セブンスデー・アドベンチスト教会

21.管理者としての務め

われわれは、時間や機会、才能や資産、地の恩恵や資源を神から委ねられた神の管理者である。
われわれはそれらを正しく用いるように、神に対して責任を負っている。
われわれは、一切の所有権が神にあることを認めて、神と隣人に対して忠実に仕えるとともに、福音の宣教と神の教会の維持発展のために什一や諸献金をささげる。
管理者の務めは神から与えられた特権であって、それは愛を育成し、利己心と貪欲を克服する。管理者は、自分が忠実に働いた結果として人々にもたらされる祝福を喜ぶ。

引用聖句を読む創世記1:26~28、2:15、歴代誌上29:14、ハガイ1:3~11、マラキ3:8~12、マタイ23:23、ローマ15:26、27、Ⅰコリント9:9~14、Ⅱコリント8:1~15、9:7

クリスチャンの行動

われわれは、私生活および社会生活のあらゆる面において、聖書の原則に調和して考え、感じ、行動する敬虔な民であるように召されている。
われわれは、キリストに見られる純粋さと健康と喜びを生活の中に造り出すような事柄だけに関係する。
それは、聖霊がわれわれのうちに主の品性を再創造してくださるためである。
このことは、われわれが参加する娯楽や楽しみが、クリスチャンにふさわしい好みや美しさの最高の標準に合致していなければならないことを意味する。
文化的な違いに留意しながらも、われわれの服装は単純で、清潔で、よく似合うものであるべきである。
そこにあらわれる真の美しさは、外面の飾りによるのではなく、柔和でしとやかな霊という朽ちることのない飾りによる。
それはまた、からだを賢明に大切にすべきであることを意味する。
からだは聖霊の宮だからである。
十分な運動をし、十分な休息を取るとともに、できる限りもっとも健康的な食物を摂り、聖書に示されている汚れた食物を絶つべきである。
アルコール飲料やタバコ、また薬物や麻薬の無責任な使用はからだに有害であるので、これらをも避けるべきである。
むしろ、思いとからだをキリストの訓練へと導くような事柄に携わるべきである。キリストは、われわれが健康で喜びにあふれ、誠実に生きることを願っておられる。

引用聖句を読む創世記7:2、出エジプト記20:15、レビ記11:1~47、詩編106:3、ローマ12:1、2、Ⅰコリント6:19、20、10:31、Ⅱコリント6:14~7:1、10:5、エフェソ5:1~21、フィリピ2:4、4:8、Ⅰテモテ2:9、10、テトス2:11、12、Ⅰペトロ3:1~4、Ⅰヨハネ2:6、Ⅲヨハネ2

結婚と家庭

結婚はエデンにおいて神によって制定され、愛の交わりにおける男女の生涯にわたる結合として、イエスによって認められた。 クリスチャンにとって結婚の契約は、伴侶に対すると同時に神に対するものであって、信仰を同じくする男女の間だけでなされるべきである。 この関係を支えるものは、相互の愛と名誉と尊敬と責任である。 そしてそれは、キリストと教会の間にある愛に満ちた清い関係、また親密で永続する関係の反映であるべきである。 離婚についてイエスは、不品行以外の理由で離婚し、他の者と再婚することは姦淫の罪を犯すことであると教えられた。 ある家族は理想に達していないかもしれないが、結婚を通してキリストにあって完全に委ね合った男女は、聖霊の指導と教会の交わりを通して愛の一致に達することができる。 神は家庭を祝福し、家族が互いに助け合って、成熟した完全な家庭を目指していくように願っておられる。 家族の親密さが増すことは、福音の最後の使命の特徴の1つである。 両親は、子どもたちが主を愛し、主に従うように彼らを育てなければならない。 両親は自分たちの行為と言葉を通して彼らに、キリストが愛情深く、優しく、思いやりに満ちた案内者であり、そのからだの一員、つまり独身者も既婚者も含む神の家族の一員に彼らがなることを望んでおられると教えなければならない。

引用聖句を読む創世記2:18~25、出エジプト記20:12、申命記6:5~9、箴言22:6、マラキ3:23、24、マタイ5:31、32、19:3~9、12、マルコ10:11、12、ヨハネ2:1~11、Ⅰコリント7:7、10、11、Ⅱコリント6:14、エフェソ5:21~33、6:1~4

天の聖所におけるキリストの奉仕

天には、人間ではなく、神が備えられた真の幕屋なる聖所がある。その中でキリストは、十字架上でただ一度だけささげられた贖罪の犠牲の恩恵が、信じる者たちに与えられるように奉仕しておられる。
キリストは昇天してわれわれの大祭司となり、仲保の働きを開始された。その働きは地上の聖所における大祭司の働きによって象徴されていた。
そして、2300日の預言期間が終了した1844年に、贖罪の働きの第二の、そして最後の段階に入られた。
その働きは地上の至聖所における大祭司の働きによって象徴されていた。
それは、すべての罪を最終的に処理する働きの一部となる調査審判の働きであって、古代イスラエルにおける「贖罪の日」の聖所の清めに予表されていた。
この予型としての奉仕では、聖所は動物の犠牲の血で清められたが、天の聖所は完全な犠牲であるイエスの血によって清められる。
調査審判は、死者のうち誰がキリストにあって眠っているのか、すなわち誰がキリストにあって最初の復活にあずかるにふさわしいかを天の住民に明らかにする。
それはまた、生きている者のうち誰がキリストにあって神の戒めを守り、イエスの信仰を持ち続けているか、すなわち誰がキリストにあって永遠のみ国へたずさえ入れられる用意ができているかをも明らかにする。
この裁きはイエスを信じる者を救うことで神の義を擁護する。
それは、神に忠実であり続けた者がみ国を受けることを宣言する。
キリストのこの働きが終わるとき、人間に与えられている再臨前の恩恵期間も終了する。

引用聖句を読むレビ記16章、民数記14:34、エゼキエル4:6、ダニエル7:9~27、8:13、14、9:24~27、ヘブライ1:3、2:16、17、8:1~5、9:11~28、10:19~22、黙示録8:3~5、11:19、14:6、7、12、20:12、22:11、12

キリストの再臨

キリストの再臨は祝福に満ちた教会の望みであり、福音の壮大な頂点である。
救い主は、文字どおり、からだを持って世界中の人々の目に見える姿で来臨される。
キリストが来臨されるとき、死んでいる義人はよみがえらされ、生きている義人とともに栄化され、天に上げられる。
しかし、不義なる者たちは死ぬ。
預言がほぼ完全に成就してきたことは、現在の世界の状況とあいまってキリストの来臨が近いことを示している。
この出来事がいつ起こるかは、明らかにされていない。
それゆえ、われわれは常に用意をしているように勧められている。

引用聖句を読むマタイ24章、マルコ13章、ルカ21章、ヨハネ14:1~3、使徒言行録1:9~11、Ⅰコリント15:51~54、Ⅰテサロニケ4:13~18、5:1~6、Ⅱテサロニケ1:7~10、2:8、Ⅱテモテ3:1~5、テトス2:13、ヘブライ9:28、黙示録1:7、14:14~20、19:11~21

死と復活

罪の支払う報酬は死である。 しかし、神はただひとり不死であり、贖われた者に永遠のいのちをお与えになる。 その日まで、すべての人にとって死は無意識の状態である。 われわれのいのちであるキリストが来られるとき、よみがえらされた義人と生きている義人とは栄化され、引き上げられて主に会う。 第2の復活は不義なる者たちの復活であって、1000年ののちに起こる。

引用聖句を読むヨブ19:25~27、詩編146:3、4、コヘレト9:5、6、10、ダニエル12:2、13、イザヤ25:8、ヨハネ5:28、29、11:11~14、ローマ6:23、Ⅰコリント15:51~54、コロサイ3:4、Ⅰテサロニケ4:13~17、Ⅰテモテ6:15、16、黙示録20:1~10

千年期と罪の終わり

千年期とは、第一の復活と第二の復活の間にはさまれた、1000年にわたるキリストと聖徒たちの天における支配のことである。 この間、死んだ悪人が裁かれ、地は生きている住人もなく、サタンとその使いたちに占領されて全く荒廃する。この期間の終わりに、キリストは聖徒を伴い、聖なる都とともに天から地に降りて来られる。 そののち、死んでいる不義なる者たちがよみがえらされ、サタンとその使いたちとともに聖なる都を包囲する。 しかし、神から出る火は彼らを焼き尽くし、地を清める。こうして、宇宙は永遠に罪と罪人から解放される。

引用聖句を読むエレミヤ4:23~26、エゼキエル28:18、19、マラキ3:19、Ⅰコリント6:2、3、黙示録20章、21:1~5

新しい地

神は贖われた者たちのために、永遠のすまいと、永遠のいのちと愛と喜びを与えてくれる完全な環境と、神のみ前での学びを、義の支配する新しい地に用意してくださる。 そこには神ご自身が民とともに住まわれ、苦しみや死は過ぎ去っている。大いなる戦いは終わり、罪はもはや存在しない。 いのちあるものもそうでないものもすべては、神が愛であると告げる。 神はとこしえに統べ治められる。 アーメン。

引用聖句を読むイザヤ35章、65:17~25、マタイ5:5、Ⅱペトロ3:13、黙示録11:15、21:1~7、22:1~5