100日間の祈り 第10週
砕けた心の美
メロディー・マソン
(世界総会の United in Prayerプログラムのコーディネーター。「Revival and Reformation」ウェブサイトのリソース開発支援を行う。著書に『Daring to Ask for More: Divine Keys to Answered Prayer』『Daring to Live by Every Word: Loving God with Heart, Body, Mind and Soul』がある)
数年前、私がある大会で祈祷会を指導するための準備をしていたときのことです。神様と正しい関係を結ぶ上で、聖霊が私の生活の中にある特別な罪を指摘してくださったことを今でも忘れることができません。当惑した私は、その夜ひざまずいて主に祈りました。 『ああ神様、どうか私を赦してください。」
罪を告白しながら、私は真の悔い改めにはもう一つステップを踏まなければならないことに気づかされました。しかし私はどうしてもそのステップを踏むことができず、途方に暮れてしまいました。このまま祈祷会の準備を進めようか、それとも神様と正しい関係に戻るまでは、誰か代理の人にお願いすべきだろうか?
牧会を指導する立場にある私が、特定の領域で神様に誤ちを犯したことを人々の前で認めることはとても恥ずかしいことでした。人々の心を騒がすことも、スタッフや集会に参加している大勢の会衆に、自分の霊的な弱さを知られることも絶対に避けたいと思いました。重苦しい心と目にいっぱいの涙をためながら、私はベッドの中で、翌日の祈祷会の奉仕は誰か別の人にお願いしようと決心しました。
翌朝になり代理人を探しはじめたときに、聖霊が私の心にそれをやめるように語りかけてきました。「メロディー、今朝の祈祷会はあなたが指導してください。代理の人に依頼してはいけません!」「神様、待ってください。本気でおっしゃっているのですか?」目から涙があふれてきました。
聖霊は私の心に次のように語り続けました。
「はい、あなたがするべきです。しかし、人々の前で自分を立派な人間に見せたいという気持ちで指導するのはふさわしいことではありません。わかりますね? 自分の罪を隠したままで、すべてが順調であるかのように振るまう指導者を私は求めていません。私が必要としているのは、神に完全に服従した砕かれた魂、プライドを失うほどに謙虚にされた器なのです。そのような心を持つときに、私はあなたを栄光の働きに十分に用いることができます。心の痛みがともなうことは承知しています。しかし、昨晩私があなたに示した罪を人々にわかち合ってほしいのです。あなたがどのように私に罪を犯したかも正直に語ってほしいのです! そしてすべての罪と妥協とを捨てて、ともに十字架の下に来るように彼らを招いてください。これが私の願いです。人々が順風満帆だと感じている間は、彼らは永遠に救われることはないのです。」
私は必死に抵抗しました。「神様、私にはできません! 私があなたを裏切ったと彼らが知ったら、彼らは私のことをどう思うでしょうか?」
聖霊は私の目を天に向けさせると、心に優しく語りかけました。「彼らがどう思うかは問題ではありません。あなたの働きは、あなた自身の評判を守ることではなく、神に栄光を帰すことです。もし神に働いてほしいと願うなら、あなたは謙虚にならなければなりません。」
その朝、私は本心から聖霊の勧めに従いたくありませんでした! ヨナのように逃亡することができたなら、また洞窟に潜り込むことができたなら、すぐにでもそうしたことでしょう。しかし私には自分のすべきことがはっきりとわかっていました。私は神様に従わなければならなかったのです。
私は目に涙を浮かべ、震えながら、数百人の会衆の前に立ちました。そして神様が私に示された罪について人々に分かち合ったのです。私の話を聞いている間、講堂はシーンと静まり返っていました。
「キリストは、私たちがあるがままの姿で、彼のみもとに来るようにと願っておられます。」
私は涙をぬぐうと、静かに言いました。「それで、今朝私は、あるがままの姿でここに立っています。私と一緒に、みなさんにも十字架のもとに来てほしいと願っています。みなさんを心からお招きいたします。」
この招待の言葉に応答するように、会衆は椅子から立ち上がって講堂の前方に進み出てきました。すすり泣く声も聞こえました。多くの人々が、自分の生活を支配している罪と妥協について、神様の赦しを求めました。確かに聖霊がそこにおられたのでした。
『キリストへの道(英文)』 31ページに次のように書かれています。
「もし、自らが罪深いことに気づいたならば、自分でよくしようなどと思って待ってはなりません。自分はキリストのもとに行くにはふさわしくない、と思っている人が何と多いことでしょう。自分の力で良くなれるとでも思っているのでしょうか。「クシュ人は皮膚を、豹はまだらの皮を変ええようか。それなら、悪に慣らされたお前たちも、正しい者となりえよう」 (©日本聖書協会)エレミヤ13:23 とあります。私たちを助けてくださるのは神のみです。もっと強い信仰、もっといい機会、あるいは、もっと清められた性質を持つまで、などと待ってはなりません。私たちは自分の力では何もできないのですから、ありのままでキリストのもとに行くほかないのです。」
振り返ってみれば、これが、私がこれまで体験した最も心に残る神聖な祈祷会の一つだったと思います。というのは、その朝、神様は、私たち全員に深い清めの働きをしてくださったからです。多くの人々の心が砕かれましたが、それはとても麗しい時間であり、優しい癒しのひとときだったのです。「神の求められるいけにえは、打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を 神よ、あなたは侮られません。」 (©日本聖書協会)詩篇51:19
あなたは神様にどんな捧げ物をしようとしていますか? あなたの最高の働き、最高の祈りでしょうか? 人生を揺るがすほどの困難の中で、強いキリストの証人であろうと努力することでしょうか? 最高の捧げ物とは、私たちの働きとはまったく関係がなく、私たちが十字架のもとに降り、自己やプライドや自己満足を完全に砕いていただくことなのです。
『ちとせの岩よ』は有名な賛美歌ですが、そのことを美しい歌詞で言い表しています。
「十字架のほかに、頼むかげなき わびしき我を、憐れみたまえ」
今日、そのキリストの十字架のもとに降りましょう!
瞑想しましょう:
神様はどのような心に住まわれるでしょうか?(イザヤ57:15) 神様の御心に適った悲しみとはどのようなものでしょうか?(コリント第2 7:9~11) ダビデは悔い改めの祈りの中で何を求めましたか?(詩篇51:1~19) 対照的に罪を戒められたサウルの反応はどうでしたか?(サムエル上15:1~30)。神様があなたに罪を示されるとき、あなたの応答は聖書のどの人物に最も近いでしょうか――自分の立場を守るために人々の前でそれを正当化しますか? それとも砕けた心をもって公然と罪の悔い改めをしますか?
実践しましょう:
「Beauty of Humility(へりくだった心の美)」をお読みになることをお勧めします。この本は、私たちの霊的な歩みの出発点だけでなく、人生全体を通して助けとなるものです。この実践を通して、あなたの生活の中にまだ克服できていないプライドがないかどうか、また家族や友人、共労者の中にあなたが謝罪すべき人がいないかどうかを主に示していただきましょう。そして聖霊の導きに従ってください。(詩篇66:18、マタイ5:23、24、箴言28:13、マタイ6:14、15)
「けれども、人の目にどんなに小さく見える悪事でも、神の前には、決して小さい罪というものはありません。人の判断はかたよって不完全なものですが、神はすべてをそのあるがままにお量りになります。例えば大酒飲みは軽蔑されて、とても天国には行かれないと言われますが、その反面、高慢、自己愛、どん欲などは責められず、見過ごしにされがちです。しかし神は、こうした罪を特に嫌われるのです。というのは、これは神のあわれみ深い品性に反し、堕落しない宇宙に満ちている無我の愛の精神に反するからです。何か大きい罪を犯した者は自ら恥じ入り、卑しさを感じ、キリストの恵みの必要を感じますが、高慢な者は何の必要も感じないため、キリストに対して心を閉じてしまい、キリストが来て、与えようとなさる無限の祝福を受けることができないのです。」 『キリストへの道』 30ページ
讃美の報告:
- パンデミックのために祈る「100日間の祈り」の間、神様は仕事と食物と避難所を確保してくださいました。神様を賛美します。神様はまた、私たちに田舎に移るように勧められました。その結果、私にイスラムの共同体で証をする機会を与えてくださいました。(マリリンより)
- 私たちのためにお祈りくださりありがとうございます。主はみなさんの祈りを聞かれました。驚くばかりです! ナミビアにおける外出禁止期間中、約1,100人の人々が聖書研究の学びに加わりました。70%の人々はアドベンチストではありません。(モーゼスより)
祈りの課題
- 自粛要請のためにアルバイトができない世界中の学生のためにお祈りしましょう。学費を支払うための経済的援助を、神様が備えてくださるようにお祈りしましょう。
- 世界中で家庭内暴力の被害を受けている人々のためにお祈りしましょう。
- アレキサンダー・オスタンキン牧師の家族のためにお祈りしましょう。彼は伝道の働きの最中に殺害されました。彼の殉教の血が、神様によって福音の種子に変えられるようにお祈りしましょう。
- 現在、コロナウィルス感染者となっている人々が完全に回復するようにお祈りしましょう。