-60日の祈り- 1月9日(土) 51日目
バプテスマの証 - 竹山信哉さん(千葉教会:ご夫婦で)
私は広島・長崎に原爆が落とされた翌月、東京杉並区で生まれ、母が結核を病んでいたため、幼年期を祖母に育てられました。そうした環境が私の人生に大きな影響を与える、奔放な性格を形成して行ったのかも知れません。
やがて病から解放された母は、お寺の娘として生まれながらも、何故かキリスト教に関わる色々な場所に私を連れて出掛けて行きました。イエス様の像がある礼拝堂や、マリヤ像が置かれた庭を、母と歩いていた事を思い出します。その母が、いつどの様にしてアドベンチストの教えに出逢い、そして洗礼を受けたのかはまったく知らぬ儘に、私は“孫悟空”の様に奔放で無鉄砲な心で社会を歩いて行きました。そんな私は、若くして大手流通業の管理職に就きながらも、上層部と対立し、長いものに巻かれる様な組織に嫌気がさし、長女が生まれたばかりであることも、多額のお金を借りて家を新築したことも意に返さず、33歳で会社を辞めてしまいました。その後自分で興した飲食業は、15年後にバブル崩壊の波にもまれ、多額の借金を抱えて行きました。その頃の母は、私にクリスチャンになることを勧めるでもなく、多くを語らず見守る様な人でした。陰で祈っていてくれたのでしょう。
その祈りの力だったのでしょうか・・・債務整理は順調に進み、わずかながらのお金が手元に残り、私はそのお金で障害者や病人の移動を手助けする<介護タクシー>の資格を取って再出発することになりました。日々、障害や病気に苦しんでいる人達から「ありがとう」と言われる中で、私は次第に人の苦しみや辛さが感じられる様になって行ったのです。そんな私に癌が見つかりました。ステージ4の進行癌でしたが、奇跡的に手術が成功して回復して行きました。しかし、試練は続き、今度は脇見運転の車に跳ね飛ばされ、肋骨と肺に重傷を負い、救命救急センターに運ばれました。しかし、この癌と交通事故の苦しさの中で、なぜか私は<自分は生かされている>という想いと、これまでの自分の<罪>というモノが、心の底から湧き上がって来たのです。
<信じる者は我一人>と云う奔放で無鉄砲な生き方の中で、私は多くの人を苦しめたり傷つけたりして来たのではないだろうか・・・そして、人としても間違った道を幾つも歩いて来たのではないだろうか・・・と振り返りながら、それぞれの時代に残して来た罪に、なぜか今まで思ったこともない様な<赦し>を求める自分が居る事に気が付きました。
そんな想いを抱きながら、生まれ育った東京を離れこの千葉県に終の住処を求めて移り住みました。亡き母、弟夫婦の祈りが導いてくれたのでしょう。8年前、母の葬儀・納骨をして下さった磯部先生が近くの千葉教会にいらっしゃる事が分かり、講演会に出席する機会を頂き、ある日我が家に立ち寄っても下さいました。それを機に聖書研究に導かれて行きました。
今日、孫悟空の様に破天荒だった私を、本当に辛抱強く、見捨てることなく待っていて下さった<イエス様の愛>に包まれて、素晴らしい神の祝福を頂く事が出来ました。本当に本当に感謝しております。ありがとうございました。
【祈りの課題】
- 大都市に住むポストモダンな人々に対して、適切な方法で働きかけようとしている教会と教会員のためにお祈りしましょう。
- 世界中で都市伝道のために、キリストの愛をもって具体的に働いておられる教会と教会員のためにお祈りしましょう。
- 不安と恐れと孤独を経験している世界中の教会員のために、天来の平安、心の平和が与えられるようにお祈りしましょう。
【教団定時総会のために】
- 教団定時総会のために。神様のご計画が表されるように祈りましょう。
- 私のチャレンジと決心に、神様が知恵を与えてくださるように祈りましょう。
- 私たちの教会、地域の教会、世界中の教会の働きを神様が祝福してくださるように祈りましょう。
【総会ミニ知識】
駆け足でしたが、日本における125年の宣教の歴史を、総会という切り口から辿ってきました。主に、梶山積『使命に燃えて』、岡藤米蔵『希望への歩み』からまとめましたが、原著をお読みになることを心からおすすめします。どの時代であっても決して平たんな道のりだった訳ではありません。さまざまな危機が教会を襲いました。けれども、いつの時代も主に献身する主の民によって教会は支えられてきたことを歴史は伝えています。
「主が私たちを導いてこられた道と、私たちの過去の歴史における主の教えとを忘れないかぎり、私たちは決して将来を恐れる必要はありません」(エレン・ホワイト『レビュー&ヘラルド』1905年10月12日)。