
そう思いながらもユースラッシュに参加しましたが、1日目の最初はやはり大変だと思いました。汗もたくさんかくし、断られるし、正直しんどいと思いました。「断られたら伝道できてないし意味ないじゃん」と思っていました。 訪問が一通り終わり帰りの車を待っている時、なぜ訪問をして文書伝道するのかについて話しました。するとリーダーの人が、こう話していました。「私たちが訪問する人と出会う時に、もしかしたら神様と出会える可能性があるかもしれない、そう考えると訪問せざるおえないんだよね」
私は断られたり、本を進めても迷惑そうな顔をしている事ばかりを見ていて、出会うという行為に着目していませんでした。訪問した人と神様を知っている自分が出会い、本を紹介することでその人が神様と出会う可能性があることを知り、文書伝道に対する意識が変わりました。  伝道のやり方一つ一つにしっかり意味があり、最初から決めつけるのではなく、やってみてから気づくことがあることを学べたこと、そして文書伝道をする意味に気づけたことを神様に感謝したいと思います。

やる気が出ない日を乗り越えて得たもの

K・N(広島三育学院教会)

私は今回、初めてのユースラッシュでした。そのため、最初の4日間ぐらいは全てが新鮮でドキドキワクワクな日を送ることができていました。
しかし、中盤に差し掛かった今週の月曜日に起こったことを話したいと思います。
私はその日、朝からやる気が出ませんでした。
マイナスな気持ちのまま伝道してはいけないと頭では分かっていたものの、どうしても今日は伝道したくないなと思いながら、その日訪問する場所まで来ました。
その日はとても暑く、午前中も午後も出会った人にあまり本を受け取ってもらえませんでした。そのため、余計に私の気持ちは沈んでしまい、インターホンを押すのも怖くなっていきました。「なんで自分は今こんなことをしているんだろう」と、分からなくなってしまったのです。
「神様助けてください。私はもう無理です」と、私は涙ながらに心の中で叫び何件か訪問をしました。すると神様は、あるおじいさんと出会わせてくださいました。
その方と話してる中で、「健康の秘訣はね、悩まないこと。悩んでもなんか解決する?過去のことを振り返るんじゃなくて、前を見るんだよ」と言っていました。私にとってその言葉はとても心に刺さりました。
聖書には、「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神があなたがたのことを心にかけてくださるからです」と書いてあります。
神様はこのお爺さんと出会わせてくれて、「悩むな、私が共にいる。だからそのままのあなたで行け」と教えてくれていることを思い出すことができました。
断られたことを考えるのではなく、断られてもその家のためにお祈りすること、そしてこれから出会う人達のためにお祈りすることを大切にしていこうと思えた出来事でした。
そのおかげで私は、次の日から本当に楽しく文書伝道することができました。
また、私はこのユースラッシュを通して改めて自分と神様の関係や自分がこれからどうしたいのかを考えることができました。
訪問中、一つの家が終わったら、もう一軒、もう1人出会わせてくださいとお祈りしている自分がいました。その中で、神様の愛を自分の中で終わらすのではなくて、やはりより多くの人に神様のことを知ってもらいたい、そのために伝えていきたいのだと分かりました。
もし不在の家や断られた家があると、いつか神様に導かれてほしいと願い、出会うことができ、本を届けることができた人にはこれからどうなるか私には分かりませんが、届けた本を、そしてトラクトを通して神様に導かれ、天国で再会したいと思いました。
初めて会った人たちで、数分話しただけなのにこんなにも天国で再会したいという気持ちが起きるのだなと、とても不思議に思いました。
でもこれは、神様も同じなのだと思います。
神様は私たちの心の扉を、毎日何回もノックしているのに、私たちは「今、忙しいんです」と拒否している時があります。ひどい断り方をしてしまうこともあります。私たちが伝道をする時に、インターホン越しで断られるのではなく、出てきてくれただけでも嬉しいように、イエス様も私たちが「はい」と出てきただけでも「あなたを待ってたよ」と何倍も嬉しいのだろうなと思いました。
そのため、今回のユースラッシュを通して、私は神様の毎回のノックに耳を傾けて神様との時間を大切にしていきたいと思いました。
このようにユースラッシュを通してたくさんの学びができたこと、最初から最後まで守ってくださりお祈りに応えてくださった神様に感謝です。

楽しいだけじゃないユースラッシュ

A・K(函館教会)

ユースラッシュに対する私のイメージは今回の体験を通して大きく変えられました。今まではただ単に、他の人に伝道することって楽しそう、とだけ思っていました。
しかし、実際は覚えることも多かったり、初めは断られると精神的にきつかったり、想像以上に大変なものですが、その中に神様の大きなご計画や素晴らしい出会いがあったり、自分の信仰が大きく成長する深い経験ができる場でもありました。今回は私の信仰の変化について証したいと思います。
訪問1日目の初め頃、私はお祈りするのをすっかり忘れていて、そのせいか本が全く売れず落ち込んでいました。そこでリーダーがお祈りをしてくださり、訪問を再開すると、なんと、その後の1軒目で本を届けられたのです。こんなに分かりやすい形でお祈りが聞かれたのが初めてだったので本当に驚くと同時にお祈りの力を強く感じました。しかし、その後からまたお祈りを忘れてしまいその1軒以降は、本は届けられないまま1日を終えてしまいました。なので、2日目はお祈りをたくさんすることにしました。すると、昨日より圧倒的に面会件数や本を届けられる件数が増え、さらにお祈りのすごさを肌で感じました。
このような経験を通して学んだことがあります。他の人と神様を繋ぐのには、まず第1に私たち自身が神様に繋がる必要があるということです。
前までは自分と神様の関係をあまり気にしていなかったので、お祈りも決まった時しかせず、聖書も自分からは開こうとしていませんでした。また、神様との時間を作るくらいならほかの時間にそれを充てられるとも考えていて神様と自分との関係はあまり良くない状態にありました。
しかし、他の人に神様を伝えるにはまず自分が神様と深い関係にあり、全てを委ねる信仰がなければそのようなことはまず出来ないことを知りました。そこからはたくさんお祈りをしたり、聖書を真剣に読んだり、ディボーションをしたりすると、本当に満たされた気持ちになりました。満たされた感覚が初めて分かった時でした。満たされていると自然と幸せな気持ちになり、もっと神様と関わりたいと思えるようになりました。
この2週間は本当に濃い時間でした。書ききれないくらいたくさんの出会いに感謝します。ユースラッシュを通して神様が私にたくさん語りかけてくださったことに感謝します。大切な仲間たちに感謝します。これからもこのユースラッシュで感じたことや学んだことを大切にして過ごしていきたいです。最後に、全てを計画し、守り、導いてくださった神様に心から感謝します。

勇気を与えてください

I・N(大阪センター教会)

僕は3人兄弟で、兄と姉がいます。そして、この2人も以前ユースラッシュに参加していて2人ともとっても良いから和も参加したら良いよ。と言っていました。コロナで3年ほどユースラッシュがなく、今年再開したと知り、高校生のうちに参加できるのは今年しかないので、ぜひ参加したいと思い、参加しました。
ユースラッシュが始まってから、正直苦しいと思うことが多かったです。 トレーニング中、実際に訪問した時に、怖い人が出てきたらどうしようと想像して怖くなり不安を感じていたからです。悪い想像が膨らむと、できることなら訪問に行きたくないなと思いました。なので、訪問初日の前の夜に神様にどうか「勇気を与えてください。」とお祈りしました。実際には、私は想像していたような怖い人に会うことはありませんでした。
初日、最初のお宅に向かいインターホンを押す時、とても手が震えていたのを覚えています。僕は、伝道というのは、こんなにも勇気がいることなのだな。と心から思いました。
2日目に僕はあるおばあさんと出会いました。 そのおばあさんは、僕が1人で少し奥まった所にある家に向かっていた時、
「そこには誰も住んでないよ」と声をかけてくださいました。そして、「こっちに休憩所があるから休みな」と、案内してくれました。
僕はこの時、神様がチャンスを与えてくださったと思い、おばあさんに本を紹介しました。すると、本は目が悪くて読まないと言った後、自分の話をし始めました。
夫の体調が悪くなったので、去年店を閉めてしまったことや、色んな人の命を救ったこと、商店会に貢献していることなど色々な話をしてくれました。
そして、結局は本を届けることはできませんでした。僕は「ありがとうございました」とお別れして次の家に行こうと思った時、後ろからおばあさんがやってきて、そこでちょっと待っていてと言われ、
差し入れのアメと1000円をくださいました。「本はいらないから、これあげる。頑張ってね。」と言って帰ってしまいました。
この時、僕は、このおばあさんに、心から神様のことを知って欲しいなと思いました。
正直この時まで、僕は本を売ることを中心として考えていました。けど、このおばあさんと出会った時、初めて、「伝道」がしたいと思えました。そしてこの活動の中心が伝道であるということに気づけた気がしました。

何もできない自分を手放す

A・A(小田原教会)

ユースラッシュ合宿が始まる前に、友達が突然こう言ってきました。
「イエス様って100%人間になったんだね。なんだかすごいね」
わたしはその時、そんなの知っているよという気持ちで話を聞いていました。
しかし、ユースラッシュが始まってから、自分のことを手放すのがどれほど難しいかを痛感しました。
自分にはできない。自分がやっている意味はあるのか。主語がいつでも自分になってしまって、神さまに全て委ねるということができませんでした。
そんなときに、友達の言葉を思い出して、ハッとさせられました。
「なぜ、わたしは何もできない自分を手放すことができないのだろう」
「イエス様は、わたしたちのために、何でもできる自分を手放してくださったのか」
私は、イエス様が100%私たちのために献身してくれたことを考えて、心から感謝したことがあったかな、1回もなかったなと気付かされました。
また、文書伝道は断られる方が多い働きです。インターホンを押しては断られ、押しては断られ、その繰り返しで、心が疲れてきてしまう時に、私はこの聖句を思い出しました。
「人の子は失われた者を探し出して、救うために来たのだ」(ルカによる福音書19章10節)
私は、この働きを2週間ほどしかしていません。しかし、神さまは年中無休でこの働きをしてくださっています。
私たちを探して、近くまで来て、こう言われます。「わたしはあなたを愛している。わたしは生きている。わたしは悪人の死を喜ばない。むしろ悪人が、その道を離れて生きるのを喜ぶ。あなたがたは心を翻せ、心を翻してその悪しき道を離れよ。イスラエルの家よ、あなたはどうして死んでよかろうか 」(エゼキエル書33章11節)
断られても、嫌な顔をされても、そう言い続ける神さまは、なんて報われない働きをしているんだろう。そのことを思い出して、何だか涙が出てきてしまいました。
再臨が近い時代を生きる私たちは、持っているものを失い、信頼しているものにはことごとく裏切られると聖書に書いてあります。
しかし、私には、私のために命を捧げてくださったイエス様がいる。それだけは揺らぐことがないものです。
「イエスは、また人々に語ってこう言われた、『わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう』」ヨハネによる福音書8章12節
私の周りには、唯一の光であるイエス様を知らない人が大勢います。
再臨は怖いから、考えないようにしていると言っていた友人、再臨前のこととかあまり言わないで、と言っていた人もいます。
しかし、神さま私たちに語りかけているのは、再臨前このような恐ろしいことが起こる、あなたたちは滅びるというような脅しの言葉ではなく、どうか私の元に来て、生きてくれという神さまの切実な願いです。
これから、私たちが配った文書が神さまの手によって大いに用いられ、真理を求める人の光となりますように。
この2週間弱の間、神さまの言葉を届けるという大切な働きをさせていただいたことに心から感謝します。
「わたしたちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理にしたがえば力がある」(コリントの第二の手紙13章8節)

改めて実感したお祈りの大切さ

S・N(小金井教会)

まず1つ目は訪問販売2日目に回ったある家の話です。
その家は玄関のドアのすぐ前にポストがありました。
ポストにトラクトを入れようとしに行くと、ポストのすぐ下に1匹の犬がいて、近づくと唸られてしまったので、一度諦めて、他の周りの家を訪問することにしました。
そして周りの家を訪問し終わり、一緒に回っていた友達と相談して、やっぱりもう一度あの犬のいる家にトラクトを入れにいくことを決めました。
息を呑んでポストに近づくと、なぜかさっきまで唸っていた犬が穏やかな表情をしてこちらを見ながら寝転んでいました。
犬のすぐ前に行っても、全く表情を変えなかったので、無事にポストにトラクトを入れることができました。
なぜ先ほどまで唸っていた犬が穏やかになったのだろうと不思議に思いながら、僕はポストと犬に背を向けて待っている友達の方に戻ろうとしました。
するとそこには、少し離れたところで僕のために目を閉じて祈ってくれている友達の姿がありました。
僕はその時、祈ってくれていた安心感が込み上げてきたのと同時に、祈りの力はすごいという次元を通り越して、素晴らしいと心から思いました。
これからは自分のためだけではなく、誰かのためにもたくさんお祈りしていきたいと思える経験でした。

最終日の証
僕は、最終日の目標を「訪問先で誰か1人にでも神様のお話をする」というものにしていました。
この目標は難しいだろうな、と自分でも分かっていましたが、「どうか神様の御心ならば、誰かにあなたのことを話させてください」と祈り、出かけました。
無事に午前中が終わり、その日の午後にあった出会いです。
中年の女性が出てきてくださったので、普段通りに本の紹介をしながら会話をしていると、途中からその方のお話が止まらなくなってしまいました。
聖書を含め、様々な宗教の知識を持っているようで、僕たちの行っている文書伝道の働きを、否定的に捉えて話していました。リーダーも合流して、しばらくお話しに耳を傾けていると、
「あなたたちの信じているそれは間違ってる。まずは教えをそのままの飲みこむんじゃなくて、自分でよく考えてから、行動に移しなさい。人間は考えなくなってしまってはおしまいだから」と言った後になぜかお財布を持ってきて、お金を渡してきたのです。
僕たちが困惑していると、その女性は「私はいろんなところに募金をしてるから、受け取りなさい」と言ってくださいました。
直前まであれだけ否定していたのに、なぜお金を渡してきたのかはわかりませんが、この人にこそ真理を知ってもらいたいと思いました。
そして、各時代の大争闘や、その他のメッセージ性の強い本をお渡しすることができました。
しかし、僕はこの方とお話している中で、ずっと心がモヤモヤしていました。
その方が聖書の言葉の解釈を少し間違われていると感じたからです。、「だからキリスト教はダメなのだ」と言われるたびに、「神様はそんなこと言ってないのにな」と、悲しくてもどかしい気持ちになりました。
しかし、本を無事に渡してその場を去ろうとした時、僕の口が勝手にこう言っていました。
「僕たちは聖書の言葉をもとに活動している団体なんです。聖書には『全世界に出ていき、福音を述べ伝えよ』と、書いてあります。先ほど、行動することが大切だとおっしゃっていましたが、僕たちはその聖書の言葉を実践しに来ているんです。今日は貴重なお話ありがとうございました」
すると、その女性の方は「ああ、なるほど」と少しだけ納得したような顔をしてくださいました。
その場を去って、友達と合流し、感謝のお祈りをしました。
そして、その時に「訪問先で誰か1人にでも神様のお話をする」という今日の目標を思い出しました。
直接、神様のお話をできたわけではありませんでしたが、聖書の言葉を使ってメッセージを語れたことに、心から感謝しました。
これは、僕が考えて発した言葉ではなく、全て神様が与えてくださった言葉であり、聖霊の働きであったと確信しています。
神様は、僕たち一人一人に明確なタイミングと使命を与えていて、それをいつ、どのように行われるかを知っています。
だからこそ、僕たちはその計画がなされるように、日々祈り求めていく必要があると思います。
これからの歩みを全で神様に委ねて、祈り続けていきたいです。