1987年(昭和62年)カレッジ看護学科を短期大学看護学科へ改組転換。
2004年(平成16年)短期大学に専攻科(地域看護学専攻)を設置。
2007年(平成19年)12月、「三育学院大学 看護学部看護学科」認可。
1971年(昭和46年)「三育学院短期大学」英語学科の認可を得る。
1974年(昭和49年)「東京衛生病院看護婦養成所」をカレッジに移管し、「三育学院カレッジ看護学科」と名称変更。
1976年(昭和51年)専修学校発足に伴ない、カレッジを「専門学校三育学院カレッジ」と改称。
1923(大正12)年7月7日の安息日、午後3時に天沼教会の礼拝堂で特別集会が催され、第3回の総会の出席者が集まった。
最初に世界総会のギルバート牧師が、非常に霊的な勧めをし、日本における働きのため立派な働き人が必要である事、そのために好適地に学校を開設するべきである事を訴えた。
そして学校建設のために、今ここで5万円の献金を捧げようと全員の献身をうながした。5万円(現在の数億円に相当する)という莫大な額に一同は驚き、呆然とした。到底不可能な額と思ったのである。しかし、なおもギルバート牧師は熱心に訴え続けた。集会の雰囲気はいつの間にか厳粛なものへと変わっていった。その時、連合伝道部会会計H・J・パーキンスが現れて、ある人から学校のために財産を売り払って2万円を捧げるとの申し出があったと発表した。
これを聞いて一同は感動し、各自持ち物を皆捧げる決心で献金を約束した。大河平長老は涙に震える声をあげ、自分にはお金はないが、すべてを捧げて献身すると証をした。一同は次から次へと、5千円、3千円、2千円、千円、5百円と献金を約束したのである。
こうして日本三育学院の建設が始まったのです
麻布区西町8に私塾「和英聖書研究会」を設立
米国ヒルズバーグ大学学長ウィリアム・C・グレンジャー、日本
人留学生大河平輝彦を伴って、セブンスデー・アドベンチスト教
団(プロテスタント系キリスト教)の宣教師として来日、宣教活
動を開始。
参考資料
使命に燃えて
アドベンチスト・ライフ2015年4〜11月号