見ないで信じる
「イエスはトマスに言われた。『わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。』」(©日本聖書協会)ヨハネ20:29
「信仰とは感情に関わらず、ただ言葉どおりに神を受け入れることです。信仰は望んだものの先取りであり、目に見えない結果の証明なのです。あなたは自分の仲間を信頼するのに、なぜ神の言葉を信頼できないのですか? 私たちが知恵や恵みを求めて神のもとに行くときに、自分の感情が高められる経験が神の助けの証拠であるなどと思うべきではありません。感情は決して基準ではないのです。クリスチャンが感情に根拠を置くときに、大きな間違いが起こります。ではキリストが私の祈りを聞かれることをどのように知ることができるのでしょうか? 私は神の約束によってそれを知ります。求める者が神に向かって叫ぶときに、神はその願いを聴かれるのです。私は約束に信頼します。神は『決してヤコブのすえは私を空しく探す』とは言われませんでした。私たちが光のうちを歩むなら、はばかることなく厳かに恵みのみ座に進み出ることができます。生きた信仰によって、神の約束を添えて私たちの願いを差し出すことができます。私たちがたとえ弱く、過ちも多く、価値のない者であったとしても、『御霊もまた同じように弱い私を助けてくださるのです。』(©日本聖書協会)ローマ8:26 一度神に願ったなら、それをあきらめるべきではありません、ヤコブが一晩中天使と争ったように『私を祝福してくださらないならあなたを去らせません』と言いなさい。そうすれば、彼のように打ち勝つことができるのです」。『Bible Echo』 パート6 1894年9月24日
瞑想しましょう:
実際に奇跡を目の当たりにすることは、大きな確信につながるでしょう。しかし答えが見つからず、奇跡も起こらず、天使の助けもなく、神様の良いわざが人生にまったく見えないと感じられる場合にはどうでしょうか? このような時にも、たとえ頭で理解できなくても、あなたは神様を信頼することができるでしょうか? これらの質問を瞑想しながら次に上げるみ言葉を読んでください。
ヘブル 11:1、ローマ 8:24-25、マルコ 9:24、ヨブ 13:15
讃美の報告:
多くの国において、コロナウィルスの新規感染者数が減少していることを神様に感謝しましょう。
祈りの課題
- 国や都市の封鎖が解除され、経済活動が動き始めるときに、再び感染者の数が増加することがないようにお祈りしましょう。
- セブ市やフィリピン全土、インドネシア全土にいる中国人に働きかけている伝道者のために、彼らがコロナウィルスから守られるようにお祈りしましょう。それぞれの国に住む中国人が、キリストと聖書の真理に心を開くことができるようにお祈りしましょう。
- 14億人もの人口を抱える中国が、福音に心を開くことができるようにお祈りしましょう。
- 外出自粛によって生まれた時間を上手に用い、私たちが聖書を深く学び、子供たちにも効果的にみ言葉を伝え、神様を愛する喜びを教えることができるようにお祈りしましょう。