セブンスデー・アドベンチスト教会

日本三育学院

1926年5月 学院は、千葉県君津郡神納村字雷塚に男子部のみ移転し、「日本三育学院」と改名。
天沼学院は「日本三育女学院」と改名した。

教育機関設立のための献金

1923(大正12)年7月7日の安息日、午後3時に天沼教会の礼拝堂で特別集会が催され、第3回の総会の出席者が集まった。
最初に世界総会のギルバート牧師が、非常に霊的な勧めをし、日本における働きのため立派な働き人が必要である事、そのために好適地に学校を開設するべきである事を訴えた。
そして学校建設のために、今ここで5万円の献金を捧げようと全員の献身をうながした。5万円(現在の数億円に相当する)という莫大な額に一同は驚き、呆然とした。到底不可能な額と思ったのである。しかし、なおもギルバート牧師は熱心に訴え続けた。集会の雰囲気はいつの間にか厳粛なものへと変わっていった。その時、連合伝道部会会計H・J・パーキンスが現れて、ある人から学校のために財産を売り払って2万円を捧げるとの申し出があったと発表した。
 これを聞いて一同は感動し、各自持ち物を皆捧げる決心で献金を約束した。大河平長老は涙に震える声をあげ、自分にはお金はないが、すべてを捧げて献身すると証をした。一同は次から次へと、5千円、3千円、2千円、千円、5百円と献金を約束したのである。

こうして日本三育学院の建設が始まったのです